「第一冊・村翁夜話集|播磨の地誌」福本勇次著『村翁夜話集』刊行会(1856年前後)
「村翁夜話集」は播磨地方の郷土史で近世播磨の地域社会を知る上で欠かせない
基礎的な情報を提供してくれる書物であると言われます。
特筆すべき内容として、執筆された時期の姫路城内の櫓・門などが細かく明細として記録されている点です。
この明細はこれまで「姫路市史」や「姫路城史」などでも参考・引用されて、
姫路城の歴史を知る重要な情報として利用されてきました。
尚、著者の「福本勇次」氏は姫路藩士で書かれたのは江戸末期の幕末嘉永の頃と言われます。
ここでは「村翁夜話集所収姫路城門櫓明細書」として明細部分各建造物が、
現存する建造物にどう対応しているのかを調べ、一覧化してご紹介します。
概要(見出し)
「村翁夜話集所収姫路城門櫓明細書」の記述例
「村翁夜話集所収姫路城門櫓明細書」には以下のように、
淡々と文字にてどのような櫓・門・塀などが存在していたのかを述べています。
以下は、天守周りを記述した部分の抜粋です。
例)『天守・水曲輪』|村翁夜話集所収姫路城門櫓明細書
いかがでしょうか、ここはまだ分かりやすい方ですが、
現在呼称されている名称とは違う名前で書かれています。
倉の間共七重 〇御天守初重 桁行拾五間三尺八寸、梁行拾一間半、
二重 御天守ヨリ丑寅ノ方小天守迄渡御櫓 桁行五間四尺五寸、梁行三間、
三重 同丑寅ノ方小天守 桁行三間半、梁行三間、
二重 同所ヨリ戌亥ノ方小天守迄渡御櫓 桁行十四間五尺一寸、梁行三間、
三重 同戌亥ノ方小天守 桁行五間一尺七寸、梁行五間、
二重 同所ヨリ南ノ方小天守迄渡御櫓 桁行四間二尺四寸、梁行三間、
三重 同南ノ方小天守 桁行四間二尺、梁行四間、
同下タ水ノ六御門 桁行二間、明キ七尺、
同外南ノ方水ノ五御門 桁行二間半、梁行二間、明キ七尺六寸、
同外西ノ方水四冠木御門 桁行一間二尺七寸、明キ六尺三寸、
同外西ノ方水三冠木御門 桁行一間一尺五寸、明キ五尺一寸、
同外北方水二冠木御門 桁行一間四尺八寸、明キ五尺八寸、
一重 同所西ノ方三ノ御櫓 桁行折廻五間半、梁行二間、
同所北ノ方水一冠木門 桁行一間四尺、明キ五尺五寸、
所々御塀合四拾四間一尺 但水一御門ヨリ御天守入口迄、(引用抜粋)第一冊・村翁夜話集|播磨の地誌 福本勇次著『村翁夜話集』刊行会-平成27年1月25日発行
この昔の呼名と、現在の呼名には長く錯誤が発生しています。
そうした錯誤を考慮して、当時の文献を参考に読み解くには、
まず現存している「村翁夜話集」を基準として考えていくと分かりやすくなります。
各曲輪・エリア別の現行名称との対比
以下のリンク先では対象エリアごとに村翁夜話集による記述と、
「江戸末期」の頃の名称が確認できます。
全文を確認するには最下部の「全文」でご確認いただけます。
「村翁夜話集」について
「村翁夜話集」について同書では以下のとおり述べています。
『村翁夜話集』解題 前田徹
はじめに
『村翁夜話集』は、近世姫路藩領の地誌であり、近世播磨の地域社会を知る上で欠かせない基礎的な情報を提供してくれる書物である。この解題では、『村翁夜話集』の概要と、成立年代や著者について若干の考察を行いたい。あわせて『村翁夜話集』の意義についてもいくつかの注目すべき記述を通して紹介してみたい。なお、以下では、「本書」とは『村翁夜話集』の原本を指し、本刊本自体は「この資料集」と表記することとする。
播磨の近世地誌としては、全域を扱ったものとして、平野庸脩著『播磨鑑』(播磨史籍刊行会、一九五八年)、天川友親編纂『播陽万宝知恵袋』(臨川書店、一九八八年)などがよく知られており、このほか個別の藩領にかかるものとして、いずれも未公刊の書物であるが、龍野藩領の「龍野志」(たつの市立龍野図書館など蔵)、明石藩領の『采邑私記』(無窮会神習文庫ほか蔵)なども比較的よく知られたものである。
『村翁夜話集』も、こうした近世地誌類とともに、たとえば『兵庫県飾磨郡史』(飾磨郡教育会、一九二七年)、『増訂印南郡史』(印南郡役所、一九一六年)などの近代における姫路周辺地域の郡史編纂や橋本政次『姫路城史』(姫路城史刊行会、一九五二年)をはじめとする数多くの郷土史・市域史研究、さらに『姫路市史』(姫路市、現在順次刊行中)などの自治体史類においても基礎史料の一つとして用いられ続けてきている。しかしながらこれまで本格的な翻刻紹介は行われてこなかった。このため、この資料集では、第一冊から第五冊までについて、全文を翻刻し紹介することとした。
一 底本
この資料集で用いた本書の底本は姫路市立城内図書館所蔵本(以下、城内図書館本と略称する)である。諸本については十分な調査が行えていないが、現在のところ、他に姫路市渡辺聡家所蔵本(以下、渡辺本と略称)、英賀神社所蔵本、射楯兵主神社所蔵本が知られている。しかし、いずれも抄録本や欠本であり、城内図書館が最善本とみることができる。
城内図書館本は和本全七冊からなる。いずれも堅・袋綴装、表紙、裏表紙には茶系の渋紙が用いられている。この資料集ではこのうち五冊分を翻刻紹介することとした。第一~五各冊の外題、内題、寸法と丁数はつぎのとおりである。なお、寸法は縦✖横(センチメートル)であり、丁数には白紙を含み、表紙は含まない。
- 第一冊 外題題箋「村翁夜話集 □□□」(寸法略)
- 第二冊 外題題箋「村翁夜話集 城主代々并墓銘/付碑銘之部」(寸法略)
- 第三冊 外題題箋「村翁夜話集 付録英城記」(寸法略)
- 第四冊 外題題箋「村翁夜話集 □□□□」(寸法略)
- 第五冊 外題題箋「村翁夜話集 付録/雑聞書」(寸法略)
各冊の巻頭・扉裏等には昭和二七年(一九五二)十二月二十三日付の図書館受入印が押されており、このころ同館の所蔵となったことがわかる。
また、各冊とも、巻頭に「姫路市立図書館蔵」の朱文方印と、これ以前の所蔵者の蔵書印がる。まず、第一冊~第五冊すべてに、「福本蔵書」(朱文楕円印)がある。そして第四冊のみ、これと別に「梨屋」(朱文方印)、「梨屋蔵書」(朱文方印)も捺されている(口絵参照)。これらの蔵書印については、本書の筆者に関する考察の中であらためて述べることとしたい。(以下略)
(引用抜粋)第一冊・村翁夜話集|播磨の地誌 福本勇次著『村翁夜話集』刊行会-平成27年1月25日発行
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尚「管No」が連番ではなく、飛んでいるのは、
その部分に一般的な順序として存在している建造物が、
「村翁夜話集」に記載されていない、又は、他の建造物とまとめて表記されている箇所になります。
例として、連立天守には「二の渡櫓(国宝)」が存在しています。
ですが「村翁夜話集」ではその部分に「御櫓(または、御渡櫓)」が記載されていません。
これは当時、この部分は「水ノ御五門」として「城門」として解釈されていた為です。
こうした現在との違いがあり、別記している部分は「管No」は連番ではありません。
その部分を確認するには、上記で紹介した各エリア別のリンク先をご確認ください。
管理 | 村翁夜話集原文 | 重層 | 村翁夜話名 | エリア | 現存 | 現名称 | 桁行 | 桁行(m:参考) | 梁行 | 梁行(m:参考) | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 倉の間共七重 〇御天守初重 桁行拾五間三尺八寸、梁行拾一間半、 | 7重 | 御天守 | 天守丸 | 現存 | 大天守 | 十五間三尺八寸 | 28.4 | 十五間三尺八寸 | 28.4 | 地階を「倉の間」と呼称の模様 |
2 | 二重 御天守ヨリ丑寅ノ方小天守迄渡御櫓 桁行五間四尺五寸、梁行三間、 | 2重 | 渡御櫓 | 天守丸 | 現存 | イの渡櫓(国宝) | 五間四尺五寸 | 10.5 | 三間 | 5.5 | - |
3 | 三重 同丑寅ノ方小天守 桁行三間半、梁行三間、 | 3重 | 小天守 | 天守丸 | 現存 | 東小天守 | 三間半 | 6.4 | 三間 | 5.5 | - |
4 | 二重 同所ヨリ戌亥ノ方小天守迄渡御櫓 桁行十四間五尺一寸、梁行三間、 | 2重 | 渡御櫓 | 天守丸 | 現存 | ロの渡櫓(国宝) | 十四間五尺一寸 | 27.0 | 三間 | 5.5 | - |
5 | 三重 同戌亥ノ方小天守 桁行五間一尺七寸、梁行五間、 | 3重 | 小天守 | 天守丸 | 現存 | 乾小天守 | 五間一尺七寸 | 9.6 | 五間 | 9.1 | - |
6 | 二重 同所ヨリ南ノ方小天守迄渡御櫓 桁行四間二尺四寸、梁行三間、 | 2重 | 渡御櫓 | 天守丸 | 現存 | ハの渡櫓(国宝) | 四間二尺四寸 | 8.0 | 三間 | 5.5 | - |
7 | 三重 同南ノ方小天守 桁行四間二尺、梁行四間、 | 3重 | 小天守 | 天守丸 | 現存 | 西小天守 | 四間二尺 | 7.9 | 四間 | 7.3 | - |
8 | 同下タ水ノ六御門 桁行二間、明キ七尺、 | - | 水ノ六御門 | 天守丸 | 現存 | 水の六門 | 二間 | 3.6 | - | 0.0 | - |
11 | 同外南ノ方水ノ五御門 桁行二間半、梁行二間、明キ七尺六寸、 | - | 水ノ五御門 | 天守丸 | 現存 | 水の五門 | 二間半 | 4.5 | 二間 | 3.6 | 「二の渡櫓(国宝)」は「水ノ御五門」として記載 |
12 | 同外西ノ方水四冠木御門 桁行一間二尺七寸、明キ六尺三寸、 | - | 水四冠木御門 | 水曲輪 | 現存 | 水の四門 | 一間二尺七寸 | 2.6 | - | 0.0 | - |
13 | 同外西ノ方水三冠木御門 桁行一間一尺五寸、明キ五尺一寸、 | - | 水三冠木御門 | 水曲輪 | 現存 | 水の三門 | 一間一尺五寸 | 2.3 | - | 0.0 | - |
14 | 同外北方水二冠木御門 桁行一間四尺八寸、明キ五尺八寸、 | - | 水二冠木御門 | 水曲輪 | 現存 | 水の二門 | 一間四尺八寸 | 3.3 | - | 0.0 | - |
15 | 一重 同所西ノ方三ノ御櫓 桁行折廻五間半、梁行二間、 | 1重 | 三ノ御櫓 | 水曲輪 | 現存 | ニの櫓 | 五間半 | 10.0 | 二間 | 3.6 | 「現:二の櫓」はここでは一重の「三ノ御櫓」と表記。 |
16 | 同所北ノ方水一冠木門 桁行一間四尺、明キ五尺五寸、 | - | 水一冠木門 | 水曲輪 | 現存 | 水の一門 | 一間四尺 | 3.0 | - | 0.0 | - |
17 | 所々御塀合四拾四間一尺 但水一御門ヨリ御天守入口迄、 | - | 御塀 | 水曲輪 | 現存 | 水の一門北方築地塀,二の櫓南方土塀,水の一門西方土塀,水の五門南方土塀 | 四十四間一尺 | 80.3 | - | 0.0 | - |
18 | 〇備前丸入口ヨリ二御櫓迄渡御櫓 桁行四間、梁行三間、 | - | 渡御櫓 | 備前丸 | 消失(跡) | - | 四間 | 7.3 | 三間 | 3.6 | 明治15年12月27日失火により消失。 |
19 | 二重 同二ノ御櫓 桁行三間半、梁行三間半、 | 2重 | 二ノ御櫓 | 備前丸 | 消失(跡) | - | 三間半 | 6.4 | 三間半 | 6.4 | 明治15年12月27日失火により消失。 |
20 | 同所ヨリ御対面所迄渡御櫓 桁行七間一尺、梁行四間、 | - | 渡御櫓 | 備前丸 | 消失(跡) | - | 七間一尺 | 13.0 | 四間 | 7.3 | 明治15年12月27日失火により消失。 |
21 | 同御対面所 桁行拾二間、梁行四間半、 | - | 御対面所 | 備前丸 | 消失(跡) | - | 十二間 | 21.8 | 四間半 | 8.2 | 明治15年12月27日失火により消失。 |
22 | 同続東ノ方回家 桁行三間半、梁行弐間、 | - | 回家 | 備前丸 | 消失(跡) | - | 三間半 | 6.4 | 二間 | 3.6 | 明治15年12月27日失火により消失。 |
23 | 同続同断 桁行三間半、梁行二間、 | - | 回家 | 備前丸 | 消失(跡) | - | 三間半 | 6.4 | 二間 | 3.6 | 明治15年12月27日失火により消失。 |
24 | 二階 同続南ノ方四ノ御櫓迄長局 桁行九間半、梁行三間、 | 2重 | 長局 | 備前丸 | 消失(跡) | - | 九間半 | 17.3 | 三間 | 5.5 | 明治15年12月27日失火により消失。 |
25 | 二重 同四ノ御櫓 桁行三間、梁行弐間半、 | 2重 | 四ノ御櫓 | 備前丸 | 消失(跡) | - | 三間 | 5.5 | 二間半 | 4.5 | 明治15年12月27日失火により消失。 |
26 | 二階 同所続東ノ方長局 桁行廿間一尺五寸、梁行三間、 | 2重 | 長局 | 備前丸 | 消失(跡) | - | 二十間一尺五寸 | 36.8 | 三間 | 5.5 | 明治15年12月27日失火により消失。 |
27 | 同 同所北ノ方回家同断 桁行四間、梁行三間、 | 2重 | 長局 | 備前丸 | 消失(跡) | - | 四間 | 7.3 | 三間 | 5.5 | 明治15年12月27日失火により消失。 |
28 | 同 同東ノ方回家同断 桁行四間半、梁行三間、 | 2重 | 長局 | 備前丸 | 消失(跡) | - | 四間半 | 8.2 | 三間 | 5.5 | 明治15年12月27日失火により消失。 |
