腹切丸南石垣の痛みが顕著で公開見送りやむなしだろうか。
2017/07/11
2015年のグランドオープンから2年が経過し、
3年目の2017年になっても未だ非公開エリアに指定されている腹切丸(帯郭櫓・帯の櫓)付近。
腹切丸には既に新しい案内板も設置され、再公開の準備が整っているように見えるものの、
何故か公開されない腹切丸の原因を考えていたところ、
腹切丸下の石垣の損傷が予想以上に激しいことが原因のようなのです。
ここではその腹切丸を支える石垣の損傷についてご紹介します。
概要(見出し)
腹切丸南石垣の痛みが顕著で公開見送りやむなしだろうか。
姫路城の中で写真を撮っている時に他の方々の声を耳にすることがよくあります。
城内マップを見ながら「腹切丸?腹を切った場所ってこと?見たい!」といった感じです。
腹切丸で切腹を行ったという記録は現時点では見つかっていないようで、
城内で切腹をさせたとも考えにくいというのが現在の見解とされています。
そんな経緯はともかく、誰が言ったか興味をそそるネーミングの腹切丸。
見どころスポットとして結構人気があるにも関わらず、
長い間立ち入る事ができない状況にあります。
そんな私も実際に入って見たい!と思っている1観光客の一人です。
その為、城内の案内の方に「腹切丸の再公開っていつ頃でしょうか?」
そんな問いを投げかけてみたりもします。
誰に聞いてみても、回答は似たような言葉が返ってきます。
※「知りません」なんて冷たい回答もありますけども。
優しい回答としては・・・
「『石垣がどうとかで当分は無理そう』なんだそうです」
おそらくは業務の担当が違うようで、
詳しい事はご存知ではないと言うところなのだとは思います。
ただ、どうやら「石垣」がキーワードになってくるような感じを受けました。
「石垣」のキーワードを頂いたことで、
現在、非公開エリアに設定されている腹切丸エリアの下を見てきました。
写真の右から「帯の櫓」「帯郭櫓」そして少し奥に見えるのが「太鼓櫓(への櫓)」です。
腹切丸と呼ばれるエリアはこの「帯郭櫓」と「帯の櫓」の間の空間です。
江戸時代には井戸があった事から「井戸曲輪」と呼ばれ、現在では「東曲輪」とも呼ばれます。
その為「腹切丸」は俗称とされています。
この見上げたアングルは非常に美しい・・・。
帯郭櫓の石垣は姫路城最大の高低差(23.32m)を持つ「天端の気勢い」と呼ばれています。
石垣の反りが非常に美しい壮大な石垣です。
2017年4月の段階では石垣の石が綺麗に見えていますが、
石垣の隙間からは木や草が生い茂って見えなくなっていた時期もありました。
石垣は草木・雑草との闘い・・・©
現在もところどころに草木が生えてきていますが、
何より嫌な感じがするのがこの「アスパラガス」です。(現地のオーディエンス意見に基づく)
いや、アスパラ!?と一瞬自分も思いましたけどアスパラではないって事だけはわかります。
おそらくは「若竹」だと思われます。
そう「庭に植えてはならない」と言われる「竹」です。
地下で根を広げ・・・
いつの日か突然、床下からブスっ!と突き抜けてくると言われるアレ(のように見えます)
そんなものが石垣の隙間から出てきているように見えます。
※今後、成長を見守っていきます(本当に竹かどうか)
こうして様々な植物が石垣の石を押し出したりしながら、
徐々に損傷がひどくなっていくのだなと実感します。
尚、各建物の名称と石垣の位置は以下で示しています。
アスパラの位置は「©」になります。
石垣の痛みが激しい腹切丸南側石垣
こちらは太鼓櫓方向を見ています、右の石垣が帯郭櫓の下に位置します。
これは帯郭櫓の南側の石垣です。
南側は少しずつ石垣の隙間から草木が出てきているのが見えています。
ちなみに「姫路城石垣の魅力・姫路市城郭研究室著」によると、
この部分の石垣はⅡ期(池田時代)とⅤ期(明治以降の修復)によるものであるとされています。
Ⅴ期:明治(1867)~平成
