『三の丸(西御屋敷)』|村翁夜話集所収姫路城門櫓明細書|第一冊・村翁夜話集
「村翁夜話集」は播磨地方の郷土史で近世播磨の地域社会を知る上で欠かせない
基礎的な情報を提供してくれる書物であると言われます。
しかしながら平文で多くの櫓が書かれ、どの部分を示して書いているのかが、
パッと見で分かりにくいという問題があると共に、現在の呼名とは異なっている事が多くあります。
ここでは『三の丸(西御屋敷)』の部分を抜粋してご紹介します。
『三の丸(西御屋敷)』|村翁夜話集所収姫路城門櫓明細書|第一冊・村翁夜話集
「村翁夜話集」では以下のように書かれています。
管理 | 現存 | 現名称 | 重層 | 村翁夜話名 | 村翁夜話集原文 | エリア | 桁行 | 桁行(m:参考) | 梁行 | 梁行(m:参考) | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
118 | 消失(跡) | - | - | 榎下冠木御門 | 菱御門外南方 〇榎下冠木御門 桁行一間五尺、袖ノ間一間、明キ九尺、 | 三の丸(西御屋敷) | 一間五尺 | 3.3 | - | 0.0 | 「榎下冠木御門」の「榎」は「稜・檜」の可能性あり。明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
119 | 消失(跡) | - | - | 鷺山口御門 | 同所西方鷺山口御門 桁行三間五尺、梁行弐間、明キ六尺八寸、クヽリ明キ三尺、 | 三の丸(西御屋敷) | 三間五尺 | 7.0 | 二間 | 3.6 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
120 | 消失(跡) | - | - | 冠木御門 | 同所北方冠木御門 桁行一間、明キ四尺、 | 三の丸(西御屋敷) | 一間 | 1.8 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
121 | 消失(跡) | - | - | 御塀 | 同所々御塀 拾八間 但檜下御門并鷺山口御門外とも、 | 三の丸(西御屋敷) | 十八間 | 32.7 | - | 0.0 | 「檜下御門」の「檜」は「稜・榎」の可能性あり。明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
122 | 消失(跡) | - | - | よノ御櫓 | 〇御本丸西北ノ方角よノ御櫓 桁行七間、梁行弐間半 | 三の丸(西御屋敷) | 七間 | 12.7 | 二間半 | 4.5 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
123 | 消失(跡) | - | - | 渡御櫓 | 同続東方渡御櫓 桁行五間半、梁行弐間一尺、 | 三の丸(西御屋敷) | 五間半 | 10.0 | 二間一尺 | 3.9 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
124 | 消失(跡) | - | - | 渡御櫓 | 同よノ御櫓続南方たノ御櫓迄渡御櫓 桁行十六間半、梁行弐間五尺、 | 三の丸(西御屋敷) | 十六間半 | 30.0 | 二間五尺 | 5.2 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
125 | 消失(跡) | - | 2重 | たノ御櫓 | 二重 同たノ御櫓 桁行五間、梁行三間五尺五寸、 | 三の丸(西御屋敷) | 五間 | 9.1 | 三間五尺五寸 | 7.1 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
126 | 消失(跡) | - | - | 渡御櫓 | 同続南方渡御櫓 桁行九間五尺、梁行弐間四尺七寸、 | 三の丸(西御屋敷) | 九間五尺 | 17.9 | 二間四尺七寸 | 5.1 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
127 | 消失(跡) | - | - | 御多門 | 同続南方れノ御櫓迄御多門 桁行三拾間、梁行弐間四尺七寸、 | 三の丸(西御屋敷) | 三十間 | 54.5 | 二間四尺七寸 | 5.1 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
128 | 消失(跡) | - | - | れノ御櫓 | 同れノ御櫓 桁行四間三尺五寸、梁行三間弐尺四寸、 | 三の丸(西御屋敷) | 四間三尺五寸 | 8.3 | 三間二尺四寸 | 6.2 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
