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『西の丸』|村翁夜話集所収姫路城門櫓明細書|第一冊・村翁夜話集

「村翁夜話集」は播磨地方の郷土史で近世播磨の地域社会を知る上で欠かせない
基礎的な情報を提供してくれる書物であると言われます。
しかしながら平文で多くの櫓が書かれ、どの部分を示して書いているのかが、
パッと見で分かりにくいという問題があると共に、現在の呼名とは異なっている事が多くあります。
ここでは『西の丸』の部分を抜粋してご紹介します。

 

『西の丸』|村翁夜話集所収姫路城門櫓明細書|第一冊・村翁夜話集

「村翁夜話集」では以下のように書かれています。

管理 現存 現名称 重層 村翁夜話名 村翁夜話集原文 エリア 桁行 桁行(m:参考) 梁行 梁行(m:参考) 備考
97消失(跡)西の丸北門跡-西の丸北入口冠木御門〇西の丸北入口冠木御門 桁行三間四尺七寸、袖間壱間、明キ八尺、クヽリ三尺五寸、西の丸三間四尺七寸6.90.0
98現存化粧櫓-御化粧間同所北方御化粧間 桁行八間半、梁行三間、西の丸八間半15.5三間5.5
99現存カの渡櫓-長局同続西ノ方ぬノ御櫓迄長局 桁行拾四間弐尺、梁行三間、西の丸十四間二尺26.1三間5.5
100現存ヌの櫓2重ぬノ御櫓二重 同ぬノ御櫓 桁行四間一尺、梁行三間、西の丸四間一尺7.6三間5.5
101現存ヨの渡櫓(東部),ヨの渡櫓(中央部)-長局折廻同続西ノ方長局折廻 桁行三拾二間、梁行三間、西の丸三十二間58.2三間5.5
102現存ヨの渡櫓(西部)-長局同続同断長局 桁行弐間弐尺、梁行一間一尺五寸、西の丸二間二尺4.2一間一尺五寸2.3
103現存ヨの渡櫓(西部)-長局同続同断るノ御櫓迄長局 桁行拾間、梁行三間、西の丸十間18.2三間5.5
104現存ルの櫓-るノ御櫓同るノ御櫓 桁行三間四尺、梁行三間半、西の丸三間四尺6.7三間半6.4
105現存タの渡櫓-御多門同続南ノ方御多門 桁行拾一間五尺、梁行三間、西の丸十一間五尺21.5三間5.5
106置換(復旧以外の再建)ヲの櫓-御多門同続東ノ方御多門 桁行拾四間弐尺五寸、桁行弐間弐尺五寸、西の丸十四間二尺五寸26.20.0
107消失(跡)-渡御櫓同続東ノ方をノ御櫓迄渡御櫓 桁行三間、梁行弐間五尺、西の丸三間5.5二間五尺5.2現在この廊下となっている部分は元の状態が残っていない為、復元できず昭和7年に設置された。
108消失(跡)-をノ御櫓同をノ御櫓 桁行三間二尺五寸、梁行弐間弐尺五寸、西の丸三間二尺五寸6.2二間二尺五寸4.4
109現存レの渡櫓-渡御櫓同続南方渡御櫓 桁行四間弐尺、梁行弐間半、西の丸四間二尺7.9二間半4.5
110現存レの渡櫓-御多門同続南方わノ御櫓迄御多門 桁行弐拾三間半、梁行弐間半、西の丸二十三間半42.7二間半4.5
111現存ワの櫓2重わノ御櫓二重 同わノ御櫓 桁行三間半、梁行三間半、西の丸三間半6.4三間半6.4
112消失(跡)-御多門同続東ノ方御多門 桁行五尺弐寸、梁行三間半、西の丸五尺二寸1.6三間半6.4
113現存カの櫓-かノ御櫓同所東方かノ御櫓 桁行五間四尺、梁行三間半、西の丸五間四尺10.3三間半6.4
114消失(跡)-御多門同続北方御多門 桁行弐間五尺、梁行三間半、西の丸二間五尺5.2三間半6.4
115消失(跡)西の丸南門跡-西丸南入口冠木御門同所北方西丸南入口冠木御門 桁行四間一尺五寸、袖間一間一尺、明キ一丈、クヽリ三尺七寸、西の丸四間一尺五寸7.70.0
116現存ろの門西南方土塀,ワの櫓東方土塀,カの櫓北方土塀-御塀同所々御塀 百弐拾六間半、但東南ノ方、西の丸百二十六間半230.00.0
534現存ワの櫓東方土塀-御塀より分割(御塀として記載)西の丸0.00.0「村:御多門(116)」に他の塀と合わせて記載。
535現存カの櫓北方土塀-御塀より分割(御塀として記載)西の丸0.00.0「村:御多門(116)」に他の塀と合わせて記載。
117消失(跡)-御塀〇菱ノ御門外御塀 七拾八間、但檜御厩并下山里とも、西の丸七十八間141.80.0「檜御厩」の「檜」は「稜・榎」の可能性あり。明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
508現存ヨの渡櫓-長局折廻、長局連結西の丸十間18.2三間5.5複数の長局折廻、長局「村:長局(101~103)」を合せて現在の「ヨの渡櫓」と呼ぶ。
509現存レの渡櫓-渡御櫓、御多門連結同続南方渡御櫓 桁行四間弐尺、梁行弐間半、西の丸四間二尺7.9二間半4.5複数の渡御櫓、御多門「村:長局(109,110)」を合せて現在の「レの渡櫓」と呼ぶ。
533現存化粧櫓南方土塀-(記述なし)西の丸0.00.0

