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「第一冊・村翁夜話集|播磨の地誌」福本勇次著『村翁夜話集』刊行会(1856年前後)

「村翁夜話集」は播磨地方の郷土史で近世播磨の地域社会を知る上で欠かせない
基礎的な情報を提供してくれる書物であると言われます。
特筆すべき内容として、執筆された時期の姫路城内の櫓・門などが細かく明細として記録されている点です。
この明細はこれまで「姫路市史」や「姫路城史」などでも参考・引用されて、
姫路城の歴史を知る重要な情報として利用されてきました。
尚、著者の「福本勇次」氏は姫路藩士で書かれたのは江戸末期の幕末嘉永の頃と言われます。
ここでは「村翁夜話集所収姫路城門櫓明細書」として明細部分各建造物が、
現存する建造物にどう対応しているのかを調べ、一覧化してご紹介します。

 

「村翁夜話集所収姫路城門櫓明細書」の記述例

「村翁夜話集所収姫路城門櫓明細書」には以下のように、
淡々と文字にてどのような櫓・門・塀などが存在していたのかを述べています。

以下は、天守周りを記述した部分の抜粋です。

例)『天守・水曲輪』|村翁夜話集所収姫路城門櫓明細書

いかがでしょうか、ここはまだ分かりやすい方ですが、
現在呼称されている名称とは違う名前で書かれています。

倉の間共七重 〇御天守初重 桁行拾五間三尺八寸、梁行拾一間半、
二重 御天守ヨリ丑寅ノ方小天守迄渡御櫓 桁行五間四尺五寸、梁行三間、
三重 同丑寅ノ方小天守 桁行三間半、梁行三間、
二重 同所ヨリ戌亥ノ方小天守迄渡御櫓 桁行十四間五尺一寸、梁行三間、
三重 同戌亥ノ方小天守 桁行五間一尺七寸、梁行五間、
二重 同所ヨリ南ノ方小天守迄渡御櫓 桁行四間二尺四寸、梁行三間、
三重 同南ノ方小天守 桁行四間二尺、梁行四間、
同下タ水ノ六御門 桁行二間、明キ七尺、
同外南ノ方水ノ五御門 桁行二間半、梁行二間、明キ七尺六寸、
同外西ノ方水四冠木御門 桁行一間二尺七寸、明キ六尺三寸、
同外西ノ方水三冠木御門 桁行一間一尺五寸、明キ五尺一寸、
同外北方水二冠木御門 桁行一間四尺八寸、明キ五尺八寸、
一重 同所西ノ方三ノ御櫓 桁行折廻五間半、梁行二間、
同所北ノ方水一冠木門 桁行一間四尺、明キ五尺五寸、
所々御塀合四拾四間一尺 但水一御門ヨリ御天守入口迄、

(引用抜粋)第一冊・村翁夜話集|播磨の地誌 福本勇次著『村翁夜話集』刊行会-平成27年1月25日発行

この昔の呼名と、現在の呼名には長く錯誤が発生しています。
そうした錯誤を考慮して、当時の文献を参考に読み解くには、
まず現存している「村翁夜話集」を基準として考えていくと分かりやすくなります。

 

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各曲輪・エリア別の現行名称との対比

以下のリンク先では対象エリアごとに村翁夜話集による記述と、
「江戸末期」の頃の名称が確認できます。
全文を確認するには最下部の「全文」でご確認いただけます。

 

「村翁夜話集」について

「村翁夜話集」について同書では以下のとおり述べています。

『村翁夜話集』解題 前田徹

はじめに

『村翁夜話集』は、近世姫路藩領の地誌であり、近世播磨の地域社会を知る上で欠かせない基礎的な情報を提供してくれる書物である。この解題では、『村翁夜話集』の概要と、成立年代や著者について若干の考察を行いたい。あわせて『村翁夜話集』の意義についてもいくつかの注目すべき記述を通して紹介してみたい。なお、以下では、「本書」とは『村翁夜話集』の原本を指し、本刊本自体は「この資料集」と表記することとする。

播磨の近世地誌としては、全域を扱ったものとして、平野庸脩著『播磨鑑』(播磨史籍刊行会、一九五八年)、天川友親編纂『播陽万宝知恵袋』(臨川書店、一九八八年)などがよく知られており、このほか個別の藩領にかかるものとして、いずれも未公刊の書物であるが、龍野藩領の「龍野志」(たつの市立龍野図書館など蔵)、明石藩領の『采邑私記』(無窮会神習文庫ほか蔵)なども比較的よく知られたものである。

