【(旧)国宝指定】官報・昭和六年一月(1931年01月)
昭和六年(1931)一月に国宝に指定された姫路城。国宝指定は実に93 年前の事になります。
そんな昭和も初期の頃に姫路城が国宝に指定されたことを告げる「官報」は、
一般に公開されており、誰でも見ることができるようになっています。
※この指定は「旧国宝指定」でありますが天守は現在も「国宝」として登録されています。
【(旧)国宝指定】官報・昭和六年一月(1931年01月)
官報には以下のように書かれています。
◎文部省告示第八號
國寶保存法第一條二依リ左記ノ建造物ヲ國寶二指定ス
昭和六年一月十九日 文部大臣 田中 隆三
名稱 構造形式 所有者 所在地 姫路城天守 大天守、西小天守、乾小天守、東小天守、イノ渡櫓、ロノ渡櫓、ハノ渡櫓、二ノ渡櫓ヨリ成ル臺所附屬
大天守五層(内部六層、地階一層)西小天守三層(内部三層、地階二層)乾小天守三層(内部四層、地階一層)東小天守三層(内部三層、地階一層)イロハノ渡櫓何レモ二層(内部二層、地階一層)イロハノ渡櫓何レモ二層(内部二層、地階一層)イロハノ渡櫓何レモ二層(内部二層、地階一層)二ノ渡櫓三層(下層門)臺所單層(内部一部二層)屋根總本瓦葺國 兵庫縣姫路市本町 (抜粋)第1214号コマ番号「1」「2」:官報 第一二一四號 昭和六年一月十九日(第三種郵便物認可)
各櫓や渡櫓の名称が国宝として登録されたことから、
普遍的に固定されて呼ばれるようになってきました。
それまでは櫓や渡櫓に名前が付けられていなかった時代もあります。
櫓に関しては同年の年末に同様に国宝に指定されます。
しかし、姫路城に江戸時代前後に付けられた名前が反映されないまま、
櫓の名前が定着してしまったのは、少しつらい部分でもあります。
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