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『備前丸』|村翁夜話集所収姫路城門櫓明細書|第一冊・村翁夜話集

「村翁夜話集」は播磨地方の郷土史で近世播磨の地域社会を知る上で欠かせない
基礎的な情報を提供してくれる書物であると言われます。
しかしながら平文で多くの櫓が書かれ、どの部分を示して書いているのかが、
パッと見で分かりにくいという問題があると共に、現在の呼名とは異なっている事が多くあります。
ここでは『備前丸』の部分を抜粋してご紹介します。

 

『備前丸』|村翁夜話集所収姫路城門櫓明細書|第一冊・村翁夜話集

「村翁夜話集」では以下のように書かれています。

管理 現存 現名称 重層 村翁夜話名 村翁夜話集原文 エリア 桁行 桁行(m:参考) 梁行 梁行(m:参考) 備考
18消失(跡)-渡御櫓〇備前丸入口ヨリ二御櫓迄渡御櫓 桁行四間、梁行三間、 備前丸四間7.3三間3.6明治15年12月27日失火により消失。
19消失(跡)2重二ノ御櫓二重 同二ノ御櫓 桁行三間半、梁行三間半、 備前丸三間半6.4三間半6.4明治15年12月27日失火により消失。
20消失(跡)-渡御櫓同所ヨリ御対面所迄渡御櫓 桁行七間一尺、梁行四間、備前丸七間一尺13.0四間7.3明治15年12月27日失火により消失。
21消失(跡)-御対面所同御対面所 桁行拾二間、梁行四間半、備前丸十二間21.8四間半8.2明治15年12月27日失火により消失。
22消失(跡)-回家同続東ノ方回家 桁行三間半、梁行弐間、備前丸三間半6.4二間3.6明治15年12月27日失火により消失。
23消失(跡)-回家同続同断 桁行三間半、梁行二間、備前丸三間半6.4二間3.6明治15年12月27日失火により消失。
24消失(跡)2重長局二階 同続南ノ方四ノ御櫓迄長局 桁行九間半、梁行三間、備前丸九間半17.3三間5.5明治15年12月27日失火により消失。
25消失(跡)2重四ノ御櫓 二重 同四ノ御櫓 桁行三間、梁行弐間半、備前丸三間5.5二間半4.5明治15年12月27日失火により消失。
26消失(跡)2重長局二階 同所続東ノ方長局 桁行廿間一尺五寸、梁行三間、備前丸二十間一尺五寸36.8三間5.5明治15年12月27日失火により消失。
27消失(跡)2重長局同 同所北ノ方回家同断 桁行四間、梁行三間、備前丸四間7.3三間5.5明治15年12月27日失火により消失。
28消失(跡)2重長局同 同東ノ方回家同断 桁行四間半、梁行三間、備前丸四間半8.2三間5.5明治15年12月27日失火により消失。
29消失(跡)2重五ノ御櫓二重 同所北ノ方五ノ御櫓 桁行三間、梁行同断、備前丸三間5.5三間5.5明治15年12月27日失火により消失。
30消失(跡)-渡御櫓同続北ノ方渡御櫓 桁行三間二尺、梁行三間、備前丸三間二尺6.1三間5.5明治15年12月27日失火により消失。
31置換(復旧以外の再建)備前門-東入口御門同所東入口御門 桁行二間一尺、梁行一間五尺、明キ七尺二寸、クヽリ明キ三尺二寸、備前丸二間一尺3.9一間五尺3.3明治15年12月27日失火により消失。
32置換(復旧以外の再建)折廻り櫓-渡御櫓同続北ノ方渡御櫓 桁行二間、梁行同断、備前丸二間3.6二間3.6明治15年12月27日失火により消失。
33現存折廻り櫓-渡御櫓同続西ノ方同断 桁行八間、梁行三間半、備前丸八間14.5三間半6.4明治15年12月27日失火により消失するも、部分的に残る。
34消失(跡)-渡御櫓同続南ノ方同断 桁行四間、梁行二間半、備前丸四間7.3二間半4.5明治15年12月27日失火により消失。
35消失(跡)-御台(タイ)所入口同所御台(タイ)所入口 桁行二間、梁行一間唐破風備前丸二間3.6一間1.8明治15年12月27日失火により消失。夜話集には「台所」とあるが「臺所(ミダイドコロ)」で「御臺所」は将軍などの妻を指し、輝政の室督姫がこれに住んでいたと言われる。
36消失(跡)-御台所同御台所 桁行拾二間、梁行拾一間、備前丸十二間21.8十一間20.0明治15年12月27日失火により消失。夜話集には「台所」とあるが「臺所(ミダイドコロ)」で「御臺所」は将軍などの妻を指し、輝政の室督姫がこれに住んでいたと言われる。
37消失(跡)-上台所同続上台所 桁行七間半、梁行五間半、備前丸七間半13.6五間半10.0明治15年12月27日失火により消失。夜話集には「台所」とあるが「臺所(ミダイドコロ)」で「御臺所」は将軍などの妻を指し、輝政の室督姫がこれに住んでいたと言われる。
38消失(跡)-回家同続西ノ方回家 桁行五間半、梁行三間、備前丸五間半10.0三間5.5明治15年12月27日失火により消失。
39消失(跡)-雪隠壱ヶ所同所雪隠壱ヶ所 弐間㈡一間弐尺備前丸0.00.0明治15年12月27日失火により消失。
40消失(跡)-雪隠壱ヶ所同壱ヶ所 弐間㈡壱間半備前丸0.00.0明治15年12月27日失火により消失。
41消失(跡)-御塀同所御塀拾三間五尺、備前丸十三間五尺25.10.0明治15年12月27日失火により消失。復元なし。
505置換(復旧以外の再建)折廻り櫓-渡御櫓(複数)備前丸八間14.5三間半6.4現在の折廻り櫓は、複数の「渡御櫓」まとめて呼ぶ名称。明治15年2月1日失火により消失するも、部分的に残る。

