宝篋印塔(ほうきょういんとう)/転用石
姫路城の石垣では元々は異なった用途に利用されていた石造品を、
築城時の石不足を補うために転用しています。
転用された石造品には宝篋印塔(ほうきょういんとう)もあり、
現在も石垣に転用されている宝篋印塔の台石などを見ることができます。
宝篋印塔(ほうきょういんとう)/転用石
宝篋印塔の台石を姫路城内で簡単に見つけることができる場所が、
「水の三門」の内側すぐの場所にあります。
「水の三門」は備前丸から階段を登って「水の四門」外で通路が合流する場所の階段下にあり、
登閣順路としてはこの「水の三門」の方から進んできます。
その為、備前丸側から見た場合、「水の三門」門外になります。
順路では「水の一門」「水の二門」と進んできて、
先に見えているのが「水の三門」です。※手前が門内になります。
「水の三門」のすぐ右手(西)に宝篋印塔が転用され収まっています。
ここは「二の櫓」の脇の「水の二門」を潜ってきた下り坂になっている場所で、
宝篋印塔のある石垣の上は「二の櫓南方土塀」と呼ばれています。
丁度南角に位置する場所になります。
天守側から見た方が場所が分かりやすいのですが、このような位置になっています。
※これは「ハの渡櫓(国宝)」の窓から覗いています。
また歩いていると気づかないのですが、通路脇に埋められている巨石は、
石棺を転用したものであるとの事です。
宝篋印塔は石垣の角、最上部に転用されています。
石が加工されて、宝篋印塔の「格狭間」があしらわれた基礎石であることがわかります。
尚、宝篋印塔とは以下のような(左)の石造品を言います。
このように転用しやすい部分だけを石垣に転用している為、
「宝篋印塔」の元の姿がイメージしにくいのですが、
姫路城周辺や兵庫県内には、現存する宝篋印塔を見ることができます。
実際には、このような姿をしています。
下部の四角部分の基礎に格狭間模様が彫られ、転用石と似たデザインになっているのが分かります。
この「宝篋印塔」に関して案内板は特に設置されていませんが、
グランドオープン以前の城内パンフレットには以下のように紹介されていました。
宝篋印塔(ほうきょういんとう)
宝篋印塔と転用、通路の脇に石棺。
こうした転用石や刻印に関しての調査資料にこの「宝篋印塔」は以下のように書かれています。
宝篋印塔・基礎
7「水の三門」西側土塀下石垣最上部積込東面
(抜粋引用)城 姫路城の刻印と転用材について 増田重信/関西城郭研究会 No.127・1989.4
また「姫路城石垣の魅力/姫路市城郭研究室」では、
『水の三門西側の宝篋印塔(昭和の積み直し、原位置は不明)』とされ、
築城時からこの場所にあったわけではなく、昭和の間の修復にてこの位置に積み直されたとの事です。
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