旧『世界文化遺産 国宝 姫路城』パンフレット(2010~2015年版・城内配布)
姫路城が平成の大修理を受けている間、
城内は最大の見どころである天守群の内覧ができませんでした。
最大の見どころが非公開となっている期間、姫路城内では非常にマニアックな部分を、
姫路城の見どころとして紹介するパンフレットが配布されていました。
今となっては逆にこんな細かい見どころポイントの紹介はされていませんので、
実は今から見返しても、姫路城を楽しめるいいパンフレットです。
ここでは既に入手ができなくなったグランドオープン前のパンフレットをご紹介します。
概要(見出し)
- 1 旧『世界文化遺産 国宝 姫路城』パンフレット(2010~2015年・城内配布)
- 2 姫路城のみどころ(城内)
- 2.1 狭間(さま)
- 2.2 ①菱の門(ひしのもん)
- 2.3 空堀痕跡(からぼりこんせき)
- 2.4 刻印(こくいん)
- 2.5 ②いの門、⑳ろの門(いのもん、ろのもん)
- 2.6 ⑮はの門(はのもん)
- 2.7 石灯籠(いしどうろう)
- 2.8 十字紋の鬼瓦(じゅうじもんのおにがわら)
- 2.9 土塀の石落し ※曲線壁(どべいのいしおとし)
- 2.10 宝篋印塔(ほうきょういんとう)
- 2.11 ⑭にの門東方上土塀、にの門東方下土塀(にのもんとうほうかみどべい、にのもんとうほうしもどべい)
- 2.12 ⑬にの門(にのもん)
- 2.13 ⑫ほの門(ほのもん)
- 2.14 油壁(あぶらかべ)
- 2.15 ロの渡櫓(ろのわたりやぐら)
- 2.16 ⑪北腰曲輪の櫓郡(きたこしくるわのやぐらぐん)
- 2.17 姥が石(うばがいし)
- 2.18 ⑨水の一門(みずのいちもん)
- 2.19 ⑧水の二門(みずのにもん)
- 2.20 ⑦水の三門(みずのさんもん)
- 2.21 << 連立式天守群の内覧 >>
- 2.22 ⑥備前門(びぜんもん)
- 2.23 ⑤太鼓櫓(への櫓)(たいこやぐら/へのやぐら)
- 2.24 りの門(りのもん)
- 2.25 お菊井戸(おきくいど)
- 2.26 ④チの櫓、リの一渡櫓、リの二渡櫓
- 2.27 石棺(せっかん)
- 2.28 ③ぬの門(ぬのもん)
- 2.29 鏡石(かがみいし)
- 2.30 扇の勾配(おうぎのこうばい)
- 2.31 控塀(ひかえべい)
- 2.32 切込みハギの石垣(きりこみはぎのいしがき)
- 2.33 補強石垣(ほきょういしがき)
- 2.34 るの門(るのもん)
- 2.35 石垣の稜線(いしがきのりょうせん)
- 3 姫路城のみどころ(西の丸エリア)
- 4 姫路城のみどころ(城外)
旧『世界文化遺産 国宝 姫路城』パンフレット(2010~2015年・城内配布)
姫路城が平成の大改修が行われている期間中、
姫路城内では最大の見どころである連立式天守群の内覧ができない状態にありました。
途中「天空の白鷺」という「平成の大修理見学施設」が設置され、
修復を受けている最中の姫路城を間近に見ることもできました。
やはり天守を失っている状態ではどうしても観光のスポットとしては弱い面もあります。
修復中には修復中なりの楽しみ方があった姫路城ですが、
そんな弱みを補うように修復期間中に配布されていたパンフレットの
「天守群以外の見どころ」ポイントは今となってはマニアックで面白いものが配布されていました。
修復期間中の姫路城 旧パンフレット(全体)
修復期間中には以下のような縦長のパンフレットが配布されていました。
中を開くと城内の案内地図とそれぞれの見どころスポットの位置が記載されています。
※記載されている見学コース(ルート)は修復期間中の旧ルートです。
内部の見どころは城内の門や櫓、石垣・刻印など、
グランドオープン以後にはあまり触れられることがなくなったマニアックな内容です。
また一部非公開になっているエリアの重要文化財などについても、
記載されていたりと面白い構成になっていました。
日本で初めて世界遺産に登録された姫路城
美的完成度が、わが国の木造建築の最高の位置にあり、世界的にも他に類のない優れたものであること。また、17世紀初頭の城郭建築の最盛期に天守群を中心に櫓、門、土塀等の建造物や石垣、堀等の土木構造物が良好に保存され、防御に工夫した日本独自の城郭の構成を最もよく示した城であることが評価されました。
姫路城の歴史にふれ、学び、発見しましょう!!
天正8年(1580年)、羽柴秀吉は黒田孝高(官兵衛)の姫路城に入り、天正9年(1581年)、三重の姫路城を築きました。(「普請等油断無く」と官兵衛に命じる文書が残っています。)
関ケ原の戦いの後、姫路神社に入った徳川家康の女婿・池田輝政は、慶長6年(1601年)、秀吉の築いた天守などを取り壊し、石垣などは活かして、慶長14年(1609年)、五重の姫路城を完成させました。
左回りのらせん状に内曲輪、中曲輪、外曲輪が配置され、城下町を外堀が囲む「総構」が特徴です。●大天守の高さは海抜91.9m
(大天守31.5m、石垣14.8m、姫山の標高45.6m)
●外観は五重、内部は地上六階地下一階、白漆喰総塗籠造
●国宝8棟(大天守、東・乾・西の小天守、イ・ロ・ハ・二の渡櫓)
●重要文化財74棟(櫓27棟、門15棟、土塀32棟)
●特別史跡の指定区域は107.8ha
以下ではそれぞれの見どころスポットを個々に引用でご紹介します。
姫路城のみどころ(城内)
姫路城の見どころをグランドオープン後の登閣順路に合せて並べ替えてご紹介します。
狭間(さま)
長方形は矢狭間、正方形・三角形・円形は鉄砲狭間。
①菱の門(ひしのもん)
脇門付櫓門、入母屋造、本瓦葺、白漆喰総塗籠造。番人詰所と馬見所があり、黒漆錺金具付き格子窓、華頭窓、白漆喰庇付き出格子窓の桃山時代の優雅で豪華な城門。
正面冠木に名前の由来となっている木製の「花菱」が飾られています。
空堀痕跡(からぼりこんせき)
V字型石積み。秀吉時代の空堀の痕跡。三国堀東南の石階段に刻印。
刻印(こくいん)
姫路城とその周囲で59種類122個が確認されています。
②いの門、⑳ろの門(いのもん、ろのもん)
脇戸付高麗門、切妻造、本瓦葺。ろの門内に石棺、北側石垣の南面下部に刻印。
⑮はの門(はのもん)
脇戸付櫓門。切妻造、本瓦葺。有事には土砂などで封鎖します。
石灯籠(いしどうろう)
柱の礎石に石灯籠の基礎を転用。
十字紋の鬼瓦(じゅうじもんのおにがわら)
官兵衛はキリスト教に入信。洗礼名「シメオン」。
土塀の石落し ※曲線壁(どべいのいしおとし)
城内に3ケ所しかない珍しい設備。
宝篋印塔(ほうきょういんとう)
宝篋印塔と転用、通路の脇に石棺。
⑭にの門東方上土塀、にの門東方下土塀(にのもんとうほうかみどべい、にのもんとうほうしもどべい)
秀吉時代の石垣、上土塀石垣に五輪塔、東つきあたり石垣の西面中部に刻印。
⑬にの門(にのもん)
潜り戸付櫓門と二重二階隅櫓を結ぶ続櫓を組み合わせた鉄板張り門扉の変形櫓。天井は低く、通路は直角に曲がり登り勾配です。
⑫ほの門(ほのもん)
塀中門で片開き扉の埋門。門扉は鉄板張り、有事には土砂などで封鎖します。
油壁(あぶらかべ)
輝政以前と伝わり、古い版築工法で造られています。
ロの渡櫓(ろのわたりやぐら)
井戸があり天守に近い貴重な水源です。
⑪北腰曲輪の櫓郡(きたこしくるわのやぐらぐん)
姫山原生林の急斜面上の石垣に沿って美しい弧を描いた櫓郡。城の北面の守りと塩・米などの倉庫群。
姥が石(うばがいし)
石臼を転用。石臼の東側石垣の西面・北面上部に刻印。
⑨水の一門(みずのいちもん)
潜り戸付片開き扉の棟門。
⑧水の二門(みずのにもん)
潜り戸付両開き扉の棟門。