129 | 消失(跡) | - | - | 御多門 | 同続東方御多門 桁行弐間五尺七寸、梁行弐間二尺、 | 三の丸(西御屋敷) | 二間五尺七寸 | 5.4 | 二間二尺 | 4.2 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
130 | 消失(跡) | - | - | 御多門 | 同東方そノ御櫓西方御多門 桁行七間弐尺七寸、梁行弐間五尺八寸、 | 三の丸(西御屋敷) | 七間二尺七寸 | 13.5 | 二間五尺八寸 | 5.4 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
131 | 消失(跡) | - | 2重 | そノ御櫓 | 二重 同そノ御櫓 桁行三間半、梁行三間、 | 三の丸(西御屋敷) | 三間半 | 6.4 | 三間 | 5.5 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
132 | 消失(跡) | - | - | 御多門 | 同続北方御多門 五尺二弐間、但御門下門明キ五尺、 | 三の丸(西御屋敷) | - | 0.0 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
※明キ:扉開口幅を示す。
※クヽリ:脇戸(潜戸・くぐりど)扉開口幅を示す。
※同断:同じこと
※廿間:二十間
※并:ひょう、へい、あわせる、ならぶ
※厩:うまや(廐)
本一覧は筆者の勉強・調査・後の検索を目的に作成したものであり、その正確性を保証するものではありません。
(出典・抜粋引用)第一冊 村翁夜話集所収「姫路城門櫓明細書」|播磨の地誌 福本勇次著『村翁夜話集』刊行会-平成27年1月25日発行
尚、上記一覧内の「桁行(m:参考)」「梁行(m:参考)」は一尺303mm換算として算出したものであり、イメージしやすくする為の参考値です。
また姫路城内では1間は六尺五寸とする説もあり、1間当たりの当時の寸法は明確ではありません。
昭和の大修理では実寸を元にした尺寸法を定めているようですが、その寸法が分かり次第、参考値を更新します。
現時点は参考値を表示しています。
「御塀」は村翁夜話集において長さ(間数)のみが表示され明確に壁の位置を示していません。
暫定的に対象と思われる壁を推測し割り当て、記載していいます。
「御壁」の現在呼称の壁に対する割り当ても、あくまでも参考とお考えください。
現在の姫路城で各櫓に付けられている名前は、その名称で「国重要文化財」の登録も既に行われています。
現在は重要文化財登録の名称で呼ぶのが、正しい呼び方になるものと思っています。
当サイト管理者は「旧名」で呼ぶことや過去の錯誤を無くすことがしたい訳ではありません。
過去文献の調査時に過去名が必要な場合がある為にご紹介をしているに過ぎません。
「村翁夜話集」の記述を順に古地図に当てはめていくと、以下のように解釈できます。
※画像は姫路城・西の丸百間廊下内展示の「播州姫路城図(大絵図)」を撮影。
『三の丸(西御屋敷)』原文抜粋
以下にこの部分の原文抜粋を記載しておきますので、
別途利用される際に、引用されると便利かもしれません。
「第一冊・村翁夜話集|播磨の地誌 福本勇次著『村翁夜話集』刊行会-平成27年1月25日発行」の記載は必須です。
可能であれば、このURLへの発リンクを頂けますとありがたく存じます。
菱御門外南方 〇榎下冠木御門 桁行一間五尺、袖ノ間一間、明キ九尺、
同所西方鷺山口御門 桁行三間五尺、梁行弐間、明キ六尺八寸、クヽリ明キ三尺、
同所北方冠木御門 桁行一間、明キ四尺、
同所々御塀 拾八間 但檜下御門并鷺山口御門外とも、〇御本丸西北ノ方角よノ御櫓 桁行七間、梁行弐間半
同続東方渡御櫓 桁行五間半、梁行弐間一尺、
同よノ御櫓続南方たノ御櫓迄渡御櫓 桁行拾六間半、梁行弐間五尺、
二重 同たノ御櫓 桁行五間、梁行三間五尺五寸、
同続南方渡御櫓 桁行九間五尺、梁行弐間四尺七寸、
同続南方れノ御櫓迄御多門 桁行三拾間、梁行弐間四尺七寸、
同れノ御櫓 桁行四間三尺五寸、梁行三間弐尺四寸、
同続東方御多門 桁行弐間五尺七寸、梁行弐間弐尺、
同東方そノ御櫓西方御多門 桁行七間弐尺七寸、梁行弐間五尺八寸、
二重 同そノ御櫓 桁行三間半、梁行三間、
同続北方御多門 五尺二弐間、但御門下門明キ五尺、
同所東方つノ御櫓 桁行五間四尺、梁行三間半、
同東方唐門 桁行五尺、梁行一間一尺五寸、明キ五尺、
同所北方前ノ御門迄御土蔵 桁行十八間四尺五寸、梁行三間、
同前ノ御門 桁行五間四尺四寸、梁行弐間弐尺、明キ九尺八寸、クヽリ明四尺一寸、
同所外冠木御門 桁行二間、梁行袖ノ間一間、明キ一丈一尺九寸、(引用抜粋)第一冊・村翁夜話集|播磨の地誌 福本勇次著『村翁夜話集』刊行会-平成27年1月25日発行
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公開日:
最終更新日:2018/02/18