「地理歴史勝地記文」富本長洲 (温) 著/又間精華堂(明治33年10月)-抜粋(1900)
「地理歴史勝地記文」富本長洲 (温) 著/又間精華堂は明治の頃の観光雑誌という位置づけの書籍です。
明治33年10月(1900 =123 年前)発行で古く、
歩いて日本全国を旅するコンセプトで書かれているように見える観光雑誌のようです。
多くの観光地が紹介されていますが、その中にも姫路城が少しだけ触れられています。
ここでは姫路城に関する部分を抜粋してご紹介します。
「地理歴史勝地記文」富本長洲 (温) 著/又間精華堂(明治33年10月)
「地理歴史勝地記文」は今で言えば「るるぶ」の関西版のようなもののようで、
関西の観光地を広く紹介している書籍です。
その為、銀閣寺や比叡山、厳島神社など多くが紹介されています。
そんな中で、姫路城はどのように紹介されているでしょうか。
ーーーーーー(中略)ーーーーーー
〇姫路城ヲ望ム記
今茲(ここ)舞子二遊ヒ。頗ル快ヲ覺フ。因テ更二西遊センコトヲ欲シ。歩シテ明石。高砂等ノ勝地ヲ探リ。以テ姫路市二低ル。
姫路ハ山陽道中。廣島。岡山二次グル城市ニシテ。四方田圃ヲ繞ラシ(めぐらし)。市川ノ流レヲ 擁シ 。土地 平夷 ニシテ道路八達ス(発達す)。誠二 殷賑 ノ地ナリ。而シテ有名ノ白鷺城ハ。 巍然 トシテ北部二聳ユ。昔時 豐太閤 。 羽柴 氏ヲ稱セシトキ。別所氏ヲ滅ボシ。͡此城二移リ。而シテ備中高松ノ水攻。光秀追討ノ軍。毎二議ヲ此城中二開ケリ。後チ天下統一二於テ。隔ル所ナリ。而シテ歩兵等八旅團ノ營二充テラレ。今又更二新師團設置ノ地ト爲ル。武ヲ用ヰルニ於テハ。地ノ利ヲ得タリト謂フ可シ。城中五層ノ天主閣アリ。慶長五年(1601)。 池田輝政 。封チ此地二受ケ。新タニ營築セシモノニ係ル。 秀吉 ノ初メテ築ケルハ。三層ナリシト云フ。閣上登臨セント欲スルモ得ズ。市人云フ。之二登レバ四方一ノ限界ヲ遮ルモノ無ク。下瞰スレバ 人豆寸馬 ナリト。以テ其高キヲ知ルベシ。
乃チ去る。
ーーーーーー(以下略)ーーーーーー
羽柴秀吉の建てた三層の天主は俗に「太閤丸」と呼ばれますが、ここでは「豐太閤」と表しています。
またこの頃は八旅団の営舎が既に姫路城内に入り、更に新旅団を迎えるとあります。
当然ながら、一般市民が登閣することはできず「之二登レバ四方一ノ限界ヲ遮ルモノ無ク。下瞰スレバ人豆寸馬ナリト。以テ其高キヲ知ルベシ。」と姫路城に登れば四方遮るものが無く、下は寸馬豆人、遠くに人や馬が見えると。そこから高さを知ることができるだろう。と言っています。
姫路城に登ることなど夢のまた夢、噂でしか語る事ができなかった時代なのだろうと感じることができます。
ーーーーーー(巻末)ーーーーーー
明治三十三年(1900)九月二十日印刷
明治三十三年(1900)十月 十日發行
著述者 富本 長州
發行者 大阪市南區安堂寺町四丁目二百番屋敷 又間 安次郎
印刷者 大阪市東區谷町二丁目大手筋南入東側 菅田 淳吉
發行元 大阪市南區安堂寺町御堂筋南入 又間精華堂
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(出典)特19-532 地理歴史勝地記文 富本長洲 (温) 著/又間精華堂
あまり、姫路城に限っては書かれていることが少ないのですが、
歴史を知る上では重要なことも書かれていますので、必要に応じて参照したい文献だと思います。
「之二登レバ四方一ノ限界ヲ遮ルモノ無ク。下瞰スレバ人豆寸馬ナリト。以テ其高キヲ知ルベシ。」と、
観光客に姫路城の話をするときも市民でさえ、
噂のような話で説明するしかないという時代を感じます。
今、自由に姫路城に一般の人が入れることは当時から思えば非常に貴重な事なのだと思います。
本書籍は国立国会図書館にて公開されていますので、誰でも読むことができます。
(抜粋引用)国立国会図書館デジタルコレクション – 地理歴史勝地記文
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グレゴリウス暦導入以前の明治以前は原則ユリウス暦を元にして、
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例はとして以下のようなケースです。
「慶長五年」は以下の日付範囲であるとされています。
グレゴリオ暦:1月1日-1600/2/15、12月31日-1601/2/2
ユリウス暦:1月1日-1600/2/5、12月31日-1601/1/23
もし、本文中に「慶長五年二月二日」という記述があった場合、
それぞれの日付は、1600/3/16(1600/3/5)になりますが、
ここでは一律で最も歴史的に新しい年として「1601」年を表示しています。
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元号西暦表示の例) 慶長五年(1601) (1600/2/15~1601/2/2)
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公開日:
最終更新日:2018/03/05