29 | 二重 同所北ノ方五ノ御櫓 桁行三間、梁行同断、 | 2重 | 五ノ御櫓 | 備前丸 | 消失(跡) | - | 三間 | 5.5 | 三間 | 5.5 | 明治15年12月27日失火により消失。 |
30 | 同続北ノ方渡御櫓 桁行三間二尺、梁行三間、 | - | 渡御櫓 | 備前丸 | 消失(跡) | - | 三間二尺 | 6.1 | 三間 | 5.5 | 明治15年12月27日失火により消失。 |
31 | 同所東入口御門 桁行二間一尺、梁行一間五尺、明キ七尺二寸、クヽリ明キ三尺二寸、 | - | 東入口御門 | 備前丸 | 置換(復旧以外の再建) | 備前門 | 二間一尺 | 3.9 | 一間五尺 | 3.3 | 明治15年12月27日失火により消失。 |
32 | 同続北ノ方渡御櫓 桁行二間、梁行同断、 | - | 渡御櫓 | 備前丸 | 置換(復旧以外の再建) | 折廻り櫓 | 二間 | 3.6 | 二間 | 3.6 | 明治15年12月27日失火により消失。 |
33 | 同続西ノ方同断 桁行八間、梁行三間半、 | - | 渡御櫓 | 備前丸 | 現存 | 折廻り櫓 | 八間 | 14.5 | 三間半 | 6.4 | 明治15年12月27日失火により消失するも、部分的に残る。 |
34 | 同続南ノ方同断 桁行四間、梁行二間半、 | - | 渡御櫓 | 備前丸 | 消失(跡) | - | 四間 | 7.3 | 二間半 | 4.5 | 明治15年12月27日失火により消失。 |
35 | 同所御台(タイ)所入口 桁行二間、梁行一間唐破風 | - | 御台(タイ)所入口 | 備前丸 | 消失(跡) | - | 二間 | 3.6 | 一間 | 1.8 | 明治15年12月27日失火により消失。夜話集には「台所」とあるが「臺所(ミダイドコロ)」で「御臺所」は将軍などの妻を指し、輝政の室督姫がこれに住んでいたと言われる。 |
36 | 同御台所 桁行拾二間、梁行拾一間、 | - | 御台所 | 備前丸 | 消失(跡) | - | 十二間 | 21.8 | 十一間 | 20.0 | 明治15年12月27日失火により消失。夜話集には「台所」とあるが「臺所(ミダイドコロ)」で「御臺所」は将軍などの妻を指し、輝政の室督姫がこれに住んでいたと言われる。 |
37 | 同続上台所 桁行七間半、梁行五間半、 | - | 上台所 | 備前丸 | 消失(跡) | - | 七間半 | 13.6 | 五間半 | 10.0 | 明治15年12月27日失火により消失。夜話集には「台所」とあるが「臺所(ミダイドコロ)」で「御臺所」は将軍などの妻を指し、輝政の室督姫がこれに住んでいたと言われる。 |
38 | 同続西ノ方回家 桁行五間半、梁行三間、 | - | 回家 | 備前丸 | 消失(跡) | - | 五間半 | 10.0 | 三間 | 5.5 | 明治15年12月27日失火により消失。 |
39 | 同所雪隠壱ヶ所 弐間㈡一間弐尺 | - | 雪隠壱ヶ所 | 備前丸 | 消失(跡) | - | - | 0.0 | - | 0.0 | 明治15年12月27日失火により消失。 |
40 | 同壱ヶ所 弐間㈡壱間半 | - | 雪隠壱ヶ所 | 備前丸 | 消失(跡) | - | - | 0.0 | - | 0.0 | 明治15年12月27日失火により消失。 |
41 | 同所御塀拾三間五尺、 | - | 御塀 | 備前丸 | 消失(跡) | - | 十三間五尺 | 25.1 | - | 0.0 | 明治15年12月27日失火により消失。復元なし。 |
42 | 〇菱ノ御門 桁行十間半、梁行四間、明キ一丈三尺、クヽリ明キ三尺九寸、 | - | 菱ノ御門 | 二の丸 | 現存 | 菱の門 | 十間半 | 13.6 | 四間 | 7.3 | - |
43 | 同所左右御塀三拾七間、 | - | 御塀 | 二の丸 | 現存 | 菱の門東方土塀,菱の門西方土塀 | 三十七間 | 67.3 | - | 0.0 | - |
44 | 菱ノ御門内北ノ方 〇いノ冠木御門 桁行三間四尺、袖ノ間一間一尺五寸、明キ一丈五寸、クヽリ四尺、 | - | いノ冠木御門 | 二の丸 | 現存 | いの門 | 三間四尺 | 6.7 | - | 0.0 | - |
45 | 同所東ノ御塀弐拾八間、 | - | 御塀 | 二の丸 | 現存 | いの門東方土塀(一部) | 二十八間 | 50.9 | - | 0.0 | - |
46 | 同所井戸屋形 壱間半四方、 | - | 井戸屋形 | 二の丸 | 消失(跡) | - | - | 0.0 | - | 0.0 | - |
47 | いノ御門内北ノ方 〇ろノ冠木御門 桁行四間四尺六寸、袖ノ間一間弐尺、明キ一丈五寸、クヽリ四尺、 | - | ろノ冠木御門 | 二の丸 | 現存 | ろの門 | 四間四尺六寸 | 8.7 | - | 0.0 | - |
48 | 同所西ノ方瓦蔵 桁行五間四尺、梁行弐間五尺七寸、 | - | 瓦蔵 | 二の丸 | 消失(跡) | - | 五間四尺 | 10.3 | 二間五尺七寸 | 5.4 | - |
49 | 同所左右御塀七拾一間、但御門内北ノ方共二、 | - | 御塀 | 二の丸 | 現存 | ろの門西南方土塀(一部),ろの門東方土塀,はの門南方土塀,はの門東方土塀 | 七十一間 | 129.1 | - | 0.0 | - |
50 | ろノ御門北ノ方 〇はノ御門 桁行三間半、梁行一間弐尺五寸、明キ七尺五寸、クヽリ三尺一寸、 | - | はノ御門 | 乾曲輪 | 現存 | はの門 | 三間半 | 6.4 | 一間二尺五寸 | 2.6 | - |
51 | 同所西ノ方いノ御櫓迄渡御櫓 桁行六間、梁行三間、 | - | 渡御櫓 | 乾曲輪 | 消失(跡) | - | 三間半 | 6.4 | 三間 | 5.5 | - |
52 | 二重 同いノ御櫓 桁行三間弐尺、梁行三間、 | 2重 | いノ御櫓 | 乾曲輪 | 消失(跡) | - | 三間二尺 | 6.1 | 三間 | 5.5 | - |
53 | 同続東ノ方渡御櫓 桁行十五間、梁行三間一尺六寸、 | - | 渡御櫓 | 乾曲輪 | 消失(跡) | - | 十五間 | 27.3 | 三間一尺六寸 | 5.9 | - |
54 | 同所東ノ方御多門 桁行六間、梁行弐間一尺七寸、 | - | 御多門 | 乾曲輪 | 現存 | ロの櫓 | 六間 | 10.9 | 二間一尺七寸 | 4.2 | - |
55 | 同所南ノ方御土蔵 桁行三間、梁行二間、 | - | 御土蔵 | 乾曲輪 | 消失(跡) | - | 三間 | 5.5 | 二間 | 3.6 | - |
56 | 同所御塀三拾八間 但はノ御門東ノ方并北ノ方共二、 | - | 御塀 | 乾曲輪 | 現存 | はの門東方土塀(一部),はの門西方土塀,にの門東方下土塀,ロの櫓東方土塀,ロの櫓西方土塀 | 三十八間 | 69.1 | - | 0.0 | - |
548 | はノ御門北ノ方 〇にノ御門 桁行弐間弐尺五寸 梁行壱間四尺五寸 明キ六尺五寸 | - | にノ御門 | 西北腰曲輪 | 現存 | にの門 | ニ間ニ尺五寸 | 4.4 | 一間四尺五寸 | 3.2 | この項脱漏につき異本により補う(出典:姫路史14巻) |
549 | 同続西ノ方ろノ御櫓迄渡御櫓 桁行壱間四尺六寸 梁行弐間半 | - | 渡御櫓 | 西北腰曲輪 | 現存 | にの門 | 一間四尺六寸 | 3.2 | ニ間半 | 4.5 | この項脱漏につき異本により補う(出典:姫路史14巻) |
550 | 二重 同ろノ御櫓 桁行三間弐尺四寸 梁間弐尺五寸 | 2重 | ろノ御櫓 | 西北腰曲輪 | 現存 | にの門 | 三間ニ尺四寸 | 6.2 | ニ尺五寸 | 0.8 | この項脱漏につき異本により補う(出典:姫路史14巻) |
551 | 同続北ノ方はノ御櫓迄御多門 桁行九間五尺 梁行弐間五尺五寸 | - | 御多門 | 西北腰曲輪 | 消失(跡) | - | 九間五尺 | 17.9 | ニ間五尺五寸 | 5.3 | この項脱漏につき異本により補う(出典:姫路史14巻) |
552 | 二重 同はノ御櫓 桁行四尺一寸 梁行三間二尺六寸 | 2重 | はノ御櫓 | 西北腰曲輪 | 消失(跡) | - | 四尺一寸 | 1.2 | 三間二尺六寸 | 6.2 | この項脱漏につき異本により補う(出典:姫路史14巻) |
553 | 同続 東方御多門 桁行拾壱間四尺五寸 梁行弐間四尺 | - | 御多門 | 西北腰曲輪 | 消失(跡) | - | 十一間四尺五寸 | 21.4 | ニ間四尺 | 4.8 | この項脱漏につき異本により補う(出典:姫路史14巻) |
554 | 同所御塀 三拾八間弐尺 但 にノ御門東方并北方共 幅拾四間半 にノ御門外袖塀 | - | 御塀 | 西北腰曲輪 | 消失(跡) | - | 三十八間ニ尺 | 69.7 | 0.0 | この項脱漏につき異本により補う(出典:姫路史14巻) | |
57 | にノ御門内東ノ方 〇ほノ冠木御門 桁行壱間弐尺、明キ四尺八寸、 | - | ほノ冠木御門 | 北腰曲輪 | 現存 | ほの門 | 一間二尺 | 2.4 | - | 0.0 | - |
58 | 同所北ノ方にノ御櫓 桁行三間五尺、梁行四間弐尺八寸、 | - | にノ御櫓 | 北腰曲輪 | 現存 | イの渡櫓 | 三間五尺 | 7.0 | 四間二尺八寸 | 8.1 | - |
59 | 同続東ノ方御多門 桁行七間、内ニ井戸アリ、梁行三間二尺四寸、 | - | 御多門 | 北腰曲輪 | 現存 | ロの渡櫓 | 七間 | 12.7 | 三間二尺四寸 | 6.2 | 内に井戸あり |
555 | 同続東ノ方塩蔵 桁行拾五間弐尺 梁行三間弐尺六寸 | - | 塩蔵 | 北腰曲輪 | 現存 | ハの渡櫓 | 十五間二尺 | 27.9 | 三間二尺六寸 | 6.2 | この項脱漏につき異本により補う(出典:姫路史14巻)、別名「塩櫓」 |
60 | 同続ほノ御櫓 桁行五間半、梁行四間三尺五寸、 | - | ほノ御櫓 | 北腰曲輪 | 現存 | 二の渡櫓 | 五間半 | 10.0 | 四間三尺五寸 | 8.3 | - |
61 | 同続東ノ方御多門 桁行拾間、梁行四間半、 | - | 御多門 | 北腰曲輪 | 現存 | ホの櫓 | 十間 | 18.2 | 四間半 | 8.2 | 「村:御多門(61)」の位置の櫓に当たるが櫓の割り付けが現在と異なる。 |
62 | 同続南ノ方同断 桁行五間半、梁行三間、 | - | 御多門 | 北腰曲輪 | 現存 | ヘの渡櫓 | 五間半 | 10.0 | 三間 | 5.5 | - |
63 | 同所南ノ方へノ冠木御門 桁行壱間弐尺弐寸、袖ノ間一間一尺、 | - | へノ冠木御門 | 北腰曲輪 | 現存 | への門 | 一間二尺二寸 | 2.5 | - | 0.0 | - |
64 | 同所御塀拾五間一尺五寸 但ほノ御門北方并へノ御門東ノ方とも、 | - | 御塀 | 北腰曲輪 | 現存 | イの渡櫓南方土塀,への門西方土塀,への門東方土塀 | 十五間一尺五寸 | 27.7 | - | 0.0 | - |
65 | へノ冠木御門外東方 とノ御門 桁行三間一尺五寸、梁行一間五尺、明キ一丈一寸、クヽリ明キ弐尺一寸、 | - | とノ御門 | 搦手 | 現存 | との一門 | 三間 | 5.5 | 一間五尺 | 3.3 | - |
66 | 同続南ノ方御多門 桁行三間弐尺、梁行三間一尺、 | - | 御多門 | 搦手 | 現存 | トの櫓 | 三間二尺 | 6.1 | 三間一尺 | 5.8 | - |
67 | 同所外東ノ方とノニ冠木御門 桁行二間半、袖間五尺、明キ七尺、クヽリ二尺九寸、 | - | とノニ冠木御門 | 搦手 | 現存 | との二門 | 二間半 | 4.5 | - | 0.0 | - |
68 | 同 と三同断 桁行弐間、明キ六尺、 | - | と三冠木御門 | 搦手 | 消失(跡) | との三門 | 二間 | 3.6 | - | 0.0 | - |
69 | 同北方塩焇(マヽ)蔵 桁行二間六尺、梁行一間三尺五寸、但入口二枚扉、四方屋根地形トモ切石、 | - | 塩焇蔵 | 搦手 | 消失(跡) | - | 二間六尺 | 5.5 | 一間三尺五寸 | 2.9 | - |
70 | 同所東ノ方と四冠木御門 桁行二間弐尺二寸、袖間一間、明八尺四寸、クヽリ明三尺一寸、 | - | とノ四冠木御門 | 搦手 | 現存 | との四門 | 二間二尺二寸 | 4.3 | - | 0.0 | - |
71 | 同所御塀百二拾四間、但 とノ一御門外ヨリとノニ御門東長壁、但表通とノ三御門左右とも、 | - | 御塀 | 搦手 | 現存 | との一門東方土塀,との二門東方土塀,との四門西方土塀,との四門東方土塀 | 百二十四間 | 225.4 | - | 0.0 | - |
72 | とノ御門内南方 〇ちノ冠木御門 桁行弐間、明四尺一寸、 | - | ちノ冠木御門 | 東曲輪 | 現存 | ちの門 | 二間 | 3.6 | - | 0.0 | - |
73 | 同所北方御塀 五間、 | - | 御塀 | 東曲輪 | 現存 | トの櫓南方土塀 | 五間 | 9.1 | - | 0.0 | - |
74 | 同所東方御多門 桁行七間半、梁行四間、内二井戸アリ、 | - | 御多門 | 東曲輪 | 現存 | 井郭櫓 | 七間半 | 13.6 | 四間 | 7.3 | 内に井戸あり |
