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「沿革考証姫路名勝誌」からみる、かつてはあった城門数

沿革考証姫路名勝誌|矢内正夫 編」には明治の頃の姫路城の様子が書かれています。
明治32年(1899〔119 年前〕)の発行ですので、
既に姫路城下には軍施設が立ち並んでいる頃で姫路城には一般に立ち入ることができなくなっている時代です。
そんな頃に書かれた本には立ち入る事ができなかった、
城内や姫路城外曲輪・中曲輪などの紹介がされています。
中には「伊呂波48門」や当時の城門数について紹介されています。

 

尚「沿革考証姫路名勝誌」の抜粋文については、以下でご紹介しています。

十一内門と五大外門、伊呂波四十八門

「沿革考証姫路名勝誌」には以下のように書かれています。

十一内門と五大外門

内濠外塹を穿り、城外には八十八の米字街を輿し、市内に十一門、市外に五大門を設けて往来を警しむ、十一門とは惣社門、中門、鵰門、埋門、車門、市橋門、清水門、野里門、九長門、内京口門、鳥居門にして、外廓なる北条門、飾磨門、外京口門、竹門、備前門が、所謂五大門なり、又城南に飾磨津に通ずる運河を起さむとせしが成らずして止みぬ、其跡をば三左衛門堀と稱す(称す)、

 

これによると「市内に十一門、市外に五大門」とあり、それぞれ、
市内に十一門は、以下のように書かれていますので、そのまま11門です。

「惣社門、中門、鵰門、埋門、車門、市橋門、清水門、野里門、九長門、内京口門、鳥居門にして、」

順No 酒井時代名 村翁夜話名 現名称 現存 分類 階層 エリア 村翁夜話集原文 備考
1惣社門総社御門(255)消失(跡)-総社御門〇総社御門 桁行拾間、梁行三間五尺、明キ一丈五尺二寸、クヽリ明キ五尺五寸、別名「惣社門」、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
2中門中ノ御門(249)消失(跡)-中ノ御門〇中ノ御門 桁行九間、梁行三間弐尺、明キ一丈弐尺、クヽリ明キ五尺、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
3鵰門鵰御門(245)消失(跡)-鵰御門〇鵰御門 桁行七間半、梁行弐間四尺、明キ一丈四尺、クヽリ明キ四尺八寸、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
4埋門埋御門(242)消失(跡)-埋御門同所東方埋御門 桁行弐間半、梁行一間一尺五寸、明キ九尺五寸、クヽリ明キ三尺二寸、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
5車門車御門(231)消失(跡)-車御門〇車御門 桁行九間半、梁行三間弐尺五寸、明キ一丈五尺一寸、クヽリ明キ五尺一寸、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
6市橋門市橋御門(224)消失(跡)-市橋御門〇市橋御門 桁行八間四尺、梁行弐間半、明キ一丈五寸、クヽリ明キ三尺五寸、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
7清水門清水御門(279)消失(跡)-清水御門〇清水御門 桁行拾間、梁行三間半、明キ一丈三尺五寸、クヽリ三尺三寸、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
8野里門野里御門(275)消失(跡)-野里御門〇野里御門 桁行七間四尺五寸、梁行三間一尺五寸、明一丈三尺四寸、クヽリ明四尺二寸、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
9九長門九長御門(271)消失(跡)-九長御門〇九長御門 桁行八間四尺、梁行三間弐尺八寸、明キ一丈五寸、クヽリ明キ五尺三寸、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
10内京口門内京口御門(267)消失(跡)-内京口御門〇内京口御門 桁行八間四尺、梁行三間弐尺八寸、明キ一丈四尺五寸、クヽリ明キ四尺八寸、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
11鳥居先門鳥居先御門(261)消失(跡)-鳥居先御門〇鳥居先御門 桁行三間、梁行一間一尺、明七尺五寸、クヽリ明キ三尺一寸、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。

 

