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「姫路城圖・明治維 新前酒井家所領時代」からみる方角のズレ(~1867年前後)

姫路城の古図を見る際に少し注意しておく必要がある点があります、それは方角です。
「村翁夜話集」では活字によって櫓の方角等を示し、その場所にあった櫓や門などを記載しています。
しかし「姫路城圖・明治維新前酒井家所領時代」を見ると、
方角の表記が現在の北とズレて記載されているのがわかります。
当時、どの方角を北としていたのかに、現在とズレがあると言う事は頭に置いておく必要があると言えます。

 

「姫路城圖・明治維新前酒井家所領時代」からみる方角のズレ(~1867年前後)

さて、以下が「姫路城圖・明治維新前酒井家所領時代」の図面になります。
この図は「国立国会図書館デジタルコレクションで既に公開されて誰でも見ることができます。
またこれと同じ図を私は紙で所蔵しています。

いかがでしょうか。
左上に方角表示がありますが、北が少し西方向にズレています。
現在の北はほぼ真上の方向に近いのですが、当時の北は現在の北西(乾)をさしている事になります。

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元図・姫路城圖・明治維新前酒井家所領時代

 

GoogleMapでみると、現在の北方向との間にずれがあることは明確に分かります。
このようなずれがあると言う認識をもって、先人たちの記述を解釈する必要がある場合もあるでしょう。

以下のように「村翁夜話集」には「同所ヨリ戌亥ノ方」など、
方角の記載がされていますので、現在の方角を示している訳ではないとも考えられます。

倉の間共七重 〇御天守初重 桁行拾五間三尺八寸、梁行拾一間半、
二重 御天守ヨリ丑寅ノ方小天守迄渡御櫓 桁行五間四尺五寸、梁行三間、
三重 同丑寅ノ方小天守 桁行三間半、梁行三間、
二重 同所ヨリ戌亥ノ方小天守迄渡御櫓 桁行十四間五尺一寸、梁行三間、
三重 同戌亥ノ方小天守 桁行五間一尺七寸、梁行五間、
二重 同所ヨリ南ノ方小天守迄渡御櫓 桁行四間二尺四寸、梁行三間、
三重 同南ノ方小天守 桁行四間二尺、梁行四間、
同下タ水ノ六御門 桁行二間、明キ七尺、
同外南ノ方水ノ五御門 桁行二間半、梁行二間、明キ七尺六寸、
同外西ノ方水四冠木御門 桁行一間二尺七寸、明キ六尺三寸、
同外西ノ方水三冠木御門 桁行一間一尺五寸、明キ五尺一寸、
同外北方水二冠木御門 桁行一間四尺八寸、明キ五尺八寸、
一重 同所西ノ方三ノ御櫓 桁行折廻五間半、梁行二間、
同所北ノ方水一冠木門 桁行一間四尺、明キ五尺五寸、
所々御塀合四拾四間一尺 但水一御門ヨリ御天守入口迄、

(引用抜粋)第一冊・村翁夜話集|播磨の地誌 福本勇次著『村翁夜話集』刊行会-平成27年1月25日発行

 

あくまでも参考ではありますが、こうした注意点も頭において古図を読み解いていきたいものです。


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公開日:
最終更新日:2018/03/03

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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