明治以降、現代までの修理石垣を対象とする。維新後まもなく姫路城に駐屯した陸軍による修理、あるいは昭和9~38年(1934~1963)度に実施された昭和大修理、平成3年(1991)度から始まり、現在も継続されている平成の大修理が主なものである。
【特徴】
- 陸軍の修理「三の丸れ~その櫓間(上半部)」は花崗岩の間知石を使用。
- 昭和の大修理では、西の丸外郭部、他「チの櫓台」のように、当時の修理技術の限界から、本来の様式を損なっている個所がある。
- 平成の修理は、元の姿への忠実な復元を目指している。
(引用)Ⅱ姫路城石垣の変遷(内曲輪)・姫路城石垣の魅力・姫路市城郭研究室著 より(注記)発行日:平成27年(2015)年1月20日・・・平成の大修理を終えたグランドオープンが平成27年(2015)年3月27日
栗石が見えてきている石垣(Ⅴ期部分)・・・Ⓑ
この帯郭櫓南側の石垣・南東角の部分よく見ると何やら隙間が見えています。
こちら側は「Ⅴ期」の修復部分で、明治以降に修復を受けている部分です。
少し拡大してみます。
石垣の隙間の奥の部分に、細かな石が見えています。
石垣内側に詰められている「栗石」のように見えます。
通常は石垣の隙間には少し小さな石を積め隙間を埋めて積み上げられます。
※周囲の石垣部分を参照。
石垣から奥行きの少ない所に「栗石」が見えていますので、
この石垣側面に使われている積石はあまり奥行きが深くない石が使われているように見えます。
石垣の積み上げられた時期にも依るとは思いますが、
石垣の石の外側と内側の面の位置には、栗石より少し大きい石で間を詰められ、
通常はこういう栗石が見えることはないように積まれるはずなのです。
部分的に石が欠損した部分も(Ⅱ期部分)・・・Ⓐ
こちら側は「Ⅱ期」池田時代の部分です。
修復を受けた石垣の見た目とかなり違って、違和感はないでしょうか。
石と石の間に隙間がさらに多くなっています。
(気持ち)少しずつズレて元あった位置に石がないようにさえ見えてきます。
何より驚きなのは「既に石が無い」場所がある事です。
いつの間にか抜け落ちてしまったのでしょう。草が生えてきています。
※雨水排水用の溝の可能性もあります。
石垣の入隅部分(左:太鼓櫓、右:帯郭櫓)を見ていくと、
同じように石がずれているように見える場所があります。
少し拡大してみます。
石垣の石を失って、なんとなくズレ、そして中身が出てきているように見えます。
※個人的な見方なので、そうは見えない方もおられるかもしれません。
最初からこのように積んだとするなら、妙に不安定な気がします。
石積みは石の声を聴くらしいんですよ。
石を見ていると、石がどこに収まりたいか自分で言ってくる・・・とか(石工さん談)
奥に詰められていたであろう栗石と思われるものが出てきているように見えます。
部分的には過去にモルタルか何かで修復した痕跡も
Ⅱ期、池田時代の石垣の下部にはモルタルなどで修復されたかのような跡が見えます。
昭和の時代を感じる修復の仕方だなぁと感じるところです。
こうした修復跡は後の修復では取り除かれて元あった姿に戻されることでしょうね。
上山里曲輪東側の応急処置
上山里曲輪の東側の石垣は二の丸を支える石垣です。
先ほどの「帯郭櫓」の石垣との間には「太鼓櫓(への櫓)」の石垣があります。
※奥に見える石垣が「太鼓櫓(への櫓)」の石垣。
この部分の応急処置は長い間行われていますが、
見ての通り、太い切株や様々な木々が石垣の上に生えているのが分かります。
下部の方は部分的に損傷を受けてしまっています。
大雨などが降ると、雨水に土を流されたりしながら、
少しずつ経年劣化してしまうのですから、
先ほどのアスパラも決して軽視できる存在ではない事がわかります。
平成の大修復の負担も影響しているか
こうして見てくると、腹切丸南側石垣の状態はあまり芳しくはないように見えます。
また平成の大修理の期間中は、この腹切丸は仮設ステージの足場が設置されていました。
ガッツリと足が腹切丸に立っています。
ステージにかかる重みは、腹切丸にも相当な負担をかけてきたことでしょう。
