「敷島美観」小泉墨城 編/帝国地史編纂所(明治38年10月)ー抜粋(1905)
「敷島美観」小泉墨城 編/帝国地史編纂所は明治の頃の観光雑誌という位置づけの書籍です。
明治38年10月(1905 =118 年前)発行で古く、
日本全国の観光地を紹介する書籍です。
その時代、日本の観光地としてどこをどのように紹介しているのかを知る貴重な資料です。
姫路城に関しても取り上げられていますのでご紹介します。
「敷島美観」小泉墨城 編/帝国地史編纂所(明治38年10月)
「敷島美観」は今で言えば「るるぶ」の関西版のようなもののようで、
全国の観光地を広く紹介している書籍です。
そんな中で、姫路城はどのように紹介されているでしょうか。
目次
目次には以下のように書かれています。(抜粋)
The Castle of Himeji. 姫路城(兵庫縣)
ーーーーーー(中略)ーーーーーー
姫路城(兵庫縣)
貞和年間赤松貞範之に築きて爾(なんじ)後子孫累世之を守り嘉吉年中赤松氏の亡ぶるや山名宗全來りを領す、 既にして赤松政則再び 蹶起 して山名を逐ひ以て當國を復し小寺孝隆をして之に居らしむ、天正中(1573-1593)羽柴秀吉三木の別所を滅して後ち此城に移り大に修築して新に三層の天主閣を設く、後慶長五年(1601)池田輝政此地に封ぜらるゝや大に土木を起し運河を開き更に五層天守閣を新築す 而して 現存するものは是なり降て徳川氏の世に至り酒井氏之れを世襲して維新に及ぶ、閣は塗るに 白堊 を以てし世に白鷺城と稱して我國屈指の名城なり、 廣袤 東西凡十町、南北八町外廓之を 圍み 繞らす に深濠を以てす、現時第十師團 茲に 鎭して 城内容易に縦覧するを得ず。
また英語表記では以下のように書かれています。
THE CASTLE OF HIMEJI.
(Hyogo Prefecture)This castle was first build by Akamatsu Sadanori a famous warrior of the ancient time, and was repaired afterward Hashiba Hideyoshi the famous Taiko of the later date, who build an additional building to it the shape of a tower of five stories.
Still later Ikeda Terumasa a vassal lord to the Shogunate improved this castle town by opening a canal and building another tower, which is preserved this day, and as it is prainted white, the castle is called Shirasagi Jo, or “White Heron,” and is estimated as one of the most famous castle in Japan. At present it is used as a garrison for the tenth division of the army.
ーーーーーー(以下略)ーーーーーー
ちなみに、
and was repaired afterward Hashiba Hideyoshi the famous Taiko of the later date, who build an additional building to it the shapeof a tower of five stories.
の部分は「後に太閤として有名になる羽柴秀吉が修復した後、5階建ての”塔の形をした建物”(天守閣)が建てられました。」となるように読めるので、ここでは「of five stories.」ではなく「of three stories.」となり三層天守ではないのだろうかと感じます。
「and building another tower, which is preserved this day, 」で
「今も保存されている別の塔を建て」とあるのでこちらが五層天守を指すのかなと感じます。
is prainted white,
部分は、おそらくは「is painted white」で「白く塗られている」と言う事だと思います。「白く拘束された」としてもまぁ、無理やり「白く塗籠る(ぬりごめる)」という印象もありますけども・・・。
「いや、これで合ってるし」など英語にお詳しい方は、訂正のご連絡でも頂けたらと思います^^;
それにしても、この時代に英語表記の観光案内が作成されていたと言う事はとても新鮮な印象を受けました。
ーーーーーー(巻末)ーーーーーー
明治三十三年(1900)九月二十日印刷
明治三十三年(1900)十月 十日發行
著述者 富本 長州
發行者 大阪市南區安堂寺町四丁目二百番屋敷 又間 安次郎
印刷者 大阪市東區谷町二丁目大手筋南入東側 菅田 淳吉
發行元 大阪市南區安堂寺町御堂筋南入 又間精華堂
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(出典)401-11 敷島美観 小泉墨城 編/帝国地史編纂所
あまり、姫路城に限っては書かれていることが少ないのですが、
歴史を知る上では重要なことも書かれていますので、必要に応じて参照したい文献だと思います。
やはりこの時代も、城内は「現時第十師團 茲に 鎭して 城内容易に縦覧するを得ず。」と、
観光することはできないと書かれています。
本書籍は国立国会図書館にて公開されていますので、誰でも読むことができます。
(抜粋引用)国立国会図書館デジタルコレクション – 敷島美観
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グレゴリウス暦導入以前の明治以前は原則ユリウス暦を元にして、
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例はとして以下のようなケースです。
「慶長五年」は以下の日付範囲であるとされています。
グレゴリオ暦:1月1日-1600/2/15、12月31日-1601/2/2
ユリウス暦:1月1日-1600/2/5、12月31日-1601/1/23
もし、本文中に「慶長五年二月二日」という記述があった場合、
それぞれの日付は、1600/3/16(1600/3/5)になりますが、
ここでは一律で最も歴史的に新しい年として「1601」年を表示しています。
※その為、一般の書物にかかれた西暦と表示にズレが発生する場合があります。
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元号西暦表示の例) 慶長五年(1601) (1600/2/15~1601/2/2)
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公開日:
最終更新日:2018/02/11