市外に五大門は、以下のように書かれていますので、そのまま5門です。

「外廓なる北条門、飾磨門、外京口門、竹門、備前門が、所謂五大門なり」

順No 酒井時代名 村翁夜話名 現名称 現存 分類 階層 エリア 村翁夜話集原文 備考
1北条門北条御門(295)消失(跡)-北条御門〇北条御門 桁行七間、梁行弐間、明キ壱丈弐尺、クヽリ明キ四尺七寸、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
2飾磨門飾万津御門(299)消失(跡)-飾万津御門〇飾万津御門 桁行十二間、梁行二間半、明キ一丈二尺二寸、クヽリ四尺二寸、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
3外京口門外京口御門(287)消失(跡)-外京口御門〇外京口御門 桁行__(マヽ)、梁行三間半、明一丈三尺、クヽリ明キ五尺、※空白部表記不明明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
4竹門竹之御門(284)消失(跡)-竹之御門〇竹之御門 桁行一間一尺、袖ノ間一間、明キ八尺七寸、別名「他家ノ御門」、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
5備前門福中御門(303)消失(跡)-福中御門〇福中御門 桁行八間四尺、梁行弐間四尺五寸、明キ一丈三尺、クヽリ明キ五尺二寸、別名(旧名)「備前門」、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。

 

また次のようにも書かれています。

姫路城の高さと四門の名稱(称)

この姫路城は高さ井水より四十七間にして、石垣以上は三十九間一尺あり、第五層の廣さ八十畳なり、大手を桐門(きりのもん)といひ、東北門を菊門(きくのもん)といひ、東の方を櫻門(さくらのもん)といふ、内部には木門、鐵門、其数頗る(すこぶる)多く之を伊呂波に命名しゐるより、俗に伊呂波四十八門と呼べり。

そして、問題はこの「伊呂波四十八門」です。

また城内の城門については、

「伊呂波(イロハ)に命名しゐるより、俗に伊呂波四十八門と呼べり。」

と書かれています。

これが「いろはにほへと・・・48音ほど多くの門がある」と言う事であれば、
概ね、そのくらいの門数は内曲輪内にありました。

それは「村翁夜話集」に書かれています。

実際のところ、上記の11門+5門の16門を含んで、すべての門で84門あります。
※もっと言えば、村翁夜話集に書かれていない門もあり、さらに数は多くなります。

ですので、残りは68門となります。
村翁夜話集に出てくる城門では実は48門より多く存在しているのです。

「いろはにほへと・・・48音ほど多くの門がある」という、
スケール感を表していると思った方がいいかもしれません。

 