75 | 同所左右御塀 拾三間 | - | 御塀 | 東曲輪 | 現存 | 井郭櫓南方土塀 | 十三間 | 23.6 | - | 0.0 | - |
76 | 同所南方御多門 桁行六間半、梁行弐間半、 | - | 御多門 | 東曲輪 | 現存 | 帯の櫓 | 六間半 | 11.8 | 二間半 | 4.5 | - |
77 | 井戸曲輪入ル上 同所南方御多門 桁行十間、梁行四間一尺、 | - | 御多門 | 東曲輪 | 現存 | 帯の櫓 | 十間 | 18.2 | 四間一尺 | 7.6 | - |
78 | 同所南方御多門 桁行拾一間半、梁行三間、 | - | 御多門 | 東曲輪 | 現存 | 帯郭櫓 | 十一間半 | 20.9 | 三間 | 5.5 | - |
79 | 同所左右御塀 拾九間、 | - | 御塀 | 東曲輪 | 現存 | 帯郭櫓北方土塀 | 十九間 | 34.5 | - | 0.0 | - |
80 | 一重 同所西ノ方へノ御櫓 桁行五間、梁行弐間四尺五寸、 | 1重 | へノ御櫓 | 上山里曲輪 | 現存 | 太鼓櫓(への櫓) | 五間 | 9.1 | 二間四尺五寸 | 5.0 | - |
81 | 同続東ノ方曲家 桁行五間、梁行弐間、 | - | 曲家 | 上山里曲輪 | 現存 | 太鼓櫓(への櫓) | 五間 | 9.1 | 二間 | 3.6 | - |
82 | 同続北ノ方りノ冠木御門 桁行弐間四尺、袖間壱間、明キ八尺弐寸、クヽリ三尺二寸、 | - | りノ冠木御門 | 上山里曲輪 | 現存 | りの門 | 二間四尺 | 4.8 | - | 0.0 | - |
83 | 同所東ノ方御塀 拾六間、 | - | 御塀 | 上山里曲輪 | 現存 | 太鼓櫓北方土塀,太鼓櫓南方土塀 | 十六間 | 29.1 | - | 0.0 | - |
84 | りノ御門外 〇上山里東方御多門 桁行七間一尺五寸、梁行三間五尺、 | - | 御多門 | 上山里曲輪 | 置換(復旧以外の再建) | 太鼓櫓南方土塀 | 七間一尺五寸 | 13.2 | 三間五尺 | 7.0 | - |
85 | 同続南方とノ御櫓迄御多門 桁行拾五間、梁行三間、 | - | 御多門 | 上山里曲輪 | 置換(復旧以外の再建) | 太鼓櫓南方土塀 | 十五間 | 27.3 | 三間 | 5.5 | - |
86 | 二重 同とノ御櫓 桁行四間半、梁行三間 弐尺六寸、 | 2重 | とノ御櫓 | 上山里曲輪 | 置換(復旧以外の再建) | 太鼓櫓南方土塀 | 四間半 | 8.2 | 三間二尺六寸 | 6.2 | - |
87 | 同続西ノ方御多門 桁行弐間一尺弐寸、梁行弐間二尺五寸、 | - | 御多門 | 上山里曲輪 | 置換(復旧以外の再建) | 太鼓櫓南方土塀 | 二間一尺二寸 | 4.0 | 二間二尺五寸 | 4.4 | - |
88 | 同続御多門 桁行五間四尺、梁行弐間一尺五寸、 | - | 御多門 | 上山里曲輪 | 置換(復旧以外の再建) | 太鼓櫓南方土塀 | 五間四尺 | 10.3 | 二間一尺五寸 | 4.1 | - |
89 | 二重 同所西方ちノ御櫓 桁行四間半、梁行三間半、 | 2重 | ちノ御櫓 | 上山里曲輪 | 現存 | チの櫓 | 四間半 | 8.2 | 三間半 | 6.4 | - |
90 | 同続ぬノ御門迄折廻渡御櫓 桁行弐拾一間、梁行弐間五尺、 | - | 折廻渡御櫓 | 上山里曲輪 | 現存 | リの一渡櫓、リの二渡櫓、ぬの門 | 二十一間 | 38.2 | 二間五尺 | 5.2 | 「現:リの一渡櫓、リの二渡櫓」は「折廻渡櫓」と表記。 |
91 | (記述なし) | - | ぬノ御門 | 上山里曲輪 | 現存 | ぬの門 | - | 0.0 | - | 0.0 | 「ぬノ御門迄」の記述はあるが「ぬノ御門」の記述がない。「折廻渡御櫓」に含む扱いか。 |
92 | 同所々御塀 拾九間四尺、 | - | 御塀 | 上山里曲輪 | 現存 | 太鼓櫓南方土塀 | 十九間四尺 | 35.8 | - | 0.0 | - |
93 | ぬノ御門外西ノ方 〇るノ冠木御門 桁行五尺七寸、明キ三尺七寸、 | - | るノ冠木御門 | 二の丸 | 消失(跡) | るの門 | 五尺七寸 | 1.7 | - | 0.0 | - |
94 | 同所北ノ方をノ冠木御門 桁行弐間、袖ノ間一尺一寸、明キ八尺、 | - | をノ冠木御門 | 二の丸 | 消失(跡) | をの門跡 | 二間 | 3.6 | - | 0.0 | 明治15年2月1日失火により消失。 |
95 | 同所西ノ方りノ御櫓 桁行四間四尺五寸、梁行弐間六寸、 | - | りノ御櫓 | 二の丸 | 消失(跡) | をの門跡 | 四間四尺五寸 | 8.6 | 二間六寸 | 3.8 | 明治15年2月1日失火により消失。 |
96 | 同所西ノ方折廻御塀 弐拾四間一尺五寸、 | - | 折廻御塀 | 二の丸 | 現存 | いの門東方土塀(一部) | 二十四間一尺五寸 | 44.1 | - | 0.0 | - |
97 | 〇西の丸北入口冠木御門 桁行三間四尺七寸、袖間壱間、明キ八尺、クヽリ三尺五寸、 | - | 西の丸北入口冠木御門 | 西の丸 | 消失(跡) | 西の丸北門跡 | 三間四尺七寸 | 6.9 | - | 0.0 | - |
98 | 同所北方御化粧間 桁行八間半、梁行三間、 | - | 御化粧間 | 西の丸 | 現存 | 化粧櫓 | 八間半 | 15.5 | 三間 | 5.5 | - |
99 | 同続西ノ方ぬノ御櫓迄長局 桁行拾四間弐尺、梁行三間、 | - | 長局 | 西の丸 | 現存 | カの渡櫓 | 十四間二尺 | 26.1 | 三間 | 5.5 | - |
100 | 二重 同ぬノ御櫓 桁行四間一尺、梁行三間、 | 2重 | ぬノ御櫓 | 西の丸 | 現存 | ヌの櫓 | 四間一尺 | 7.6 | 三間 | 5.5 | - |
101 | 同続西ノ方長局折廻 桁行三拾二間、梁行三間、 | - | 長局折廻 | 西の丸 | 現存 | ヨの渡櫓(東部),ヨの渡櫓(中央部) | 三十二間 | 58.2 | 三間 | 5.5 | - |
102 | 同続同断長局 桁行弐間弐尺、梁行一間一尺五寸、 | - | 長局 | 西の丸 | 現存 | ヨの渡櫓(西部) | 二間二尺 | 4.2 | 一間一尺五寸 | 2.3 | - |
103 | 同続同断るノ御櫓迄長局 桁行拾間、梁行三間、 | - | 長局 | 西の丸 | 現存 | ヨの渡櫓(西部) | 十間 | 18.2 | 三間 | 5.5 | - |
104 | 同るノ御櫓 桁行三間四尺、梁行三間半、 | - | るノ御櫓 | 西の丸 | 現存 | ルの櫓 | 三間四尺 | 6.7 | 三間半 | 6.4 | - |
105 | 同続南ノ方御多門 桁行拾一間五尺、梁行三間、 | - | 御多門 | 西の丸 | 現存 | タの渡櫓 | 十一間五尺 | 21.5 | 三間 | 5.5 | - |
106 | 同続東ノ方御多門 桁行拾四間弐尺五寸、桁行弐間弐尺五寸、 | - | 御多門 | 西の丸 | 置換(復旧以外の再建) | ヲの櫓 | 十四間二尺五寸 | 26.2 | - | 0.0 | - |
107 | 同続東ノ方をノ御櫓迄渡御櫓 桁行三間、梁行弐間五尺、 | - | 渡御櫓 | 西の丸 | 消失(跡) | - | 三間 | 5.5 | 二間五尺 | 5.2 | 現在この廊下となっている部分は元の状態が残っていない為、復元できず昭和7年に設置された。 |
108 | 同をノ御櫓 桁行三間二尺五寸、梁行弐間弐尺五寸、 | - | をノ御櫓 | 西の丸 | 消失(跡) | - | 三間二尺五寸 | 6.2 | 二間二尺五寸 | 4.4 | - |
109 | 同続南方渡御櫓 桁行四間弐尺、梁行弐間半、 | - | 渡御櫓 | 西の丸 | 現存 | レの渡櫓 | 四間二尺 | 7.9 | 二間半 | 4.5 | - |
110 | 同続南方わノ御櫓迄御多門 桁行弐拾三間半、梁行弐間半、 | - | 御多門 | 西の丸 | 現存 | レの渡櫓 | 二十三間半 | 42.7 | 二間半 | 4.5 | - |
111 | 二重 同わノ御櫓 桁行三間半、梁行三間半、 | 2重 | わノ御櫓 | 西の丸 | 現存 | ワの櫓 | 三間半 | 6.4 | 三間半 | 6.4 | - |
112 | 同続東ノ方御多門 桁行五尺弐寸、梁行三間半、 | - | 御多門 | 西の丸 | 消失(跡) | - | 五尺二寸 | 1.6 | 三間半 | 6.4 | - |
113 | 同所東方かノ御櫓 桁行五間四尺、梁行三間半、 | - | かノ御櫓 | 西の丸 | 現存 | カの櫓 | 五間四尺 | 10.3 | 三間半 | 6.4 | - |
114 | 同続北方御多門 桁行弐間五尺、梁行三間半、 | - | 御多門 | 西の丸 | 消失(跡) | - | 二間五尺 | 5.2 | 三間半 | 6.4 | - |
115 | 同所北方西丸南入口冠木御門 桁行四間一尺五寸、袖間一間一尺、明キ一丈、クヽリ三尺七寸、 | - | 西丸南入口冠木御門 | 西の丸 | 消失(跡) | 西の丸南門跡 | 四間一尺五寸 | 7.7 | - | 0.0 | - |
116 | 同所々御塀 百弐拾六間半、但東南ノ方、 | - | 御塀 | 西の丸 | 現存 | ろの門西南方土塀,ワの櫓東方土塀,カの櫓北方土塀 | 百二十六間半 | 230.0 | - | 0.0 | - |
117 | 〇菱ノ御門外御塀 七拾八間、但檜御厩并下山里とも、 | - | 御塀 | 西の丸 | 消失(跡) | - | 七十八間 | 141.8 | - | 0.0 | 「檜御厩」の「檜」は「稜・榎」の可能性あり。明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
118 | 菱御門外南方 〇榎下冠木御門 桁行一間五尺、袖ノ間一間、明キ九尺、 | - | 榎下冠木御門 | 三の丸(西御屋敷) | 消失(跡) | - | 一間五尺 | 3.3 | - | 0.0 | 「榎下冠木御門」の「榎」は「稜・檜」の可能性あり。明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
119 | 同所西方鷺山口御門 桁行三間五尺、梁行弐間、明キ六尺八寸、クヽリ明キ三尺、 | - | 鷺山口御門 | 三の丸(西御屋敷) | 消失(跡) | - | 三間五尺 | 7.0 | 二間 | 3.6 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
120 | 同所北方冠木御門 桁行一間、明キ四尺、 | - | 冠木御門 | 三の丸(西御屋敷) | 消失(跡) | - | 一間 | 1.8 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
121 | 同所々御塀 拾八間 但檜下御門并鷺山口御門外とも、 | - | 御塀 | 三の丸(西御屋敷) | 消失(跡) | - | 十八間 | 32.7 | - | 0.0 | 「檜下御門」の「檜」は「稜・榎」の可能性あり。明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
122 | 〇御本丸西北ノ方角よノ御櫓 桁行七間、梁行弐間半 | - | よノ御櫓 | 三の丸(西御屋敷) | 消失(跡) | - | 七間 | 12.7 | 二間半 | 4.5 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
123 | 同続東方渡御櫓 桁行五間半、梁行弐間一尺、 | - | 渡御櫓 | 三の丸(西御屋敷) | 消失(跡) | - | 五間半 | 10.0 | 二間一尺 | 3.9 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
124 | 同よノ御櫓続南方たノ御櫓迄渡御櫓 桁行十六間半、梁行弐間五尺、 | - | 渡御櫓 | 三の丸(西御屋敷) | 消失(跡) | - | 十六間半 | 30.0 | 二間五尺 | 5.2 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
125 | 二重 同たノ御櫓 桁行五間、梁行三間五尺五寸、 | 2重 | たノ御櫓 | 三の丸(西御屋敷) | 消失(跡) | - | 五間 | 9.1 | 三間五尺五寸 | 7.1 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
126 | 同続南方渡御櫓 桁行九間五尺、梁行弐間四尺七寸、 | - | 渡御櫓 | 三の丸(西御屋敷) | 消失(跡) | - | 九間五尺 | 17.9 | 二間四尺七寸 | 5.1 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
127 | 同続南方れノ御櫓迄御多門 桁行三拾間、梁行弐間四尺七寸、 | - | 御多門 | 三の丸(西御屋敷) | 消失(跡) | - | 三十間 | 54.5 | 二間四尺七寸 | 5.1 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