『村翁夜話集』も、こうした近世地誌類とともに、たとえば『兵庫県飾磨郡史』(飾磨郡教育会、一九二七年)、『増訂印南郡史』(印南郡役所、一九一六年)などの近代における姫路周辺地域の郡史編纂や橋本政次『姫路城史』(姫路城史刊行会、一九五二年)をはじめとする数多くの郷土史・市域史研究、さらに『姫路市史』(姫路市、現在順次刊行中)などの自治体史類においても基礎史料の一つとして用いられ続けてきている。しかしながらこれまで本格的な翻刻紹介は行われてこなかった。このため、この資料集では、第一冊から第五冊までについて、全文を翻刻し紹介することとした。

一 底本

この資料集で用いた本書の底本は姫路市立城内図書館所蔵本(以下、城内図書館本と略称する)である。諸本については十分な調査が行えていないが、現在のところ、他に姫路市渡辺聡家所蔵本(以下、渡辺本と略称)、英賀神社所蔵本、射楯兵主神社所蔵本が知られている。しかし、いずれも抄録本や欠本であり、城内図書館が最善本とみることができる。

城内図書館本は和本全七冊からなる。いずれも堅・袋綴装、表紙、裏表紙には茶系の渋紙が用いられている。この資料集ではこのうち五冊分を翻刻紹介することとした。第一~五各冊の外題、内題、寸法と丁数はつぎのとおりである。なお、寸法は縦✖横(センチメートル)であり、丁数には白紙を含み、表紙は含まない。

  • 第一冊 外題題箋「村翁夜話集 □□□」(寸法略)
  • 第二冊 外題題箋「村翁夜話集 城主代々并墓銘/付碑銘之部」(寸法略)
  • 第三冊 外題題箋「村翁夜話集 付録英城記」(寸法略)
  • 第四冊 外題題箋「村翁夜話集 □□□□」(寸法略)
  • 第五冊 外題題箋「村翁夜話集 付録/雑聞書」(寸法略)

各冊の巻頭・扉裏等には昭和二七年(一九五二)十二月二十三日付の図書館受入印が押されており、このころ同館の所蔵となったことがわかる。
また、各冊とも、巻頭に「姫路市立図書館蔵」の朱文方印と、これ以前の所蔵者の蔵書印がる。まず、第一冊~第五冊すべてに、「福本蔵書」(朱文楕円印)がある。そして第四冊のみ、これと別に「梨屋」(朱文方印)、「梨屋蔵書」(朱文方印)も捺されている(口絵参照)。これらの蔵書印については、本書の筆者に関する考察の中であらためて述べることとしたい。

(以下略)

(引用抜粋)第一冊・村翁夜話集|播磨の地誌 福本勇次著『村翁夜話集』刊行会-平成27年1月25日発行

 

全リスト一括表示

以下は、曲輪ごとに分割せずに、全リストを表示しているものです。
名称の検索等を行う際には、以下の利用が便利です。(右上のフィールドでフィルタできます)

尚「管No」が連番ではなく、飛んでいるのは、
その部分に一般的な順序として存在している建造物が、
「村翁夜話集」に記載されていない、又は、他の建造物とまとめて表記されている箇所になります。

例として、連立天守には「二の渡櫓(国宝)」が存在しています。
ですが「村翁夜話集」ではその部分に「御櫓(または、御渡櫓)」が記載されていません。
これは当時、この部分は「水ノ御五門」として「城門」として解釈されていた為です。
こうした現在との違いがあり、別記している部分は「管No」は連番ではありません。