やむを得ない事情であるとしても、腹切丸本人的にはしんどかっただろう・・・と。
そもそも雨水処理上弱点となる腹切丸
上記でご紹介したマップ(画像)でも分かるように、
腹切丸のエリアは単純に考えて、雨水処理的にはかなり弱点があると思うのです。
※私が探した限りでは雨水処理用の横穴などは見つけられませんでした。(あるかもしれませんが)
この曲輪は構造上、プールのように囲われた空間になっており、
降った雨を逃がす方法が難しいと思うのです。
曲輪内に井戸がある事から、雨水を井戸に落としてしまえば、
一定の深さまで雨は逃がすことはできると思います。
それでも曲輪下の土壌(石垣の内側)の水位は、
大雨ですぐに高くなりがちな場所に見えます。
高くなった水位は土壌内の水圧・土圧となって、
石垣の隙間からじわじわと流れ出ることになります。
流れ方によっては細かい砂状のものは洗い流されたりしてしまう事でしょう。
そうした影響がどのくらいあるのかは分かりませんし、
石垣が大きく動く理由は「地震」によるものだと思います。
それとは別に集中豪雨にはちょっと弱いエリアだろうなと思うのです。
平成の大修復の影響があるにしろ、ないにしろ、
経年劣化は激しくなりがちな弱点エリアなのだろうと感じます。
平成の大修理が終わって、足場がなくなったからできる修復?!
さて、石垣の状態があまり良くないという事は姫路市さんもとっくに認識されていることとは思います。
出てくるキーワードが「石垣」ですから。
しかし平成の大修理が行われていた期間は、
上記のようにステージの足が立っているのですから、何もできません。
それが2015年のグランドオープン以降はステージの足が取り除かれています。
5年間ずっと手を出すことができなかった段階から、
今は
修復をしようと思えばできる段階ではある。
という事になると思います。
実は「帯郭櫓」の当初修復予定(小規模)は平成28年度でした。
平成25年に計画された計画ですし、計画はあくまでも計画ですが、
「帯郭櫓」は平成28年度の修復計画、「帯の櫓」は平成29年度の計画です。
2017年現在で言えば、去年と今年という事になります。
※「年」表示は「年度」を表しています。
予定年度 西暦 修理箇所 前回修理 西暦 経過年数 備考 実施 実施確認メモ 計画後 平成28年 2016 帯郭櫓 昭和61年 1986 30 - - - 8 年前 平成28年 2016 太鼓櫓北方土塀 昭和61年 1986 30 - - - 8 年前 平成28年 2016 帯郭櫓北方土塀 昭和61年 1986 30 - - - 8 年前 平成29年 2017 井郭櫓南方土塀 昭和61年 1986 31 - - 計画中 7 年前 平成29年 2017 帯の櫓 昭和62年 1987 30 - - 計画中 7 年前 ※「-」部は不明な部分であることを示します。
(以下、抜粋引用)
この場合の修復は、屋根や壁などの漆喰の塗替えなどが主たるもので、
基礎に当たる石垣の修復という意味は含んではいないはずです。
本当に悩ましい限りだと思います。
石垣の修復は大工事
上物の櫓や壁の修復もしなければならない。。。
でも、基礎にあたる石垣の修復には、
上物を一旦解体してから石垣を積み直し、再度櫓と壁を復旧するという事になります。
こうした状況から見ても、安全性から見ても、
当分、腹切丸の公開は見送られ続けていくのではないかと思います。
恐らくは・・・帯郭櫓・腹切丸・帯の櫓は、分解修復しますよね。
単なる漆喰塗替えの修復を今やったところで、
どの道、また解体修理が必要なら、このエリアの修復は延期。
そんな風に読み取ることもできます。
2017/07/10追記
平成29年度の修復が開始され「帯の櫓」が改修対象に入っています。
この事から石垣云々の問題はあるものの「帯の櫓」は分解せず、屋根修繕のみで進める模様です。
問題は上に載っている「帯郭櫓」ということになりそうですね。
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