姫路観光の見所・ポイントを徹底的に解説しています。姫路城だけでなく姫路に来た際に役に立つ周辺情報もご紹介しています。

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「日本之名勝」瀬川光行 編/史伝編纂所(明治33年12月)-抜粋(1900)

「日本之名勝」瀬川光行 編/史伝編纂所は明治の頃の観光雑誌という位置づけの書籍です。
明治33年12月(1900 =123 年前)発行で古く、
時代は姫路城内に軍が置かれ、広く一般が立ち入る事ができるエリアではない時代です。
そんな時代に姫路城は観光スポットとしてどのように紹介されているのかを読み解くことができます。

 

「日本之名勝」瀬川光行 編/史伝編纂所(明治33年12月)

「日本之名勝」は今で言えば「るるぶ」の全国版のようなもので、
基本的には日本全国の観光地を紹介している書籍です。

その為、目次も東京から始まり、出雲などまで網羅しています。
そんな中で、姫路城はどのように紹介されているでしょうか。

ーーーーーー(中略)ーーーーーー

姫路城

貞和年中(1345-1350)674 年前〕、赤松眞範(*1)の築きしを始とし、天正年間(1573-1593)、羽柴秀吉この城に移り、規模廣大にして、毛利氏に對する要衝とし、三層の天主閣を築けり。慶長五年、池田輝政この城主たりしとき、大に大工を起こして五層の天主閣を建築す、現今殘れるものこれなり。城外よりこれを望めば、時の櫓、樓などの白垔粉壁の間に、老松亭ゝとして繁茂し、其上に、魏然たる高閣天を摩して立ち、飛鳥影をおさむるの勸あり、この閣は塗るに白堊を以てしたるより、岡山城を烏城といふに對して、鷺城と呼びせなり、現今は師團の所在地として其營所に充てられ、特別の許可あるに非れば、登臨すること許されず。

*1:「赤松眞範」は姫路誌などを出典として、築城は「赤松貞範」であるとされています。誤植のように見えます。

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姫路城|「日本之名勝」瀬川光行 編/史伝編纂所

 

姫路城は南側の師團兵錬場越しに撮影されて紹介されています。

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姫路城写真|「日本之名勝」瀬川光行 編/史伝編纂所

ーーーーーー(以下略)ーーーーーー

東京都神田區通新石町
大賣捌所 東陽堂書店

明治三十三年(1900)十二月廿八日印刷
    年同 月丗一日發行

発行所 史博編纂所
東京市牛込區簟笥町十番地

發行兼編纂人 瀬川光行
 市 區 町番地

印刷所 猶興社 堀 健吉
 市神田區鎌倉川岸七號地

印刷人 藤澤 外吉
 市神田區仲猿樂町四番地

大賣捌

東京 全港堂書籍株式會社
東京市日本橋區本町三町目

  丸善書籍株式會社
 市  區通リ三丁目

  東京堂書舗
 市神田區神保町

大阪 松村九兵衛
大阪市南區心斎橋筋一丁目

---
(出典)403-76 日本之名勝 瀬川光行 編/史伝編纂所

あまり、姫路城に限っては書かれていることが少ないのですが、
歴史を知る上では重要なことも書かれていますので、必要に応じて参照したい文献だと思います。

酒井家の所領の時代には易々とは立ち入る事はできないながらも、
姫路城の中を「伊呂波48門」などと語られて、話題にはなっていたようですが、
兵営が置かれた頃は、中を知るような話はされなくなっているように思います。

私達が自衛隊の敷地内の状況を知る事がないように、
当時は軍事施設の内部という側面が強く出ていた時代なのでしょう。

今、自由に姫路城に一般の人が入れることは当時から思えば非常に貴重な事なのだと思います。

 


本書籍は国立国会図書館にて公開されていますので、誰でも読むことができます。
(抜粋引用)国立国会図書館デジタルコレクション – 日本之名勝

※ページ遷移プルダウン「270」を選択して確認可能です。

元号西暦表示の例) 慶長五年(1601) (1600/2/15~1601/2/2)

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公開日:
最終更新日:2018/02/11

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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