※明キ:扉開口幅を示す。
※クヽリ:脇戸(潜戸・くぐりど)扉開口幅を示す。
※同断:同じこと
※廿間:二十間
※并:ひょう、へい、あわせる、ならぶ
※厩:うまや(廐)


本一覧は筆者の勉強・調査・後の検索を目的に作成したものであり、その正確性を保証するものではありません。
(出典・抜粋引用)第一冊 村翁夜話集所収「姫路城門櫓明細書」|播磨の地誌 福本勇次著『村翁夜話集』刊行会-平成27年1月25日発行

尚、上記一覧内の「桁行(m:参考)」「梁行(m:参考)」は一尺303mm換算として算出したものであり、イメージしやすくする為の参考値です。
また姫路城内では1間は六尺五寸とする説もあり、1間当たりの当時の寸法は明確ではありません。
昭和の大修理では実寸を元にした尺寸法を定めているようですが、その寸法が分かり次第、参考値を更新します。
現時点は参考値を表示しています。
「御塀」は村翁夜話集において長さ(間数)のみが表示され明確に壁の位置を示していません。
暫定的に対象と思われる壁を推測し割り当て、記載していいます。
「御壁」の現在呼称の壁に対する割り当ても、あくまでも参考とお考えください。

現在の姫路城で各櫓に付けられている名前は、その名称で「国重要文化財」の登録も既に行われています。
現在は重要文化財登録の名称で呼ぶのが、正しい呼び方になるものと思っています。
当サイト管理者は「旧名」で呼ぶことや過去の錯誤を無くすことがしたい訳ではありません。
過去文献の調査時に過去名が必要な場合がある為にご紹介をしているに過ぎません。


「村翁夜話集」の記述を順に古地図に当てはめていくと、以下のように解釈できます。

sonnouyowa_12

西ノ丸・村翁夜話集所収姫路城門櫓明細の配置

菱の門外の塀については以下のように解釈できます。

sonnouyowa_o_01

菱の門外・村翁夜話集所収姫路城門櫓明細の配置

※画像は姫路城・西の丸百間廊下内展示の「播州姫路城図(大絵図)」を撮影。

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『西の丸』原文抜粋

以下にこの部分の原文抜粋を記載しておきますので、
別途利用される際に、引用されると便利かもしれません。
「第一冊・村翁夜話集|播磨の地誌 福本勇次著『村翁夜話集』刊行会-平成27年1月25日発行」の記載は必須です。

可能であれば、このURLへの発リンクを頂けますとありがたく存じます。

〇西の丸北入口冠木御門 桁行三間四尺七寸、袖間壱間、明キ八尺、クヽリ三尺五寸、
同所北方御化粧間 桁行八間半、梁行三間、
同続西ノ方ぬノ御櫓迄長局 桁行拾四間弐尺、梁行三間、
二重 同ぬノ御櫓 桁行四間一尺、梁行三間、
同続西ノ方長局折廻 桁行三拾二間、梁行三間、
同続同断長局 桁行弐間弐尺、梁行一間一尺五寸、
同続同断るノ御櫓迄長局 桁行拾間、梁行三間、
同るノ御櫓 桁行三間四尺、梁行三間半、
同続南ノ方御多門 桁行拾一間五尺、梁行三間、
同続東ノ方御多門 桁行拾四間弐尺五寸、桁行弐間弐尺五寸、
同続東ノ方をノ御櫓迄渡御櫓 桁行三間、梁行弐間五尺、
同をノ御櫓 桁行三間二尺五寸、梁行弐間弐尺五寸、
同続南方渡御櫓 桁行四間弐尺、梁行弐間半、
同続南方わノ御櫓迄御多門 桁行弐拾三間半、梁行弐間半、
二重 同わノ御櫓 桁行三間半、梁行三間半、
同続東ノ方御多門 桁行五尺弐寸、梁行三間半、
同所東方かノ御櫓 桁行五間四尺、梁行三間半、
同続北方御多門 桁行弐間五尺、梁行三間半、
同所北方西丸南入口冠木御門 桁行四間一尺五寸、袖間一間一尺、明キ一丈、クヽリ三尺七寸、
同所々御塀 百弐拾六間半、但東南ノ方、
〇菱ノ御門外御塀 七拾八間、但檜御厩并下山里とも、

(引用抜粋)第一冊・村翁夜話集|播磨の地誌 福本勇次著『村翁夜話集』刊行会-平成27年1月25日発行

 

尚、その他のエリアは以下でご確認いただけます。


公開日:
最終更新日:2018/02/18

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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