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「沿革考証姫路名勝誌」矢内正夫著(明治32年2月)-抜粋(1899)

沿革考証姫路名勝誌|矢内正夫 編」には明治の頃の姫路城の様子が書かれています。
明治32年(1899 =118 年前)の発行ですので古い書籍です。
中には姫路城の沿革などが詳しく書かれ、姫路城の歴史を知るうえで、
とても重要な情報を伝えてくれています。

 

沿革考証姫路名勝誌|矢内正夫 編・明治32年3月」には以下のように書かれています。

第二章 城廓

築城の開始

我姫路は三千年來其名ある交通利便の地なれども、戦争上の要害地と認定せられたるは至極近代の事にして、今より五百六十六年前後後醍醐天皇元弘二年(1333)赤松貞範の築城せしより創まりしものゝ如し、この貞範は赤松則村の次男にして村上天皇の皇子具平親王後胤なり、世に所謂村上源氏なり、後醍醐天皇叛臣北条高時の爲に隠岐に流され給ふとき、則村は播磨佐用郡赤松庄より皇子護良親王令旨じて兵を起し、摂津の摩耶山に據り、貞範をして姫路丘にありし稱名寺といへるを利用して城柵を設け、其族小寺頼秀と共に中国を扼せしむ、是れ姫路城の創始なり、貞範歿して小寺頼秀城主となり、其子孫景治、影重、職治相次て城主たりしが、嘉吉のに赤松満祐赤穂郡の白幡城に滅びて職治も戰死し、山名持豊城主たり、然るに赤松則村六世の孫政則北朝に勤功ありて其家を再興し、應仁の細川勝元に属して再び播磨守護職となり、

鶴見丸と龜居丸(亀居丸)

姫路城に居り、城をば増し築きて、本丸を鶴見丸、二の丸を龜居丸と稱す本丸は十八間に二十門、二の丸は二十八間に三十間なり、居ること暫時にして先例により小寺職治の子豊職に譲りて更に大に置鹽山に築きて移り居る、豊職より則職、政隆を經て、小寺氏は御着城を本據とし、政隆戰死して後、

羽柴秀吉と黒田孝高

御着城の家臣姫路の人黒田重隆姫路城を管す、重隆は宇多天皇の皇子敦實親王の後胤にして、世に所謂宇多源氏なり、歿して子職隆繼ぎ歿して孝高繼ぐ、この孝高は官兵衛尉と稱し、羽柴秀吉に属して世に知られたる名将なり、秀吉孝高の策を用ゐて御着城、英賀城、三木城など暫時に討滅ぼして全播平ぎしかは、三木城を根據となさむ心組なりしに、天正八年(1581)四月八日孝高秀吉に勧めて己が居なる姫路城に據らしめ、自らは妻鹿の功山城に退き居る、孝高は有名なる策畧家なれば、名将秀吉さへ廔々其奇謀に驚きけるが、秀吉薧して後、徳川家康に属して筑前五十萬国にぜたり、姫路附近の士人多く孝高に仕へて高官を得けるが、栗山利安の如きは世に名を知らる。

太閣丸

羽柴秀吉は赤松貞範より十四代目の城主なるが、姫路に居ること僅かに三年、其間に置鹽城の用材を姫路に移して、三層の天守閣を營り、大に要害を固む、後世太閣丸といふ、天正十年(1583)三月十五日三備に出征し、城をば異母弟秀長に譲れり、去る明治三十一年(1898)は、この秀吉か慶長三年(1599)七月十三日伏見城に薧じ給ひしより、恰も三百年に相當するをもて、姫路にては九月二十一日より五日間其三百年祭を執行せしが、種々の催ほしなどありて全市頗る賑ひにき、

池田輝政の増築

其後木下家定城主たりしが、慶長五年(1601)十二月池田輝政播磨五十萬石にせられて、三河の吉田城より移り治す、後又備前二十八萬石、淡路六萬石を得て百萬石と稱す、實に姫路第十七代の城主となり、このとき城下には宿村、中村、國府寺村の三邑ありて姫地と総稱し、極めて寂しき所なりしを、輝政百萬石を得てこの地を三國の中心となし、城櫓を増築して五層閣とし、

十一内門と五大外門

内濠外塹を穿り、城外には八十八の米字街を輿し、市内に十一門、市外に五大門を設けて往来を警しむ、十一門とは惣社門、中門、鵰門、埋門、車門、市橋門、清水門、野里門、九長門、内京口門、鳥居門にして、外廓なる北条門、飾磨門、外京口門、竹門、備前門が、所謂五大門なり、又城南に飾磨津に通ずる運河を起さむとせしが成らずして止みぬ、其跡をば三左衛門堀と稱す(称す)、

本多忠政の入府、船塲川の改修

治城十四年にして卒し、子利隆繼ぐ、孫光政に至り備前に移り、其跡は本多忠政十五萬石を領して、伊勢桑名城より入府す、實に元和元年(1615)五月なり、船塲川はこの時出來しなりといへり、