128 | 同れノ御櫓 桁行四間三尺五寸、梁行三間弐尺四寸、 | - | れノ御櫓 | 三の丸(西御屋敷) | 消失(跡) | - | 四間三尺五寸 | 8.3 | 三間二尺四寸 | 6.2 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
129 | 同続東方御多門 桁行弐間五尺七寸、梁行弐間二尺、 | - | 御多門 | 三の丸(西御屋敷) | 消失(跡) | - | 二間五尺七寸 | 5.4 | 二間二尺 | 4.2 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
130 | 同東方そノ御櫓西方御多門 桁行七間弐尺七寸、梁行弐間五尺八寸、 | - | 御多門 | 三の丸(西御屋敷) | 消失(跡) | - | 七間二尺七寸 | 13.5 | 二間五尺八寸 | 5.4 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
131 | 二重 同そノ御櫓 桁行三間半、梁行三間、 | 2重 | そノ御櫓 | 三の丸(西御屋敷) | 消失(跡) | - | 三間半 | 6.4 | 三間 | 5.5 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
132 | 同続北方御多門 五尺二弐間、但御門下門明キ五尺、 | - | 御多門 | 三の丸(西御屋敷) | 消失(跡) | - | - | 0.0 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
133 | 同所東方つノ御櫓 桁行五間四尺、梁行三間半、 | - | つノ御櫓 | 三の丸(武蔵野御殿南) | 消失(跡) | - | 五間四尺 | 10.3 | 三間半 | 6.4 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
134 | 同所南通御塀 九拾六間、 | - | 御塀 | 三の丸(武蔵野御殿南) | 消失(跡) | - | 九十六間 | 174.5 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
135 | 同東方唐門 桁行五尺、梁行一間一尺五寸、明キ五尺、 | - | 唐門 | 三の丸(武蔵野御殿南) | 消失(跡) | - | 五尺 | 1.5 | 一間一尺五寸 | 2.3 | 別名「勅使門」、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
136 | 同所北方前ノ御門迄御土蔵 桁行十八間四尺五寸、梁行三間、 | - | 御土蔵 | 三の丸(武蔵野御殿南) | 消失(跡) | - | 十八間四尺五寸 | 34.1 | 三間 | 5.5 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
137 | 同前ノ御門 桁行五間四尺四寸、梁行弐間弐尺、明キ九尺八寸、クヽリ明四尺一寸、 | - | 前ノ御門 | 三の丸(武蔵野御殿南) | 消失(跡) | - | 五間四尺四寸 | 10.4 | 二間二尺 | 4.2 | 別名「玄関前門」、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
138 | 同所外冠木御門 桁行弐間、(-梁行-)袖ノ間一間、明キ一丈一尺九寸、 | - | 冠木御門 | 三の丸(武蔵野御殿南) | 消失(跡) | - | 二間 | 3.6 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
139 | 前ノ御門続北ノ方御長屋切手御門通折廻黒御門迄、同黒御門より御長屋西ノ方渡御櫓迄 桁行七十三間、梁行弐間二尺、 | - | 御長屋 | 三の丸(西長屋) | 消失(跡) | - | 七十三間 | 132.7 | 二間二尺 | 4.2 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
140 | 切手御門明六尺 桁行五拾四間、梁行弐間一尺五寸、黒御門明九尺五寸、クヽリ明キ三尺五寸、 | - | 切手御門 | 三の丸(西長屋) | 消失(跡) | - | 五十四間 | 98.2 | 二間一尺五寸 | 4.1 | 別名「台所前門」、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
141 | 〇切手御門外北ノ方御土蔵 桁行十間半、梁行四間、 | - | 御土蔵 | 三の丸(西長屋) | 消失(跡) | - | 十間半 | 19.1 | 四間 | 7.3 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
142 | 同続北ノ方新御門迄御土蔵 桁行十間半、梁行四間、 | - | 御土蔵 | 三の丸(西長屋) | 消失(跡) | - | 十間半 | 19.1 | 四間 | 7.3 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
143 | 同新御門 桁行十二間、梁行三間半、明キ一丈弐尺弐寸、クヽリ明キ四尺三寸、 | - | 新御門 | 三の丸(西長屋) | 消失(跡) | - | 十二間 | 21.8 | 三間半 | 6.4 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
144 | 同続北ノ方折廻除米御蔵 桁行四十五間、梁行三間半、 | - | 折廻除米御蔵 | 三の丸(西長屋) | 消失(跡) | - | 四十五間 | 81.8 | 三間半 | 6.4 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
145 | 〇切手御門外南方御長屋 桁行十一間、梁行弐間一尺五寸、 | - | 御長屋 | 三の丸(西長屋) | 消失(跡) | - | 十一間 | 20.0 | 十一間 | 20.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
146 | 同続北方冠木御門 桁行弐間二尺、明キ六尺五寸、 | - | 冠木御門 | 三の丸(西長屋) | 消失(跡) | - | 二間二尺 | 4.2 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
147 | 同続東方御厩 桁行八間、梁行三間一尺五寸、 | - | 御厩 | 三の丸(西長屋) | 消失(跡) | - | 八間 | 14.5 | 三間一尺五寸 | 5.9 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
148 | 同所南方長屋御門迄御厩 桁行四拾八間、梁行弐間一尺五寸、 | - | 御厩 | 三の丸(西長屋) | 消失(跡) | - | 四十八間 | 87.3 | 二間一尺五寸 | 4.1 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
149 | 同長屋御門 桁行四間半、袖間一間半、明キ一丈弐尺、クヽリ四尺一寸、 | - | 長屋御門 | 三の丸(西長屋) | 消失(跡) | - | 四間半 | 8.2 | - | 0.0 | 別名「長屋門」、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
150 | 同所内北ノ方御長屋 桁行十九間、梁行弐間半、内御門明キ八尺、クヽリ三尺、 | - | 御長屋 | 三の丸(西長屋) | 消失(跡) | - | 十九間 | 34.5 | 二間半 | 4.5 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
151 | 同所南方御長屋 桁行拾四間、梁行弐間半、 | - | 御長屋 | 三の丸(西長屋) | 消失(跡) | - | 十四間 | 25.5 | 二間半 | 4.5 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
152 | 同続東ノ方冠木御門 桁行三間、明キ六尺六寸、 | - | 冠木御門 | 三の丸(西長屋) | 消失(跡) | - | 三間 | 5.5 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
153 | 同所南方猿頭塀御門とも廿八間、門明キ五尺六寸、 | - | 猿頭塀御門 | 三の丸(西長屋) | 消失(跡) | - | 二十八間 | 50.9 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
154 | 三重 太鼓御櫓 桁行五間、梁行四間、 | 3重 | 太鼓御櫓 | 三の丸(西長屋) | 消失(跡) | - | 五間 | 9.1 | 四間 | 7.3 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
155 | 同続東方桐御門迄御多門 桁行拾二間、梁行三間弐尺、 | - | 御多門 | 三の丸(西長屋) | 消失(跡) | - | 十二間 | 21.8 | 三間二尺 | 6.1 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
156 | 〇同桐御門 桁行拾三間、梁行三間二尺、明キ一丈五尺五寸、クヽリ明キ五尺、 | - | 桐御門 | 三の丸(西長屋) | 消失(跡) | - | 十三間 | 23.6 | 三間二尺 | 7.0 | 別名「桐一ノ門」、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
157 | 同所西方冠木御門 桁行三間一尺五寸、明一丈三寸、クヽリ明三尺五寸、袖ノ間一間弐尺、 | - | 冠木御門 | 三の丸(大手) | 置換(復旧以外の再建) | 大手門(桐外門) | 三間一尺五寸 | 5.9 | - | 0.0 | 別名「桐二ノ門」、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失されるが、後に「大手門(桐外門)」が建てられる。但、復元ではない。 |
158 | 同所外桜冠木御門 桁行三間一尺五寸、袖ノ間一間一尺、明キ一丈三寸、クヽリ明キ三尺七寸、 | - | 桜冠木御門 | 三の丸(大手) | 消失(跡) | - | 三間一尺五寸 | 5.9 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
159 | 同所南方出番所 弐間㈡壱間半、 | - | 出番所 | 三の丸(大手) | 消失(跡) | - | - | 0.0 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
160 | 同所御塀 三拾四間半、但桐冠木御門左右・桜御門左右とも、 | - | 御塀 | 三の丸(大手) | 消失(跡) | - | 三十四間半 | 62.7 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
161 | 同所外御橋 長拾四間半、横三間六寸、 | - | 御橋 | 三の丸(大手) | 消失(跡) | - | - | 0.0 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
162 | 同所南方腰掛ヶ 桁行十五間、梁行三間、 | - | 腰掛ヶ | 三の丸(大手) | 消失(跡) | - | 十五間 | 27.3 | 三間 | 5.5 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
163 | 〇向御屋敷南方ねノ御櫓 桁行折廻九間半、梁行三間一尺五寸、 | - | ねノ御櫓 | 三の丸(大手) | 消失(跡) | - | 九間半 | 17.3 | 三間一尺五寸 | 5.9 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
164 | 二重 同所東方なノ御櫓 桁行五間三尺七寸、梁行四間半、 | 2重 | なノ御櫓 | 三の丸(大手) | 消失(跡) | - | 五間三尺七寸 | 10.2 | 四間半 | 8.2 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
165 | 同所東方らノ御櫓 桁行六間五尺、梁行五間半、 | - | らノ御櫓 | 三の丸(大手) | 消失(跡) | - | 六間五尺 | 12.4 | 五間半 | 10.0 | 西方不随する建屋不明。明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
166 | 同所西方御多門 桁行二間半、梁行四間一尺四寸、 | - | 御多門 | 三の丸(大手) | 消失(跡) | - | 二間半 | 4.5 | 四間一尺四寸 | 7.7 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
167 | 同続北方御多門 桁行三間七寸、梁行同断、 | - | 御多門 | 三の丸(大手) | 消失(跡) | - | 三間七寸 | 5.7 | 三間七寸 | 5.7 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
168 | 同所傘間 真柱三尺一寸角、桁行十間四尺五寸、梁行八間半、 | - | 傘間 | 三の丸(向屋敷) | 消失(跡) | - | 十間四尺五寸 | 19.5 | 八間半 | 15.5 | 真柱三尺一寸角の大広間。「唐笠間」とも。明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
169 | 同所西通御長屋 桁行六拾一間、梁行弐間半、内御門明キ八尺、クヽリ明キ三尺二寸、 | - | 西通御長屋 | 三の丸(向屋敷) | 消失(跡) | - | 六十一間 | 110.9 | 二間半 | 4.5 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
170 | 同続東ノ御長屋 桁行弐拾一間、梁行四間弐尺、 | - | 東ノ御長屋 | 三の丸(向屋敷) | 消失(跡) | - | 二十一間 | 38.2 | 四間二尺 | 7.9 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
171 | 右同断 桁行十七間一尺、梁行弐間四尺五寸、内御門明キ八尺七寸、クヽリ明キ三尺三寸、 | - | 東ノ御長屋 | 三の丸(向屋敷) | 消失(跡) | - | 十七間一尺 | 31.2 | 二間四尺五寸 | 5.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
172 | 同所々御塀 百九拾五間、但東南之方、 | - | 御塀 | 三の丸(向屋敷) | 消失(跡) | - | 百九十五間 | 354.5 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
173 | 〇上三方西ノ方御米蔵 桁行弐拾三間五尺、梁行三間半、 | - | 御米蔵 | 三の丸(上三方) | 消失(跡) | - | 二十三間五尺 | 43.3 | 三間半 | 6.4 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
174 | 同所東之方折廻御米蔵 桁行三拾四間半、梁行三間半、 | - | 折廻御米蔵 | 三の丸(上三方) | 消失(跡) | - | 三十四間半 | 62.7 | 三間半 | 6.4 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
175 | 〇御用米南方御米蔵 桁行拾六間、梁行弐間半、 | - | 御用米南方御米蔵 | 三の丸(御米蔵) | 消失(跡) | - | 十六間 | 29.1 | 二間半 | 4.5 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
176 | 同所西方御米蔵 桁行十間、梁行三間半、 | - | 御用米西方御米蔵 | 三の丸(御米蔵) | 消失(跡) | - | 十間 | 18.2 | 三間半 | 6.4 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
177 | 同所北方御米蔵 桁行弐拾七間半、梁行四間半、 | - | 御用米北方御米蔵 | 三の丸(御米蔵) | 消失(跡) | - | 二十七間半 | 50.0 | 四間半 | 8.2 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
178 | 同所東方御米蔵 桁行弐拾二間、梁行三間半、 | - | 御用米東方御米蔵 | 三の丸(御米蔵) | 消失(跡) | - | 二十二間 | 40.0 | 三間半 | 6.4 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
179 | 同所入口御門三ヶ所 桁行弐間一尺、明キ六尺、但入口とも、 | - | 入口御門三ヶ所 | 三の丸(御米蔵) | 消失(跡) | - | 二間一尺 | 3.9 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
180 | 同所々御塀 五拾五間、 | - | 御塀 | 三の丸(御米蔵) | 消失(跡) | - | 五十五間 | 100.0 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
181 | 〇菊御門 但表裏之分とも桁行拾間、内三間四方、三重御櫓、梁行六間半、明キ一丈三尺五寸、クヽリ明キ三尺五寸、 | - | 菊御門 | 三の丸(向屋敷) | 消失(跡) | - | 六間半 | 11.8 | 六間半 | 11.8 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
546 | 〇菊御門 但表裏之分とも桁行拾間、内三間四方、三重御櫓、梁行六間半、明キ一丈三尺五寸、クヽリ明キ三尺五寸、 | 3重 | 菊御門御櫓 | 三の丸(西御屋敷) | 消失(跡) | - | 六間半 | 11.8 | 六間半 | 11.8 | 明治7年兵営設置、姫路空襲等により撤去・消失。空襲は1945年6月22日と7月3日深夜から7月4日未明。 |
182 | 同所御番所 桁行三間半、梁行弐間半、 | - | 御番所 | 三の丸(向屋敷) | 消失(跡) | - | 三間半 | 6.4 | 二間半 | 4.5 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
183 | 同所冠木御門 桁行弐間、袖間一間一尺五寸、明キ九尺七寸、クヽリ明キ三尺五寸、 | - | 冠木御門 | 三の丸(向屋敷) | 消失(跡) | - | 二間 | 3.6 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
184 | 同所左右御塀外とも三拾三間、 | - | 御塀 | 三の丸(向屋敷) | 消失(跡) | - | 三十三間 | 60.0 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
185 | 菊御門東ノ方 二重 〇むノ御櫓 桁行六間、梁行四間、 | 2重 | むノ御櫓 | 三の丸(向屋敷) | 消失(跡) | - | 六間 | 10.9 | 四間 | 7.3 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
186 | 同所北方御塀 七拾五間、 | - | 御塀 | 三の丸(向屋敷) | 消失(跡) | - | 七十五間 | 136.4 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
187 | 〇御作事入口御門 桁行弐間半、明キ七尺五寸、 | - | 御作事入口御門 | 三の丸(御作事) | 消失(跡) | - | 二間半 | 4.5 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
188 | 同所御塀百拾七間一尺、但入口御門左右并東南折廻とも、 | - | 御塀 | 三の丸(御作事) | 消失(跡) | - | 百十七間一尺 | 213.0 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
189 | 〇絵図御門 桁行八間、梁行三間弐尺五寸、明キ一丈九寸、クヽリ明キ三尺九寸、 | - | 絵図御門 | 三の丸(御作事) | 消失(跡) | - | 八間 | 14.5 | 三間二尺五寸 | 6.2 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
190 | 同続東方うノ御櫓 桁行五間弐尺、梁行三間弐尺、 | - | うノ御櫓 | 三の丸(御作事) | 消失(跡) | - | 五間二尺 | 9.7 | 三間二尺 | 6.1 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
191 | 同続南方御多門 桁行五間弐尺、梁行弐間半、 | - | 御多門 | 三の丸(御作事) | 消失(跡) | - | 五間二尺 | 9.7 | 二間半 | 4.5 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
192 | 右同断、 桁行四間半、梁行四間、 | - | 御多門 | 三の丸(御作事) | 消失(跡) | - | 四間半 | 8.2 | 四間 | 7.3 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
193 | 同断御番所 桁行七間半、梁行弐間、 | - | 御番所 | 三の丸(御作事) | 消失(跡) | - | 七間半 | 13.6 | 二間 | 3.6 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
194 | 同所冠木御門 桁行三間半、袖ノ間壱間弐尺、明キ一丈六尺、クヽリ明キ四尺六寸、 | - | 冠木御門 | 三の丸(御作事) | 消失(跡) | - | 三間半 | 6.4 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
195 | 同所御番所 桁行四間、梁行弐間、 | - | 御番所 | 三の丸(御作事) | 消失(跡) | - | 四間 | 7.3 | 二間 | 3.6 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
196 | 同所内外御塀 五拾三間半、 | - | 御塀 | 三の丸(御作事) | 消失(跡) | - | 五十三間半 | 97.3 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
197 | 同所内外腰掛 桁行八間、梁行二間、 | - | 腰掛 | 三の丸(御作事) | 消失(跡) | - | 八間 | 14.5 | 二間 | 3.6 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
198 | 〇喜斎御門 桁行八間、梁行弐間四尺八寸、明キ一丈弐尺、 | - | 喜斎御門 | 東三の丸(喜斎門) | 消失(跡) | - | 八間 | 14.5 | 二間四尺八寸 | 5.1 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
199 | 同所御番所 桁行三間、梁行壱間半、 | - | 御番所 | 東三の丸(喜斎門) | 消失(跡) | - | 三間 | 5.5 | 一間半 | 2.7 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
200 | 〇下三方東ノ方御米蔵 桁行弐拾間、梁行四間半、 | - | 御米蔵 | 三の丸(下三方) | 消失(跡) | - | 二十間 | 36.4 | 四間半 | 8.2 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
201 | 同所西方御米蔵 桁行折廻廿六間、梁行四間半、 | - | 西方御米蔵 | 三の丸(下三方) | 消失(跡) | - | 二十六間 | 47.3 | 四間半 | 8.2 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
202 | 〇内船場御米蔵 桁行拾四間、梁行四間半、 | - | 内船場御米蔵 | 三の丸(下三方) | 消失(跡) | - | 十四間 | 25.5 | 四間半 | 8.2 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
203 | 同所北方御米蔵 桁行拾三間、梁行四間半、 | - | 北方御米蔵 | 三の丸(下三方) | 消失(跡) | - | 十三間 | 23.6 | 四間半 | 8.2 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
204 | 二重 同所南方ゐノ御櫓 桁行四間五尺、梁行三間四尺、 | 2重 | ゐノ御櫓 | 三の丸(下三方) | 消失(跡) | - | 四間五尺 | 8.8 | 三間四尺 | 6.7 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
205 | 同所々御塀弐百三間 但喜斎御門左右、下三方入口御門左右、ゐノ御櫓左右、内船場御蔵北方とも、 | - | 御塀 | 三の丸(下三方) | 消失(跡) | - | 二百三間 | 369.1 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
