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『三の丸(大手)』|村翁夜話集所収姫路城門櫓明細書|第一冊・村翁夜話集

「村翁夜話集」は播磨地方の郷土史で近世播磨の地域社会を知る上で欠かせない
基礎的な情報を提供してくれる書物であると言われます。
しかしながら平文で多くの櫓が書かれ、どの部分を示して書いているのかが、
パッと見で分かりにくいという問題があると共に、現在の呼名とは異なっている事が多くあります。
ここでは『三の丸(大手)』の部分を抜粋してご紹介します。

 

『三の丸(大手)』|村翁夜話集所収姫路城門櫓明細書|第一冊・村翁夜話集

「村翁夜話集」では以下のように書かれています。

管理 現存 現名称 重層 村翁夜話名 村翁夜話集原文 エリア 桁行 桁行(m:参考) 梁行 梁行(m:参考) 備考
157置換(復旧以外の再建)大手門(桐外門)-冠木御門同所西方冠木御門 桁行三間一尺五寸、明一丈三寸、クヽリ明三尺五寸、袖ノ間一間弐尺、三の丸(大手)三間一尺五寸5.90.0別名「桐二ノ門」、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失されるが、後に「大手門(桐外門)」が建てられる。但、復元ではない。
158消失(跡)-桜冠木御門同所外桜冠木御門 桁行三間一尺五寸、袖ノ間一間一尺、明キ一丈三寸、クヽリ明キ三尺七寸、三の丸(大手)三間一尺五寸5.90.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
159消失(跡)-出番所同所南方出番所 弐間㈡壱間半、三の丸(大手)0.00.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
160消失(跡)-御塀同所御塀 三拾四間半、但桐冠木御門左右・桜御門左右とも、三の丸(大手)三十四間半62.70.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
161消失(跡)-御橋同所外御橋 長拾四間半、横三間六寸、三の丸(大手)0.00.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
162消失(跡)-腰掛ヶ同所南方腰掛ヶ 桁行十五間、梁行三間、三の丸(大手)十五間27.3三間5.5明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
163消失(跡)-ねノ御櫓〇向御屋敷南方ねノ御櫓 桁行折廻九間半、梁行三間一尺五寸、三の丸(大手)九間半17.3三間一尺五寸5.9明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
164消失(跡)2重なノ御櫓二重 同所東方なノ御櫓 桁行五間三尺七寸、梁行四間半、三の丸(大手)五間三尺七寸10.2四間半8.2明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
165消失(跡)-らノ御櫓同所東方らノ御櫓 桁行六間五尺、梁行五間半、三の丸(大手)六間五尺12.4五間半10.0西方不随する建屋不明。明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
166消失(跡)-御多門同所西方御多門 桁行二間半、梁行四間一尺四寸、三の丸(大手)二間半4.5四間一尺四寸7.7明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
167消失(跡)-御多門同続北方御多門 桁行三間七寸、梁行同断、三の丸(大手)三間七寸5.7三間七寸5.7明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。

※明キ:扉開口幅を示す。
※クヽリ:脇戸(潜戸・くぐりど)扉開口幅を示す。
※同断:同じこと
※廿間:二十間
※并:ひょう、へい、あわせる、ならぶ
※厩:うまや(廐)


本一覧は筆者の勉強・調査・後の検索を目的に作成したものであり、その正確性を保証するものではありません。
(出典・抜粋引用)第一冊 村翁夜話集所収「姫路城門櫓明細書」|播磨の地誌 福本勇次著『村翁夜話集』刊行会-平成27年1月25日発行

尚、上記一覧内の「桁行(m:参考)」「梁行(m:参考)」は一尺303mm換算として算出したものであり、イメージしやすくする為の参考値です。
また姫路城内では1間は六尺五寸とする説もあり、1間当たりの当時の寸法は明確ではありません。
昭和の大修理では実寸を元にした尺寸法を定めているようですが、その寸法が分かり次第、参考値を更新します。
現時点は参考値を表示しています。
「御塀」は村翁夜話集において長さ(間数)のみが表示され明確に壁の位置を示していません。
暫定的に対象と思われる壁を推測し割り当て、記載していいます。
「御壁」の現在呼称の壁に対する割り当ても、あくまでも参考とお考えください。

現在の姫路城で各櫓に付けられている名前は、その名称で「国重要文化財」の登録も既に行われています。
現在は重要文化財登録の名称で呼ぶのが、正しい呼び方になるものと思っています。
当サイト管理者は「旧名」で呼ぶことや過去の錯誤を無くすことがしたい訳ではありません。
過去文献の調査時に過去名が必要な場合がある為にご紹介をしているに過ぎません。


「村翁夜話集」の記述を順に古地図に当てはめていくと、以下のように解釈できます。

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大手・村翁夜話集所収姫路城門櫓明細の配置

※画像は姫路城・西の丸百間廊下内展示の「播州姫路城図(大絵図)」を撮影。

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『三の丸(大手)』原文抜粋

以下にこの部分の原文抜粋を記載しておきますので、
別途利用される際に、引用されると便利かもしれません。
「第一冊・村翁夜話集|播磨の地誌 福本勇次著『村翁夜話集』刊行会-平成27年1月25日発行」の記載は必須です。

可能であれば、このURLへの発リンクを頂けますとありがたく存じます。

〇同桐御門 桁行拾三間、梁行三間二尺、明キ一丈五尺五寸、クヽリ明キ五尺、
同所西方冠木御門 桁行三間一尺五寸、明一丈三寸、クヽリ明三尺五寸、袖ノ間一間弐尺、
同所外桜冠木御門 桁行三間一尺五寸、袖ノ間一間一尺、明キ一丈三寸、クヽリ明キ三尺七寸、
同所南方出番所 弐間二壱間半、
同所御塀 三拾四間半、但桐冠木御門左右・桜御門左右とも、
同所外御橋 長拾四間半、横三間六寸、
同所南方腰掛ヶ 桁行十五間、梁行三間、
〇向御屋敷南方ねノ御櫓 桁行折廻九間半、梁行三間一尺五寸、
二重 同所東方なノ御櫓 桁行五間三尺七寸、梁行四間半、
同所東方らノ御櫓 桁行六間五尺、梁行五間半、
同所西方御多門 桁行二間半、梁行四間一尺四寸、
同続北方御多門 桁行三間七寸、梁行同断、

(引用抜粋)第一冊・村翁夜話集|播磨の地誌 福本勇次著『村翁夜話集』刊行会-平成27年1月25日発行

 

尚、その他のエリアは以下でご確認いただけます。

 


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公開日:
最終更新日:2018/02/18

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