なんとか48にするべく、かつてあった門を列挙してみると、以下のようになります。

他にも名前のない「冠木御門」として記載されている門も多くありますので、
何かしら名称が付いている「○○御門」として、列挙しています。

(感覚的に)以下のような門を総称して「伊呂波四十八門」と言っていたと思われます。

順No 酒井時代名 村翁夜話名 現名称 現存 分類 階層 エリア 村翁夜話集原文 備考
1水ノ一門水一冠木門(016)水の一門現存-水曲輪同所北ノ方水一冠木門 桁行一間四尺、明キ五尺五寸、
2水ノ二門水二冠木御門(014)水の二門現存-水曲輪同外北方水二冠木御門 桁行一間四尺八寸、明キ五尺八寸、
3水ノ三門水三冠木御門(013)水の三門現存-水曲輪同外西ノ方水三冠木御門 桁行一間一尺五寸、明キ五尺一寸、
4水ノ四門水四冠木御門(012)水の四門現存-水曲輪同外西ノ方水四冠木御門 桁行一間二尺七寸、明キ六尺三寸、
5水ノ五門水ノ五御門(011)水の五門現存-天守丸同外南ノ方水ノ五御門 桁行二間半、梁行二間、明キ七尺六寸、「二の渡櫓(国宝)」は「水ノ御五門」として記載
6水ノ六門水ノ六御門(008)水の六門現存-天守丸同下タ水ノ六御門 桁行二間、明キ七尺、
7い門いノ冠木御門(044)いの門現存-二の丸菱ノ御門内北ノ方 〇いノ冠木御門 桁行三間四尺、袖ノ間一間一尺五寸、明キ一丈五寸、クヽリ四尺、
8ろ門ろノ冠木御門(047)ろの門現存-二の丸いノ御門内北ノ方 〇ろノ冠木御門 桁行四間四尺六寸、袖ノ間一間弐尺、明キ一丈五寸、クヽリ四尺、
9は門はノ御門(050)はの門現存-乾曲輪ろノ御門北ノ方 〇はノ御門 桁行三間半、梁行一間弐尺五寸、明キ七尺五寸、クヽリ三尺一寸、
10に門にノ御門(548)にの門現存-西北腰曲輪はノ御門北ノ方 〇にノ御門 桁行弐間弐尺五寸 梁行壱間四尺五寸 明キ六尺五寸この項脱漏につき異本により補う(出典:姫路史14巻)
11ほ門ほノ冠木御門(057)ほの門現存-北腰曲輪にノ御門内東ノ方 〇ほノ冠木御門 桁行壱間弐尺、明キ四尺八寸、
12へ門へノ冠木御門(063)への門現存-北腰曲輪同所南ノ方へノ冠木御門 桁行壱間弐尺弐寸、袖ノ間一間一尺、
13と門とノ御門(065)との一門現存-搦手へノ冠木御門外東方 とノ御門 桁行三間一尺五寸、梁行一間五尺、明キ一丈一寸、クヽリ明キ弐尺一寸、
14とノニ門とノニ冠木御門(067)との二門現存-搦手同所外東ノ方とノニ冠木御門 桁行二間半、袖間五尺、明キ七尺、クヽリ二尺九寸、
15とノ三門と三冠木御門(068)との三門消失(跡)-搦手同 と三同断 桁行弐間、明キ六尺、
16とノ四門とノ四冠木御門(070)との四門現存-搦手同所東ノ方と四冠木御門 桁行二間弐尺二寸、袖間一間、明八尺四寸、クヽリ明三尺一寸、
17ち門ちノ冠木御門(072)ちの門現存-東曲輪とノ御門内南方 〇ちノ冠木御門 桁行弐間、明四尺一寸、
18り門りノ冠木御門(082)りの門現存-上山里曲輪同続北ノ方りノ冠木御門 桁行弐間四尺、袖間壱間、明キ八尺弐寸、クヽリ三尺二寸、
19ぬ門ぬノ御門(091)ぬの門現存-上山里曲輪(記述なし)「ぬノ御門迄」の記述はあるが「ぬノ御門」の記述がない。「折廻渡御櫓」に含む扱いか。
20留門・る門るノ冠木御門(093)るの門消失(跡)-二の丸ぬノ御門外西ノ方 〇るノ冠木御門 桁行五尺七寸、明キ三尺七寸、
21を門をノ冠木御門(094)をの門跡消失(跡)-二の丸同所北ノ方をノ冠木御門 桁行弐間、袖ノ間一尺一寸、明キ八尺、明治15年2月1日失火により消失。
22西丸北入口門西の丸北入口冠木御門(097)西の丸北門跡消失(跡)-西の丸〇西の丸北入口冠木御門 桁行三間四尺七寸、袖間壱間、明キ八尺、クヽリ三尺五寸、
23西丸南入口門西丸南入口冠木御門(115)西の丸南門跡消失(跡)-西の丸同所北方西丸南入口冠木御門 桁行四間一尺五寸、袖間一間一尺、明キ一丈、クヽリ三尺七寸、
24菱門菱ノ御門(042)菱の門現存-二の丸〇菱ノ御門 桁行十間半、梁行四間、明キ一丈三尺、クヽリ明キ三尺九寸、
25黒門黒門(547)消失(跡)-三の丸(西御屋敷)「村:切手御門(140)」を参照「村:切手御門(140)」と合わせて記載。明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
26稜下門榎下冠木御門(118)消失(跡)-三の丸(西御屋敷)菱御門外南方 〇榎下冠木御門 桁行一間五尺、袖ノ間一間、明キ九尺、「榎下冠木御門」の「榎」は「稜・檜」の可能性あり。明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
27鷺山口門鷺山口御門(119)消失(跡)-三の丸(西御屋敷)同所西方鷺山口御門 桁行三間五尺、梁行弐間、明キ六尺八寸、クヽリ明キ三尺、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
28御門下門御多門(132)消失(跡)多門櫓-三の丸(西御屋敷)同続北方御多門 五尺二弐間、但御門下門明キ五尺、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
29唐門(勅使門)唐門(135)消失(跡)-三の丸(武蔵野御殿南)同東方唐門 桁行五尺、梁行一間一尺五寸、明キ五尺、別名「勅使門」、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
30玄関前門前ノ御門(137)消失(跡)-三の丸(武蔵野御殿南)同前ノ御門 桁行五間四尺四寸、梁行弐間弐尺、明キ九尺八寸、クヽリ明四尺一寸、別名「玄関前門」、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