206 | 喜斎御門内西方 〇冠木御門 桁行弐間八尺、袖ノ間壱間一尺、明キ七尺五寸、クヽリ明キ三尺、 | - | 冠木御門 | 東三の丸(喜斎門) | 消失(跡) | - | 二間八尺 | 6.1 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
207 | 同所北方八頭御門 桁行七間半、梁行弐間、明キ九尺二寸、 | - | 八頭御門 | 東三の丸(喜斎門) | 消失(跡) | - | 七間半 | 13.6 | 二間 | 3.6 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
208 | 同続西方御多門 桁行弐間半、梁行三間一尺、 | - | 御多門 | 東三の丸(喜斎門) | 消失(跡) | - | 二間半 | 4.5 | 三間一尺 | 5.8 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
209 | 同所御塀 七拾間四尺五寸 但 但八頭御門左右并冠木御門左右とも、 | - | 御塀 | 東三の丸(喜斎門) | 消失(跡) | - | 七十間四尺五寸 | 128.6 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
210 | 八頭御門北ノ方 三重〇のノ御櫓 桁行五間四尺五寸、梁行三間半、 | 3重 | のノ御櫓 | 東勢隠 | 消失(跡) | - | 五間四尺五寸 | 10.5 | 三間半 | 6.4 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
211 | 同続東方御多門 桁行二間、梁行二間二尺二寸、 | - | 御多門 | 東勢隠 | 消失(跡) | - | 二間 | 3.6 | 二間二尺二寸 | 4.3 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
212 | 同所左右御塀 弐百七拾間半、但西ノ方勢隠御門迄、 | - | 御塀 | 東勢隠 | 消失(跡) | - | 二百七十間半 | 491.8 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
213 | 同所北ノ方勢隠御門 桁行八間四尺、梁行弐間半、明キ八尺三寸、クヽリ明キ三尺、 | - | 北ノ方勢隠御門 | 北勢隠 | 消失(跡) | - | 八間四尺 | 15.8 | 二間半 | 4.5 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
214 | 同所冠木御門 桁行一間四尺、袖ノ間一間、明キ八尺、 | - | 冠木御門 | 北勢隠 | 消失(跡) | - | 一間四尺 | 3.0 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
215 | 同所々御塀 弐拾間四尺五寸 但勢隠御門西ノ方并冠木御門左右、外東ノ方とも、 | - | 御塀 | 北勢隠 | 消失(跡) | - | 二十間四尺五寸 | 37.7 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
216 | 二重 同所西方おノ御櫓 桁行五間三尺七寸、梁行四間半、 | 2重 | おノ御櫓 | 北勢隠 | 消失(跡) | - | 五間三尺七寸 | 10.2 | 四間半 | 8.2 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
217 | 同続東方御多門 桁行三間、梁行三間弐尺五寸、 | - | 御多門 | 北勢隠 | 消失(跡) | - | 三間 | 5.5 | 三間二尺五寸 | 6.2 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
218 | 同続西方御多門 桁行二間一尺、梁行三間半、 | - | 御多門 | 北勢隠 | 消失(跡) | - | 二間一尺 | 3.9 | 三間半 | 6.4 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
219 | 同所より南方勢隠御門迄御塀 百三拾七間、 | - | 御塀 | 北勢隠 | 消失(跡) | - | 百三十七間 | 249.1 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
220 | 同勢隠御門 桁行七間一尺五寸、梁行弐間五尺五寸、明キ一丈四寸、クヽリ明キ四尺、 | - | 勢隠御門 | 南勢隠 | 消失(跡) | - | 七間一尺五寸 | 13.2 | 二間五尺五寸 | 5.3 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
221 | 同続西方御多門 桁行六間、梁行一間四尺、 | - | 御多門 | 南勢隠 | 消失(跡) | - | 六間 | 10.9 | 一間四尺 | 3.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
222 | 右同断 桁行四間弐尺七寸、梁行弐間五尺、 | - | 御多門 | 南勢隠 | 消失(跡) | - | 四間二尺七寸 | 8.1 | 二間五尺 | 5.2 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
223 | 同所より西方市ノ橋御門迄 御塀百弐拾四間半、 | - | 御塀 | 勢隠 | 消失(跡) | - | 百二十四間半 | 226.3 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
224 | 〇市橋御門 桁行八間四尺、梁行弐間半、明キ一丈五寸、クヽリ明キ三尺五寸、 | - | 市橋御門 | 市橋御門 | 消失(跡) | - | 八間四尺 | 15.8 | 二間半 | 4.5 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
225 | 同所御番所 桁行四間半、梁行弐間弐尺五寸、 | - | 御番所 | 市橋御門 | 消失(跡) | - | 四間半 | 8.2 | 二間二尺五寸 | 4.4 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
226 | 同所冠木御門 桁行三間、袖間一間一尺五寸、明キ一丈、クヽリ明キ三尺五寸、 | - | 冠木御門 | 市橋御門 | 消失(跡) | - | 三間 | 5.5 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
227 | 同続南方出番所 桁行弐間一丈、梁行一間半、 | - | 出番所 | 市橋御門 | 消失(跡) | - | 二間一丈 | 6.7 | 一間半 | 2.7 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
228 | 同所左右御塀 弐拾九間半、 | - | 御塀 | 市橋御門 | 消失(跡) | - | 二十九間半 | 53.6 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
229 | 同所外御塀 長拾一間半、横三間、 | - | 御塀 | 市橋御門 | 消失(跡) | - | 十一間半 | 20.9 | 三間 | 5.5 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
230 | 市ノ橋御門西より車御門迄御塀 百八拾一間半、 | - | 御塀 | 市橋御門 | 消失(跡) | - | 百八十一間半 | 330.0 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
231 | 〇車御門 桁行九間半、梁行三間弐尺五寸、明キ一丈五尺一寸、クヽリ明キ五尺一寸、 | - | 車御門 | 車御門 | 消失(跡) | - | 九間半 | 17.3 | 三間二尺五寸 | 6.2 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
232 | 同続北方御多門 桁行弐間半、梁行弐間半、 | - | 御多門 | 車御門 | 消失(跡) | - | 二間半 | 4.5 | 二間半 | 4.5 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
233 | 同所冠木御門二ヶ所 桁行三間、袖ノ間一間弐尺、明キ一丈弐寸、クヽリ明キ三尺弐寸、 | - | 冠木御門二ヶ所 | 車御門 | 消失(跡) | - | 三間 | 5.5 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
234 | 同所出番所 桁行弐間一尺、梁行一間半、 | - | 出番所 | 車御門 | 消失(跡) | - | 二間一尺 | 3.9 | 一間半 | 2.7 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
235 | 同所車道冠木御門 桁行弐間弐尺、袖ノ間一間二尺、明キ一丈二寸、 | - | 車道冠木御門 | 車御門 | 消失(跡) | - | 二間二尺 | 4.2 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
236 | 同所御塀 三拾間四尺五寸、但 冠木御門左右并出番所東ノ方とも、 | - | 御塀 | 車御門 | 消失(跡) | - | 三十間四尺五寸 | 55.9 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
237 | 同所外御橋 長拾一間一尺五寸、横三間一尺、 | - | 御橋 | 車御門 | 消失(跡) | - | - | 0.0 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
238 | 車御門南より埋御門御櫓迄御塀 七拾弐間弐尺、 | - | 御塀 | 車御門 | 消失(跡) | - | 七十二間二尺 | 131.5 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
239 | 〇埋御門御櫓 桁行五間半、梁行四間二尺五寸、 | - | 埋御門御櫓 | 埋御門 | 消失(跡) | - | 五間半 | 10.0 | 四間二尺五寸 | 8.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
240 | 同続北ノ方御多門 桁行三間半、梁行弐間五尺、 | - | 御多門 | 埋御門 | 消失(跡) | - | 三間半 | 6.4 | 二間五尺 | 5.2 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
241 | 同続東方御多門 桁行三間、梁行弐間五尺、 | - | 御多門 | 埋御門 | 消失(跡) | - | 三間 | 5.5 | 二間五尺 | 5.2 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
242 | 同所東方埋御門 桁行弐間半、梁行一間一尺五寸、明キ九尺五寸、クヽリ明キ三尺二寸、 | - | 埋御門 | 埋御門 | 消失(跡) | - | 二間半 | 4.5 | 一間一尺五寸 | 2.3 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
243 | 同所冠木御門 桁行弐間半、袖ノ間一間一尺、明キ八尺、クヽリ明キ三尺五寸、 | - | 冠木御門 | 埋御門 | 消失(跡) | - | 二間半 | 4.5 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
244 | 同左右御塀 三拾五間半、埋御門上とも、 | - | 御塀 | 埋御門 | 消失(跡) | - | 三十五間半 | 64.5 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
245 | 〇鵰御門 桁行七間半、梁行弐間四尺、明キ一丈四尺、クヽリ明キ四尺八寸、 | - | 鵰御門 | 鵰御門 | 消失(跡) | - | 七間半 | 13.6 | 二間四尺 | 4.8 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
246 | 同所御番所 桁行四間、梁行弐間、 | - | 御番所 | 鵰御門 | 消失(跡) | - | 四間 | 7.3 | 二間 | 3.6 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
247 | 同所冠木御門 桁行三間、袖ノ間一間二尺、明キ一丈、クヽリ明キ三尺、 | - | 冠木御門 | 鵰御門 | 消失(跡) | - | 三間 | 5.5 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
248 | 同所々御塀 六拾五間五尺、但 御門左右并冠木御門左右とも、 | - | 御塀 | 鵰御門 | 消失(跡) | - | 六十五間五尺 | 119.7 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
249 | 〇中ノ御門 桁行九間、梁行三間弐尺、明キ一丈弐尺、クヽリ明キ五尺、 | - | 中ノ御門 | 中ノ御門 | 消失(跡) | - | 九間 | 16.4 | 三間二尺 | 6.1 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
250 | 同続南方御櫓 桁行四間半、梁行三間弐尺、 | - | 御櫓 | 中ノ御門 | 消失(跡) | - | 四間半 | 8.2 | 三間二尺 | 6.1 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
251 | 同所御番所 桁行四間半、梁行弐間一尺、 | - | 御番所 | 中ノ御門 | 消失(跡) | - | 四間半 | 8.2 | 二間一尺 | 3.9 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
252 | 同所冠木御門 桁行三間一尺、袖ノ間一間二尺、明キ一丈三寸、クヽリ明キ三尺七寸、 | - | 冠木御門 | 中ノ御門 | 消失(跡) | - | 三間一尺 | 5.8 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
253 | 同所御番所 桁行一間四尺、梁行一間、 | - | 御番所 | 中ノ御門 | 消失(跡) | - | 一間四尺 | 3.0 | 一間 | 1.8 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
254 | 同所々御塀 百五拾間、但 御門左右并冠木御門左右外とも、 | - | 御塀 | 中ノ御門 | 消失(跡) | - | 百五十間 | 272.7 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
255 | 〇総社御門 桁行拾間、梁行三間五尺、明キ一丈五尺二寸、クヽリ明キ五尺五寸、 | - | 総社御門 | 総社御門 | 消失(跡) | - | 十間 | 18.2 | 三間五尺 | 7.0 | 別名「惣社門」、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
256 | 同続西方御多門 桁行弐間弐尺、梁行三間弐尺、 | - | 御多門 | 総社御門 | 消失(跡) | - | 二間二尺 | 4.2 | 三間二尺 | 6.1 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
257 | 同所御番所 桁行四間半、梁行三間弐尺、 | - | 御番所 | 総社御門 | 消失(跡) | - | 四間半 | 8.2 | 三間二尺 | 6.1 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
258 | 同所冠木御門 桁行弐間五尺五寸、袖ノ間壱間二尺五寸、明キ九尺三寸、クヽリ明キ三尺三寸、 | - | 冠木御門 | 総社御門 | 消失(跡) | - | 二間五尺五寸 | 5.3 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
259 | 同所御番所 桁行一間四尺、梁行一間、 | - | 御番所 | 総社御門 | 消失(跡) | - | 一間四尺 | 3.0 | 一間 | 1.8 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
260 | 同所々御塀 八拾七間半、 但 御門左右并冠木御門左右とも、 | - | 御塀 | 総社御門 | 消失(跡) | - | 八十七間半 | 159.1 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
261 | 〇鳥居先御門 桁行三間、梁行一間一尺、明七尺五寸、クヽリ明キ三尺一寸、 | - | 鳥居先御門 | 鳥居先御門 | 消失(跡) | - | 三間 | 5.5 | 一間一尺 | 2.1 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
262 | 同所御番所 桁行弐間一尺、梁行一間半、 | - | 御番所 | 鳥居先御門 | 消失(跡) | - | 二間一尺 | 3.9 | 一間半 | 2.7 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
263 | 同 桁行弐間、梁行一間、 | - | 御番所 | 鳥居先御門 | 消失(跡) | - | 二間 | 3.6 | 一間 | 1.8 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
264 | 同所外御橋 長九間半、横弐間一尺、 | - | 御橋 | 鳥居先御門 | 消失(跡) | - | - | 0.0 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
265 | 同所冠木御門 桁行二間半、明七尺八寸、 | - | 冠木御門 | 鳥居先御門 | 消失(跡) | - | 二間半 | 4.5 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
266 | 同所御塀 八拾間、但 御門左右并冠木御門左右とも、 | - | 御塀 | 鳥居先御門 | 消失(跡) | - | 八十間 | 145.4 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
267 | 〇内京口御門 桁行八間四尺、梁行三間弐尺八寸、明キ一丈四尺五寸、クヽリ明キ四尺八寸、 | - | 内京口御門 | 内京口御門 | 消失(跡) | - | 八間四尺 | 15.8 | 三間二尺八寸 | 6.3 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
268 | 同所御番所 桁行五間半、梁行弐間半、 | - | 御番所 | 内京口御門 | 消失(跡) | - | 五間 | 9.1 | 二間半 | 4.5 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
269 | 同所冠木御門 桁行三間、袖ノ間一間一尺、明一丈、クヽリ明三尺三寸、 | - | 冠木御門 | 内京口御門 | 消失(跡) | - | 三間 | 5.5 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
270 | 同所々御塀 百弐拾三間、但 御門左右并冠木御門左右とも、 | - | 御塀 | 内京口御門 | 消失(跡) | - | 百二十三間 | 223.6 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
271 | 〇九長御門 桁行八間四尺、梁行三間弐尺八寸、明キ一丈五寸、クヽリ明キ五尺三寸、 | - | 九長御門 | 九長御門 | 消失(跡) | - | 八間四尺 | 15.8 | 三間二尺八寸 | 6.3 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
272 | 同御番所 桁行四間半、梁行弐間一尺、 | - | 御番所 | 九長御門 | 消失(跡) | - | 四間半 | 8.2 | 二間一尺 | 3.9 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
273 | 同冠木御門 桁行三間、袖ノ間一間一尺、明一丈、クヽリ明三尺四寸、 | - | 冠木御門 | 九長御門 | 消失(跡) | - | 三間 | 5.5 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
274 | 同所々御塀 四拾九間、但 御門左右并冠木御門左右とも、 | - | 御塀 | 九長御門 | 消失(跡) | - | 四十九間 | 89.1 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
275 | 〇野里御門 桁行七間四尺五寸、梁行三間一尺五寸、明一丈三尺四寸、クヽリ明四尺二寸、 | - | 野里御門 | 野里御門 | 消失(跡) | - | 七間四尺五寸 | 14.1 | 三間一尺五寸 | 5.9 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
276 | 同所御番所 桁行四間、梁行弐間、 | - | 御番所 | 野里御門 | 消失(跡) | - | 四間 | 7.3 | 二間 | 3.6 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
277 | 同所冠木御門 桁行二間五尺八寸、袖ノ間一間二尺、明一丈三寸、クヽリ明三尺五寸、 | - | 冠木御門 | 野里御門 | 消失(跡) | - | 二間五尺八寸 | 5.4 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
278 | 同所々御塀 八拾五間、但 御門左右并冠木御門左右とも、 | - | 御塀 | 野里御門 | 消失(跡) | - | 八十五間 | 154.5 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
279 | 〇清水御門 桁行拾間、梁行三間半、明キ一丈三尺五寸、クヽリ三尺三寸、 | - | 清水御門 | 清水御門 | 消失(跡) | - | 十間 | 18.2 | 三間半 | 6.4 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
280 | 同所御番所 桁行四間、梁行弐間弐尺、 | - | 御番所 | 清水御門 | 消失(跡) | - | 四間 | 7.3 | 二間二尺 | 4.2 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
281 | 同所冠木御門 桁行弐間五尺三寸、袖ノ間壱間弐尺、明キ一丈、クヽリ三尺三寸、 | - | 冠木御門 | 清水御門 | 消失(跡) | - | 二間五尺三寸 | 5.2 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
282 | 同所外御橋 長拾壱間一尺八寸、横三間一尺、 | - | 御橋 | 清水御門 | 消失(跡) | - | - | 0.0 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
283 | 同所々御塀 百三拾七間一尺五寸、御門左右并冠木御門左右 南方おノ御櫓下迄、 | - | 御塀 | 清水御門 | 消失(跡) | - | 百三十七間一尺五 | 249.5 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
284 | 〇竹之御門 桁行一間一尺、袖ノ間一間、明キ八尺七寸、 | - | 竹之御門 | 竹之御門 | 消失(跡) | - | 一間一尺 | 2.1 | - | 0.0 | 別名「他家ノ御門」、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
285 | 同所御番所 桁行弐間、梁行壱間壱尺、 | - | 御番所 | 竹之御門 | 消失(跡) | - | 二間 | 3.6 | 一間一尺 | 2.1 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
286 | 同所土橋 長弐間、両方築出石垣弐間宛、 | - | 土橋 | 竹之御門 | 消失(跡) | - | - | 0.0 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
287 | 〇外京口御門 桁行__(マヽ)、梁行三間半、明一丈三尺、クヽリ明キ五尺、※空白部表記不明 | - | 外京口御門 | 外京口御門 | 消失(跡) | - | __ | 0.0 | 三間半 | 6.4 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
288 | 二重 同続東方御櫓 桁行四間弐尺、梁行三間、 | 2重 | 御櫓 | 外京口御門 | 消失(跡) | - | 四間二尺 | 7.9 | 三間 | 5.5 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
289 | 同続門西方御多門 桁行一間半、梁行一間五尺、※「同続門西方」他と表記異なる。 | - | 御多門 | 外京口御門 | 消失(跡) | - | 一間半 | 2.7 | 一間五尺 | 3.3 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