※明キ:扉開口幅を示す。
※クヽリ:脇戸(潜戸・くぐりど)扉開口幅を示す。
※同断:同じこと
※廿間:二十間
※并:ひょう、へい、あわせる、ならぶ
※厩:うまや(廐)


本一覧は筆者の勉強・調査・後の検索を目的に作成したものであり、その正確性を保証するものではありません。
(出典・抜粋引用)第一冊 村翁夜話集所収「姫路城門櫓明細書」|播磨の地誌 福本勇次著『村翁夜話集』刊行会-平成27年1月25日発行

尚、上記一覧内の「桁行(m:参考)」「梁行(m:参考)」は一尺303mm換算として算出したものであり、イメージしやすくする為の参考値です。
また姫路城内では1間は六尺五寸とする説もあり、1間当たりの当時の寸法は明確ではありません。
昭和の大修理では実寸を元にした尺寸法を定めているようですが、その寸法が分かり次第、参考値を更新します。
現時点は参考値を表示しています。
「御塀」は村翁夜話集において長さ(間数)のみが表示され明確に壁の位置を示していません。
暫定的に対象と思われる壁を推測し割り当て、記載していいます。
「御壁」の現在呼称の壁に対する割り当ても、あくまでも参考とお考えください。

現在の姫路城で各櫓に付けられている名前は、その名称で「国重要文化財」の登録も既に行われています。
現在は重要文化財登録の名称で呼ぶのが、正しい呼び方になるものと思っています。
当サイト管理者は「旧名」で呼ぶことや過去の錯誤を無くすことがしたい訳ではありません。
過去文献の調査時に過去名が必要な場合がある為にご紹介をしているに過ぎません。


「村翁夜話集」の記述を順に古地図に当てはめていくと、以下のように解釈できます。

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備前丸・村翁夜話集所収姫路城門櫓明細の配置

※画像は姫路城・西の丸百間廊下内展示の「播州姫路城図(大絵図)」を撮影。

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『備前丸』原文抜粋

以下にこの部分の原文抜粋を記載しておきますので、
別途利用される際に、引用されると便利かもしれません。
「第一冊・村翁夜話集|播磨の地誌 福本勇次著『村翁夜話集』刊行会-平成27年1月25日発行」の記載は必須です。

可能であれば、このURLへの発リンクを頂けますとありがたく存じます。

〇備前丸入口ヨリ二御櫓迄渡御櫓 桁行四間、梁行三間、 
二重 同二ノ御櫓 桁行三間半、梁行三間半、 
同所ヨリ御対面所迄渡御櫓 桁行七間一尺、梁行四間、
御対面所 桁行拾二間、梁行四間半、
同続東ノ方回家 桁行三間半、梁行弐間、
同続同断 桁行二間半、梁行二間、
二階 同続南ノ方四ノ御櫓迄長局 桁行九間半、梁行三間、
二重 同四ノ御櫓 桁行三間、梁行弐間半、
二階 同所続東ノ方長局 桁行廿間一尺五寸、梁行三間、
同(二階) 同所北ノ方回家同断(長局) 桁行四間、梁行三間、
同(二階) 同東ノ方回家同断(長局) 桁行四間半、梁行三間、
二重 同所北ノ方五ノ御櫓 桁行三間、梁行同断、
同続北ノ方渡御櫓 桁行三間二尺、梁行三間、
同所東入口御門 桁行二間一尺、梁行一間五尺、明キ七尺二寸、クヽリ明キ三尺二寸、
同続北ノ方渡御櫓 桁行二間、梁行同断、
同続西ノ方同断(渡御櫓) 桁行八間、梁行三間半、
同続南ノ方同断(渡御櫓) 桁行四間、梁行二間半、
同所御台(タイ)所入口 桁行二間、梁行一間唐破風
御台所 桁行拾二間、梁行拾一間、
同続上台所 桁行七間半、梁行五間半、
同続西ノ方回家 桁行五間半、梁行三間、
同所雪隠壱ヶ所 弐間 ニ 一間二尺
壱ヶ所 弐間 ニ 一間半
同所御塀拾三間五尺、

(引用抜粋)第一冊・村翁夜話集|播磨の地誌 福本勇次著『村翁夜話集』刊行会-平成27年1月25日発行

 

尚、その他のエリアは以下でご確認いただけます。


公開日:
最終更新日:2018/02/18

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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