31切手門切手御門(140)消失(跡)-三の丸(西長屋)切手御門明六尺 桁行五拾四間、梁行弐間一尺五寸、黒御門明九尺五寸、クヽリ明キ三尺五寸、別名「台所前門」、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
32長屋門長屋御門(149)消失(跡)-三の丸(西長屋)同長屋御門 桁行四間半、袖間一間半、明キ一丈弐尺、クヽリ四尺一寸、別名「長屋門」、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
33猿頭塀御門猿頭塀御門(153)消失(跡)-三の丸(西長屋)同所南方猿頭塀御門とも廿八間、門明キ五尺六寸、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
34新門新御門(143)消失(跡)-三の丸(西長屋)同新御門 桁行十二間、梁行三間半、明キ一丈弐尺弐寸、クヽリ明キ四尺三寸、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
35桐門桐御門(156)消失(跡)-三の丸(西長屋)〇同桐御門 桁行拾三間、梁行三間二尺、明キ一丈五尺五寸、クヽリ明キ五尺、別名「桐一ノ門」、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
36桐外冠木門冠木御門(157)大手門(桐外門)置換(復旧以外の再建)-三の丸(大手)同所西方冠木御門 桁行三間一尺五寸、明一丈三寸、クヽリ明三尺五寸、袖ノ間一間弐尺、別名「桐二ノ門」、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失されるが、後に「大手門(桐外門)」が建てられる。但、復元ではない。
37桜門桜冠木御門(158)消失(跡)-三の丸(大手)同所外桜冠木御門 桁行三間一尺五寸、袖ノ間一間一尺、明キ一丈三寸、クヽリ明キ三尺七寸、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
38表門(向屋敷)記載なし不明又は消失-
39裏門(向屋敷)記載なし不明又は消失-
40入口御門三ヶ所入口御門三ヶ所(179)消失(跡)-三の丸(御米蔵)同所入口御門三ヶ所 桁行弐間一尺、明キ六尺、但入口とも、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
41菊門菊御門(181)消失(跡)-三の丸(向屋敷)〇菊御門 但表裏之分とも桁行拾間、内三間四方、三重御櫓、梁行六間半、明キ一丈三尺五寸、クヽリ明キ三尺五寸、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
42御作事入口御門御作事入口御門(187)消失(跡)-三の丸(御作事)〇御作事入口御門 桁行弐間半、明キ七尺五寸、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
43絵圖門絵図御門(189)消失(跡)-三の丸(御作事)〇絵図御門 桁行八間、梁行三間弐尺五寸、明キ一丈九寸、クヽリ明キ三尺九寸、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
44冠木門冠木御門(206)消失(跡)-東三の丸(喜斎門)喜斎御門内西方 〇冠木御門 桁行弐間八尺、袖ノ間壱間一尺、明キ七尺五寸、クヽリ明キ三尺、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
45喜斎門喜斎御門(198)消失(跡)-東三の丸(喜斎門)〇喜斎御門 桁行八間、梁行弐間四尺八寸、明キ一丈弐尺、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
46八頭門八頭御門(207)消失(跡)-東三の丸(喜斎門)同所北方八頭御門 桁行七間半、梁行弐間、明キ九尺二寸、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
47北勢隠門北ノ方勢隠御門(213)消失(跡)-北勢隠同所北ノ方勢隠御門 桁行八間四尺、梁行弐間半、明キ八尺三寸、クヽリ明キ三尺、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
48南勢隠門勢隠御門(220)消失(跡)-南勢隠同勢隠御門 桁行七間一尺五寸、梁行弐間五尺五寸、明キ一丈四寸、クヽリ明キ四尺、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。

大手門より内側の三の丸エリア内(内曲輪内側)だけで、
48を超えるような数の門が存在していたことがわかります。

 

何が言いたいのかというと「明治32年」の軍が姫路城に兵舎を置いていた時代には、
既に中曲輪、外曲輪の城門は悉く撤去されてしまっている時代です。

立ち入る事ができなくなってしまっている姫路城内に、
想いを寄せて市民がイメージして語り継ぐことは「伊呂波48門」言ったような、
漠然としたイメージしか持てなかったことを表しているように思います。

今では広く一般に開放され誰でも姫路城に入ってみる事ができますが、
それが当時の人たちからすればどれだけ羨ましく、恵まれていることなのかと、
こうした昔の観光書を読むと感じます。

いつまでも平和で姫路城を楽しむことができる日が続くことを祈りたいものです。

 

(出典)182-89 沿革考証姫路名勝誌 矢内正夫 編


本書籍は国立国会図書館にて公開されていますので、誰でも読むことができます。
国立国会図書館デジタルコレクション – 沿革考証姫路名勝誌

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