290 | 同所御番所 桁行四間弐尺、梁行弐間一尺、 | - | 御番所 | 外京口御門 | 消失(跡) | - | 四間二尺 | 7.9 | 二間一尺 | 3.9 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
291 | 同冠木御門 桁行三間二尺五寸、袖ノ間一間二尺七寸、明キ一丈一尺一寸、クヽリ明キ三尺八寸、 | - | 冠木御門 | 外京口御門 | 消失(跡) | - | 三間二尺五寸 | 6.2 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
292 | 同御番所 桁行弐間、梁行一間半、 | - | 御番所 | 外京口御門 | 消失(跡) | - | 二間 | 3.6 | 一間半 | 2.7 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
293 | 同外御橋 長六間弐尺、横三間、 | - | 御橋 | 外京口御門 | 消失(跡) | - | - | 0.0 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
294 | 同所々御塀 六十一間、但 御門左右并冠木御門左右とも、 | - | 御塀 | 外京口御門 | 消失(跡) | - | 六十一間 | 110.9 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
295 | 〇北条御門 桁行七間、梁行弐間、明キ壱丈弐尺、クヽリ明キ四尺七寸、 | - | 北条御門 | 北条御門 | 消失(跡) | - | 七間 | 12.7 | 二間 | 3.6 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
296 | 同続南方櫓 桁行六間半、梁行弐間半、 | - | 櫓 | 北条御門 | 消失(跡) | - | 六間半 | 11.8 | 二間半 | 4.5 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
297 | 同所御番所 桁行四間、梁行弐間、 | - | 御番所 | 北条御門 | 消失(跡) | - | 四間 | 7.3 | 二間 | 3.6 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
298 | 同所外御塀 四拾四間半、 | - | 御塀 | 北条御門 | 消失(跡) | - | 四十四間半 | 80.9 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
299 | 〇飾万津御門 桁行十二間、梁行二間半、明キ一丈二尺二寸、クヽリ四尺二寸、 | - | 飾万津御門 | 飾万津御門 | 消失(跡) | - | 十二間 | 21.8 | 二間半 | 4.5 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
300 | 同続北ノ方御多門 桁行一間、梁行弐間、 | - | 御多門 | 飾万津御門 | 消失(跡) | - | 一間 | 1.8 | 二間 | 3.6 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
301 | 同所御番所 桁行五間半、梁行弐間弐尺、 | - | 御番所 | 飾万津御門 | 消失(跡) | - | 五間半 | 10.0 | 二間二尺 | 4.2 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
302 | 同所外御塀 弐拾弐間四尺、 | - | 御塀 | 飾万津御門 | 消失(跡) | - | 二十二間四尺 | 41.2 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
303 | 〇福中御門 桁行八間四尺、梁行弐間四尺五寸、明キ一丈三尺、クヽリ明キ五尺二寸、 | - | 福中御門 | 福中御門 | 消失(跡) | - | 八間四尺 | 15.8 | 二間四尺五寸 | 5.0 | 別名(旧名)「備前門」、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
304 | 同続西方御櫓 桁行五間、梁行三間半、 | - | 御櫓 | 福中御門 | 消失(跡) | - | 五間 | 9.1 | 三間半 | 6.4 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
305 | 同続北方御多門 桁行一間弐尺五寸、梁行弐間半、 | - | 御多門 | 福中御門 | 消失(跡) | - | 一間二尺五寸 | 2.6 | 二間半 | 4.5 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
306 | 同続東方御番所 桁行四間半、梁行弐間、但庇とも、 | - | 御番所 | 福中御門 | 消失(跡) | - | 四間半 | 8.2 | 二間 | 3.6 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
307 | 同所南方出番所 桁行三間一尺、梁行弐間、 | - | 出番所 | 福中御門 | 消失(跡) | - | 三間一尺 | 5.8 | 二間 | 3.6 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
308 | 同所冠木御門 桁行三間二尺、袖ノ間一間二尺七寸、明一丈一尺一寸、クヽリ明三尺八寸、 | - | 冠木御門 | 福中御門 | 消失(跡) | - | 三間二尺 | 6.1 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
309 | 同所外御橋 長拾一間五尺、横三間一尺、 | - | 御橋 | 福中御門 | 消失(跡) | - | - | 0.0 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
310 | 同所々御塀 百拾間四尺 御門左右并冠木御門より埋御門御櫓下迄、同出番所より獄屋南通りとも | - | 御塀 | 福中御門 | 消失(跡) | - | 百十間四尺 | 201.2 | - | 0.0 | 明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。 |
311 | 〇外船場御米蔵 桁行弐拾九間、梁行四間、 | - | 外船場御米蔵 | 外船場御米蔵 | 消失(跡) | - | 二十九間 | 52.7 | 四間 | 7.3 | - |
312 | 〇男山塩焇(マヽ)蔵 桁行拾一間、梁行三間、 | - | 男山塩焇蔵 | 男山塩焇蔵 | 消失(跡) | - | 十一間 | 21.8 | 三間 | 5.5 | - |
313 | 同 壱ヶ所 桁行弐間、梁行弐間、 | - | 壱ヶ所 | 男山塩焇蔵 | 消失(跡) | - | 二間 | 3.6 | 二間 | 3.6 | - |
314 | 〇中島塩焇(マヽ)合小屋四棟 内一棟御土蔵 桁行弐間半、梁行一丈、 | - | 中島塩焇合小屋御土蔵 | 中島塩焇合小屋御土蔵 | 消失(跡) | - | 二間半 | 4.5 | 二間半 | 4.5 | - |
315 | 同一棟 桁行八間半、梁行弐間、 | - | 中島塩焇合小屋御土蔵 | 中島塩焇合小屋御土蔵 | 消失(跡) | - | 八間半 | 15.5 | 二間 | 3.6 | - |
316 | 同一棟 桁行四間、梁行弐間、 | - | 中島塩焇合小屋御土蔵 | 中島塩焇合小屋御土蔵 | 消失(跡) | - | 四間 | 7.3 | 二間 | 3.6 | - |
317 | 同一棟 桁行四間半、梁行弐間、 | - | 中島塩焇合小屋御土蔵 | 中島塩焇合小屋御土蔵 | 消失(跡) | - | 四間半 | 8.2 | 二間 | 3.6 | - |
※明キ:扉開口幅を示す。
※クヽリ:脇戸(潜戸・くぐりど)扉開口幅を示す。
※同断:同じこと
※廿間:二十間
※并:ひょう、へい、あわせる、ならぶ
※厩:うまや(廐)
本一覧は筆者の勉強・調査・後の検索を目的に作成したものであり、その正確性を保証するものではありません。
(出典・抜粋引用)第一冊 村翁夜話集所収「姫路城門櫓明細書」|播磨の地誌 福本勇次著『村翁夜話集』刊行会-平成27年1月25日発行
尚、上記一覧内の「桁行(m:参考)」「梁行(m:参考)」は一尺303mm換算として算出したものであり、イメージしやすくする為の参考値です。
また姫路城内では1間は六尺五寸とする説もあり、1間当たりの当時の寸法は明確ではありません。
昭和の大修理では実寸を元にした尺寸法を定めているようですが、その寸法が分かり次第、参考値を更新します。
現時点は参考値を表示しています。
「御塀」は村翁夜話集において長さ(間数)のみが表示され明確に壁の位置を示していません。
暫定的に対象と思われる壁を推測し割り当て、記載していいます。
「御壁」の現在呼称の壁に対する割り当ても、あくまでも参考とお考えください。
現在の姫路城で各櫓に付けられている名前は、その名称で「国重要文化財」の登録も既に行われています。
現在は重要文化財登録の名称で呼ぶのが、正しい呼び方になるものと思っています。
当サイト管理者は「旧名」で呼ぶことや過去の錯誤を無くすことがしたい訳ではありません。
過去文献の調査時に過去名が必要な場合がある為にご紹介をしているに過ぎません。
さいごに
本リストの紹介は江戸時代にどのような名称で各櫓が呼ばれ、
そして明治、昭和、平成と文化財修復の資料を確認していくに当たって、
現時点で分かっているスタート地点に当たるものです。
櫓に名称を付けるようになった時期は定かではありませんが、
こうした詳細に名称を振り、建造物サイズを記載している資料はとても重要です。
ただし、旧名称が分かったからと言って、それが正しいと言う事ではないと思っています。
自分の名前に、本名があり、あだ名があり、
昨今で言えば「東京スタジアム」がネーミングライツ制度によって「味の素スタジアム」と呼ばれたりと、
「名称」はその時代で、より多くの人に馴染みがあるような呼ばれ方で、
変化していくものであると思っています。
それがもし錯誤からの呼名であったとしても、
現在の姫路城で各櫓に付けられている名前は、その名称で「国重要文化財」の登録が行われています。
重要文化財登録の名称で呼ぶのが現在は正しい呼び方になります。
ただ、過去の文献を読む場合には、過去の呼名や経緯と言ったものも、
知っておく必要があり、こうした資料を作成するに至りました。
何かの時にお役に立ちますと幸いです。
出典書籍
「第一冊・村翁夜話集|播磨の地誌 福本勇次著『村翁夜話集』刊行会-平成27年1月25日発行」は、
姫路市立図書館に蔵書され、貸し出しが可能になっています。
原本の記述を確認される際などには以下の棚(請求記号)、資料コードで借りられます。
村翁夜話集|資料詳細:姫路市立図書館(2018/01/30時点検索結果)
所蔵館 | 所蔵場所 | 請求記号 | 資料コード | 資料区分 | 帯出区分 | 状態 |
城内 | 郷土 | /L20/21/ソ | 0130391949 | 郷般 | ||
城内 | 郷土 | /L20/21/ソ | 0130391915 | 郷般 | ||
城内 | 郷土 | /L20/21/ソ | 0130391741 | 郷般 | ||
城内 | レファ般 | /L20/21/ソ | 0130391923 | 郷般 | 禁帯 | |
城内 | 書庫R | /L20/21/ソ | 0130391956 | 郷般 | 禁帯 | |
城内 | 書庫R | /L20/21/ソ | 0130391931 | 郷般 | 貴重 | |
網干 | 郷土 | /L20/21/ソ | 2117123030 | 郷般 | ||
飾磨 | 郷土 | /L20/21/ソ | 2317090120 | 郷般 | ||
白浜 | 郷土 | /L20/21/ソ | 2517084196 | 郷般 | ||
安室 | 郷土 | /L20/21/ソ | 2617083726 | 郷般 | ||
青山 | 郷土 | /L20/21/ソ | 2717059170 | 郷般 | ||
広畑 | 郷土 | /L20/21/ソ | 2817184639 | 郷般 | ||
手柄 | 郷土 | /L20/21/ソ | 2917151280 | 郷般 | ||
ひがし | 郷土 | /L20/21/ソ | 3017068176 | 郷般 | ||
やすとみ | 郷土 | /L20/21/ソ | 5017009969 | 郷般 | ||
香寺 | 郷土 | /L20/21/ソ | 5117066620 | 郷般 | ||
夢前 | 郷土 | /L20/21/ソ | 5217165603 | 郷般 | ||
家島 | 郷土 | /L20/21/ソ | 5317101565 | 郷般 |
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公開日:
最終更新日:2021/02/14