⑦水の三門(みずのさんもん)
塀中門で潜り戸付片開き扉の埋門。東側石垣の南面中部に刻印。
<< 連立式天守群の内覧 >>
このタイミングで天守内の内覧を行う順路になっています。
⑥備前門(びぜんもん)
脇戸付櫓門、切妻造、本瓦葺。続櫓を付設、門扉は鉄板張り。出隅に石棺、門内北側石垣の南面上部に刻印。
⑤太鼓櫓(への櫓)(たいこやぐら/へのやぐら)
一重一階折曲り櫓、入母屋造、本瓦葺。りの門外石垣の南面・東面上部に刻印。
りの門(りのもん)
脇戸付高麗門、入母屋造、本瓦葺。「慶長四ねん大工五人」の墨書で秀吉の義兄・木下家定時代とわかりました。
お菊井戸(おきくいど)
浄瑠璃などの題材になっています。
④チの櫓、リの一渡櫓、リの二渡櫓
上山里曲輪を守る櫓郡で石落しや狭間などを備えています。
チの櫓(ちのやぐら)
二重二階隅櫓、入母屋造、本瓦葺。櫓自体に入口はなく、リの一渡櫓から入ります。
リの一渡櫓(りのいちわたりやぐら)
二重二階渡り櫓、本瓦葺。土庇が、リの二渡櫓まで大きく張り出しています。
リの二渡櫓(りのにわたりやぐら)
二重二階渡櫓、本瓦葺。一階城外側は石垣壁です。城内側石階段に刻印。
石棺(せっかん)
備前丸東側石垣の東面上部に積み込まれていました。
③ぬの門(ぬのもん)
脇戸付二重二階櫓門、切妻造、本瓦葺。門扉は鉄板張り。
鏡石(かがみいし)
呪術的な意味を込めた大石で「人面石」ともいいます。
探してみよう!
※ハート形の石が石垣に隠れています。
扇の勾配(おうぎのこうばい)
打ち込みハギの石垣。隅角部は「算木積み」。石垣の南面中部に刻印。
控塀(ひかえべい)
補強のための塀、板を渡し攻撃に利用します。
切込みハギの石垣(きりこみはぎのいしがき)
石垣の東面下部に刻印。
補強石垣(ほきょういしがき)
江戸時代初期の補強石垣。
るの門(るのもん)
石垣に開けられた穴門。五輪塔などを転用、石階段に刻印。
石垣の稜線(いしがきのりょうせん)
稜線を境に右手が秀吉時代、左手が輝政時代。
姫路城のみどころ(西の丸エリア)
本多忠政の嫡男・忠刻と徳川家康の孫・千姫の居館として、千姫の化粧料10万石で元和4年(1618年)に造営された建造物群で西の丸に重要文化財14棟が残っています。
⑱長局(百間廊下)(ながつぼね・ひゃっけんろうか)
レの渡櫓~カの渡櫓の長さは、約121間(約240m)です。
⑲化粧櫓(けしょうやぐら)
千姫が男山の天満宮を遥拝する時に休息し、化粧を直したと伝えられています。床の間があるのは、化粧櫓と帯の櫓だけです。
⑯鏡石(かがみいし)
呪術的な意味を込めた大石。
土塀の石落し ※直線壁(どべいのいしおとし)
城内に3ケ所しかない珍しい設備。
姫路城のみどころ(城外)
姫路城の有料観覧エリア外の見どころスポットです。
㉑菱の門東方石垣(ひしのもんとうほういしがき)
秀吉時代を代表する石垣で野面積みの「布積み崩し」の典型。
石棺(せっかん)
石造遺品(せきぞういひん)
転用された五輪塔などが祀られています。
上山里下段石垣(かみやまざとげだんいしがき)
秀吉時代の野面積みの古式石垣。
姫路城の歴史(裏表紙より)
裏表紙に書かれている「姫路城の歴史」を文字起こししておきます。
和暦 | 西暦 | 何年前 | 出来事 |
---|---|---|---|
和銅6年 | (713) | 1311 年前 | 播磨国風土記に日女道丘(ひめじおか)-蠶子(蚕)が落ちた丘-と記され、姫路城のある姫山とする説がある。 |
~霊亀元年 | (715) | 1309 年前 | |
元弘3年 | (1333) | 691 年前 | 赤松則村(円心)、姫山に縄張り。小寺氏に守らせた。 |
貞和2年 | (1346) | 678 年前 | 赤松貞範、姫山に城を築く。 |
貞和5年 | (1349) | 675 年前 | 貞範、庄山城に移る。小寺頼季を姫路城に置く。 |
永正16年 | (1519) | 505 年前 | 小寺政隆、御着城を築く。姫路城にはその子・則職を置く。 |
天文14年 | (1545) | 479 年前 | 黒田重隆、小寺氏の命により姫路城へ。その後、嫡男・職隆に守らせる |
天文15年 | (1546) | 478 年前 | 黒田孝高(官兵衛)、姫路城で生まれる。 |
永禄10年 | (1567) | 457 年前 | 官兵衛、志方城主・櫛橋伊定に娘・光姫(幸圓)と結婚。 父・職隆隠居。官兵衛、家督を継ぐ。 |
永禄11年 | (1568) | 456 年前 | 嫡男・長政、姫路城で生まれる。 |
天正5年 | (1577) | 447 年前 | 羽柴秀吉、播磨に侵攻。 |
天正8年 | (1580) | 444 年前 | 官兵衛、姫路城を秀吉に譲り、妻鹿国府山城に移る。 秀吉、官兵衛と浅野長政に普請を命じ、姫路城の築城(大改修)を開始。 |
天正9年 | (1581) | 443 年前 | 三重の本格的な天守を持つ姫路城が完成。 |
慶長6年 | (1601) | 423 年前 | 池田輝政、姫路城の築城を始める。 |
慶長14年 | (1609) | 415 年前 | 五重六階地下一階の連立式天守完成。 |
元和3年 | (1617) | 407 年前 | 本多忠政、伊勢国桑名から入封。 |
元和4年 | (1618) | 406 年前 | 忠政、西の丸を造営。 |
寛延2年 | (1749) | 275 年前 | 酒井氏(忠恭)、上野国前橋より姫路へ入封。 |
明治元年 | (1868) | 156 年前 | 酒井忠邦、版籍奉還を申し出。 |
明治7年 | (1874) | 150 年前 | 歩兵第10連隊の営所が姫路城内に置かれる。 |
明治43年 | (1910) | 114 年前 | 姫路城、明治の大修理始まる。(~明治44(1911)) |
昭和9年 | (1934) | 90 年前 | 西の丸から昭和の修理始まる。 |
昭和26年 | (1951) | 73 年前 | 姫路城天守8棟、国宝に指定。 |
昭和31年 | (1956) | 68 年前 | 大天守等の解体修理始まる.(~昭和39(1964)) 姫路城中濠以内、特別史跡に指定。 |
平成5年 | (1993) | 31 年前 | 姫路城、世界文化遺産に登録。 |
平成21年 | (2009) | 15 年前 | 大天守修理始まる。 |
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