本多松平両家の交代

忠政の後に子政朝ありしが、寛永十六年(1640)四月赤松則景の後胤松平忠明十八萬石にて、出羽の山形より入府し、其子直基に傳へしが、慶安二年(1650)八月に至り榊原忠次といへるが姫路にせられたり、この忠次は幕府の大老職たりしが、歿して增位山に葬る、山上の墳墓今に荘厳なり、子の政房職を繼ぎしが尋いで卒し、孫政倫越後村上に移り、松平直基の子直矩來りしが、暫くにして本多政武と交代し、次て亦榊原政邦と交代す、雅邦は正倫の子なり、子政祐職を襲ぎしが、子なきをもて養子政岑〔この政岑は頗る女色を漁りて、姫路の美色は悉く収めて妾(めかけ)となし、又江戸の名妓高尾を落籍して連れ〇れるなど身行〇ざりしかば、後に所領を半滅して江戸に召さる〕に傳へたり、後寛保二年(1743)六月松平直矩の孫義知姫路に入府し、卒して景福寺山頂に葬らる、子朝矩職を繼ぎしが、領内不穏の事あり、且年幼なりければ、上野の前橋に移され、寛延二年(1750)七月廿四日酒井忠恭と交代す、

酒井忠恭の入府、船塲大洪水

この年船塲川大洪水あり、溺死せしもの四百八人あり、今市川の東なる山脇村山下に溺死菩提の碑あるは、其三回忌に建てしにて、十三回忘(忌の誤植か)なる寶暦十一年<宝暦>(1762)七月五日にも大法會ありき、主として罹災者の遺族を救恤せしは家老河合定恒なりければ、領民長く其徳に服せしとぞ、彼の有名なる寸翁道臣は定恒の嫡孫なりけり、忠恭より忠以、志道(忠道の誤植か)を經て忠實に至る、時に藩の財政窮乏せしかば、重く寸翁を用ゐて、之を整理せしむ效あり、其後忠學忠寶忠顯忠績を經て忠惇に至り、維新の大革命あり、

維新の革命と開城

姫路藩の多数は佐幕なりしかば、勤王河合宗元、其子宗貞、萩原政興などに死を賜ひ、關亭は将軍徳川慶喜に従ひて京師にあり、關亭とは忠惇の號なり、後慶應三年(1868)十二月三十日より伏見鳥羽の戰争あり、慶喜の軍敗れて關亭江戸に奔る明治元年(1868)月十日官軍續々姫路城に向ひしかば、十六日に至り倉皇開城して恭順の意を表し、伊勢崎城主酒井忠恒子忠邦を迎へて藩主とし事漸く平ぐ、この忠邦は最後の城主にして四十一代目に當れり、明治二年(1870)六月十七日忠邦土を還して、實収十分の一凡そ八千石を賜りしが、明治四年(1872)七月十四日廢藩置縣となり、城地は陸軍省の管轄に歸して、大阪鎮臺の分營地たり、明治十九年(1886)第四師團第十聯隊の兵營となり、明治二十七年(1894)日清戰争役後第十師團をこの地に置かれてより、兵員は年々增しきたりて、去る明治三十一年(1898)十一月にて其設備も完整し、月の十三日に司令部も開かれて、二十四日午後二時陸軍中将伏見宮貞愛親王殿下師團長として御着任あらせられしが、十二月十日全縣下の官民一致して殿下を始め、師團の将校二百餘名を城内なる将校集會所に招請して、師團設置祝賀會を催しけるに來會せしもの七百名に達し、煙火、狂言などの餘興もありて頗る盛會なりき、而して師團の午砲は其月廿八日に創めて發せられき

姫路城の高さと四門の名稱(称)

この姫路城は高さ井水より四十七間にして、石垣以上は三十九間一尺あり、第五層の廣さ八十畳なり、大手を桐門(きりのもん)といひ、東北門を菊門(きくのもん)といひ、東の方を櫻門(さくらのもん)といふ、内部には木門、鐵門、其数頗る(すこぶる)多く之を伊呂波に命名しゐるより、俗に伊呂波四十八門と呼べり。

ーーーーーー(以下略)ーーーーーー

(抜粋引用)沿革考証姫路名勝誌|矢内正夫 著・明治32年3月

酒井忠道が家老であった河合寸翁に財政再建を命じることから「寸翁を用ゐて、之を整理」と表現されている。

赤松則村」が姫路城主7代目になった頃「本丸を鶴見丸、二の丸を龜居丸と稱す。」とあるため、
姫山に築かれた曲輪は当初、本丸を「鶴見丸」二の丸を「龜居丸(亀居丸)」と呼んでいたことが分かります。

「異母弟秀長」とあるので、秀長は母違いの弟だったのか。。。

 

ーーーーーー(巻末)ーーーーーー

明治三十二年(1899)二月廿五日印刷
明治三十二年(1899)三月 二日發行

定價金八拾錢

著作兼発行者 矢内正夫
姫路市福中町二十二番地

印刷者 前田菊松
大阪市南區鱣谷東之町百七十五番屋敷

発賣所 矢内書院
姫路市福中町七番地

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(出典)182-89 沿革考証姫路名勝誌 矢内正夫 編

 


本書籍は国立国会図書館にて公開されていますので、誰でも読むことができます。
国立国会図書館デジタルコレクション – 沿革考証姫路名勝誌

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元号西暦表示の例) 慶長五年(1601) (1600/2/15~1601/2/2)

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公開日:
最終更新日:2018/02/11

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