石造遺品(せきぞういひん)/転用石
「石造遺品」は姫路城内でそうした名称のみどころスポットがあるわけではありませんが、
本来の目的とは異なる用途で城内の石垣などに転用されていた石造品で、
現在は石垣などに再利用されなかった石造品を集めて祀る場所を示しています。
転用された石造品には、宗教的な宝篋印塔や、古墳から持ち出した石棺などがあります。
石造遺品(せきぞういひん)/転用石
転用石には様々な用途から石垣に転用されていた石造品があります。
石垣の修復時に取り出され、再利用されなかったものは、
「下山里曲輪」に祀られています。
場所は「上山里曲輪」の「チの櫓」石垣下に位置する場所になります。
姫路城の入城口を入る必要は無く、無料観覧エリア内にあります。
三の丸広場北側の「天守の庭」の東に位置します。
このように出土した五輪塔などを祀り、供養する場所が設けられています。
転用石は目に見える場所だけでなく、石垣の裏込め石(栗石)にも使われていました。
祀られていないが無造作におかれた石棺も
祭壇の西側に位置する少し下がった場所(「天守の庭」北東)には、
無造作におかれた「石棺」があります。
ここは「菱の門東方土塀」が東側で折れ、リの一渡櫓下の石垣に当たる部分ですが、
ひっそりとおかれています。
「城 姫路城の刻印と転用材について」には以下のように書かれており、
この放置されている石棺は元々は「チの櫓」下に積まれていたものであることがわかります。
石棺
(中略)
(15)「チの櫓」下 石垣平積石
解体修理中に発見され、「天守の庭」の北東に放置されている。縦八六cm、横七〇cmの残欠。(抜粋引用)城 姫路城の刻印と転用材について 増田重信/関西城郭研究会 No.127・1989.4
「チの櫓」から取り除いた後、ここまで移動したままになってしまっているのでしょうか。
「石造遺品」に加えてあげて欲しい気持ちもありますが・・・。
尚、この「菱の門東方土塀」の石垣には、
城内でも珍しく巨石が多く用いられた石垣になっており、
I期〔天正8年(1580)~慶長5年(1600)〕の石垣として分類されています。
I期石垣は野面石(自然石)を使用し「布積み崩し」(又は、野面積み)と、
呼ばれる積み方が用いられています。
この「菱の門東方土塀」下石垣も「布積み崩し」の代表的なものとされています。
グランドオープン前の旧パンフレットでも以下のように紹介されていました。
㉑菱の門東方石垣(ひしのもんとうほういしがき)
秀吉時代を代表する石垣で野面積みの「布積み崩し」の典型。
非常にスケールの大きな巨石は圧巻ですので、
姫路城の出口を出たらそのまま「菱の門東方土塀」下の石垣にも近づいて、
秀吉時代を感じてみるといいかもしれません。
当サイト内のコンテンツの引用・出典の明記なきものは、
すべて管理人ミトンが著作権を保持するオリジナルコンテンツです。
当サイトでご紹介しております写真につきましては著作権の放棄は致しません。
尚、サイト内コンテンツを引用される際にはご連絡は不要です。
ただし、出典元として当サイト(個別記事)へのリンクをお願いいたします。
申し訳ございませんが、無断転載、複製をお断りさせて頂いております。
なお、サイト内で公開させて頂いております写真元データは、5MB程のサイズがございます。
Web上で公開の写真は0.5MB程度に解像度等を落としておりますので、
別媒体でご利用をご検討の場合には元データの方が比較的綺麗です。
写真データ等の引用などをご検討でしたら、下記Twitterからまずご連絡をお願いします。
ロゴのない画像の提供等を検討させて頂き、ご連絡申し上げます。
写真等の利用目的など検討の結果、ご意向に添えない場合もございます。
データの提供をお約束するものではありません。
コンテンツを有益であると感じていただけましたら非常に光栄です。
ありがとうございます。
運営者はSNS等で個人名等の公開は行わないポリシーで運営しております。
直接のご連絡・取材時などには個人名・屋号でご連絡を差し上げる場合もございますが、
個人名・屋号等をインターネット上で公開されることはご遠慮願います。
公開日: