沢瀉(おもだか)/立ち沢瀉(たちおも だか)の鬼瓦
姫路城内には特徴的なデザインの鬼瓦が紛れています。
姫路城の天守登閣ルート内の「油壁/姥が石」を、
見ることができる「北腰曲輪」に「沢瀉の鬼瓦」があります。
見上げれば見える近い位置にありますが、意外と誰も見ないでスルーされています。
ここでは「沢瀉の鬼瓦」についてご紹介します。
概要(見出し)
沢瀉(おもだか)/立ち沢瀉(たちおもだか)の鬼瓦
「沢瀉の鬼瓦」は「沢潟紋」をモチーフにしたとされる鬼瓦で、
厳密には立体造形なため、紋というよりデザインとして採用されています。
尚「沢潟紋」は矢の鏃の形に似ていることから、
「勝軍草」(かちいくさぐさ)の別名もあるとの事です。
勝ちにこだわった先人の武将たちの想いが感じられます。
「北腰曲輪」から「沢瀉の鬼瓦」を狙う
「沢瀉の鬼瓦」は大天守の北側「北腰曲輪」と呼ばれるエリアの西端にある、
「イの渡櫓」の上にあります。
登閣ルート上の「ほの門」を潜った「油壁/姥が石」が見られるエリアです。
※写真、左端が「イの渡櫓」
「イの渡櫓」を見ています。
一番上の入母屋屋根の棟に載っている鬼瓦が「沢瀉の鬼瓦」になります。
ちなみに少し場所を変えてみると、
この「イの渡櫓」は種類に富んだ鬼瓦が使われています。
このアングルだけで3種類です。
参考までに珍しくはありませんが、
南西角の鬼瓦も見てみるとこちらはベーシックな鬼瓦が載っています。
「五三桐」と「菊(丸に八菊)」です。
先ほどの場所から「沢瀉の鬼瓦」を見ています。
この場所から見た場合、場所を工夫すると丸瓦を避けて見上げることができますので、
比較的簡単に「沢瀉の鬼瓦」は見ることができます。
「乾小天守」から「沢潟の鬼瓦」を狙う
もし、大天守登閣の際に覚えているようであれば、
「東小天守」内部を抜けて「ロの渡櫓」「乾小天守」まで来た時に北側の窓を覗くと、
「イの渡櫓」がほぼ正面で見ることができます。
ここからズームで寄ってみると「沢瀉の鬼瓦」が邪魔されず綺麗に見ることができます。
「沢潟紋鬼瓦」は展示品もあります
丁度「乾小天守」に行く途中の「ロの渡櫓」内部には過去の瓦の展示がされています。
その中には「沢潟紋鬼瓦」として実物展示が行われています。
No.2 沢潟紋鬼瓦 (位置不明)
立沢潟紋の鬼瓦で、どこかの降棟か隅棟に使用されていたものでしょう。昭和の大修理では、沢潟紋は松平忠明時代のものと想定していました。忠明の実家である奥平家がこの紋を使用していたためですが、確かなことは分かっていません。
使用箇所は不明の鬼瓦となっていますので出土品かと思いますが、
イの渡櫓に現在載っている「沢瀉の鬼瓦」は葉が広くなり、
より立体感を増したものが付けられているのが比較して分かります。
ちなみに「北腰曲輪」は「油壁」「姥が石」とみてすぐに「水の一門」を潜って進んでしまいがちですが、
規制の柵いっぱいにまで進んで、振り返ってみた風景も独特で綺麗ですよ。
※週末などは人がい無くなるタイミングはかなり待つことになりますけども・・・。
その他の姫路城内でみられる鬼瓦
姫路城内の鬼瓦には特徴的なデザインが何種類かありますが、
気になるようでしたら以下のデザインの鬼瓦も探してみると面白いかもしれません。
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公開日:
最終更新日:2018/03/13