その部分を確認するには、上記で紹介した各エリア別のリンク先をご確認ください。

管理 村翁夜話集原文 重層 村翁夜話名 エリア 現存 現名称 桁行 桁行(m:参考) 梁行 梁行(m:参考) 備考
1倉の間共七重 〇御天守初重 桁行拾五間三尺八寸、梁行拾一間半、 7重御天守天守丸現存大天守十五間三尺八寸28.4十五間三尺八寸28.4地階を「倉の間」と呼称の模様
2二重 御天守ヨリ丑寅ノ方小天守迄渡御櫓 桁行五間四尺五寸、梁行三間、2重渡御櫓天守丸現存イの渡櫓(国宝)五間四尺五寸10.5三間5.5
3三重 同丑寅ノ方小天守 桁行三間半、梁行三間、3重小天守天守丸現存東小天守三間半6.4三間5.5
4二重 同所ヨリ戌亥ノ方小天守迄渡御櫓 桁行十四間五尺一寸、梁行三間、2重渡御櫓天守丸現存ロの渡櫓(国宝)十四間五尺一寸27.0三間5.5
5三重 同戌亥ノ方小天守 桁行五間一尺七寸、梁行五間、3重小天守天守丸現存乾小天守五間一尺七寸9.6五間9.1
6二重 同所ヨリ南ノ方小天守迄渡御櫓 桁行四間二尺四寸、梁行三間、2重渡御櫓天守丸現存ハの渡櫓(国宝)四間二尺四寸8.0三間5.5
7三重 同南ノ方小天守 桁行四間二尺、梁行四間、3重小天守天守丸現存西小天守四間二尺7.9四間7.3
8同下タ水ノ六御門 桁行二間、明キ七尺、-水ノ六御門天守丸現存水の六門二間3.60.0
11同外南ノ方水ノ五御門 桁行二間半、梁行二間、明キ七尺六寸、-水ノ五御門天守丸現存水の五門二間半4.5二間3.6「二の渡櫓(国宝)」は「水ノ御五門」として記載
12同外西ノ方水四冠木御門 桁行一間二尺七寸、明キ六尺三寸、-水四冠木御門水曲輪現存水の四門一間二尺七寸2.60.0
13同外西ノ方水三冠木御門 桁行一間一尺五寸、明キ五尺一寸、-水三冠木御門水曲輪現存水の三門一間一尺五寸2.30.0
14同外北方水二冠木御門 桁行一間四尺八寸、明キ五尺八寸、-水二冠木御門水曲輪現存水の二門一間四尺八寸3.30.0
15一重 同所西ノ方三ノ御櫓 桁行折廻五間半、梁行二間、1重三ノ御櫓水曲輪現存ニの櫓五間半10.0二間3.6「現:二の櫓」はここでは一重の「三ノ御櫓」と表記。
16同所北ノ方水一冠木門 桁行一間四尺、明キ五尺五寸、-水一冠木門水曲輪現存水の一門一間四尺3.00.0
17所々御塀合四拾四間一尺 但水一御門ヨリ御天守入口迄、-御塀水曲輪現存水の一門北方築地塀,二の櫓南方土塀,水の一門西方土塀,水の五門南方土塀四十四間一尺80.30.0
18〇備前丸入口ヨリ二御櫓迄渡御櫓 桁行四間、梁行三間、 -渡御櫓備前丸消失(跡)四間7.3三間3.6明治15年12月27日失火により消失。
19二重 同二ノ御櫓 桁行三間半、梁行三間半、 2重二ノ御櫓備前丸消失(跡)三間半6.4三間半6.4明治15年12月27日失火により消失。
20同所ヨリ御対面所迄渡御櫓 桁行七間一尺、梁行四間、-渡御櫓備前丸消失(跡)七間一尺13.0四間7.3明治15年12月27日失火により消失。
21同御対面所 桁行拾二間、梁行四間半、-御対面所備前丸消失(跡)十二間21.8四間半8.2明治15年12月27日失火により消失。
22同続東ノ方回家 桁行三間半、梁行弐間、-回家備前丸消失(跡)三間半6.4二間3.6明治15年12月27日失火により消失。
23同続同断 桁行三間半、梁行二間、-回家備前丸消失(跡)三間半6.4二間3.6明治15年12月27日失火により消失。
24二階 同続南ノ方四ノ御櫓迄長局 桁行九間半、梁行三間、2重長局備前丸消失(跡)九間半17.3三間5.5明治15年12月27日失火により消失。
25二重 同四ノ御櫓 桁行三間、梁行弐間半、2重四ノ御櫓 備前丸消失(跡)三間5.5二間半4.5明治15年12月27日失火により消失。
26二階 同所続東ノ方長局 桁行廿間一尺五寸、梁行三間、2重長局備前丸消失(跡)二十間一尺五寸36.8三間5.5明治15年12月27日失火により消失。
27同 同所北ノ方回家同断 桁行四間、梁行三間、2重長局備前丸消失(跡)四間7.3三間5.5明治15年12月27日失火により消失。
28同 同東ノ方回家同断 桁行四間半、梁行三間、2重長局備前丸消失(跡)四間半8.2三間5.5明治15年12月27日失火により消失。
29二重 同所北ノ方五ノ御櫓 桁行三間、梁行同断、2重五ノ御櫓備前丸消失(跡)三間5.5三間5.5明治15年12月27日失火により消失。
30同続北ノ方渡御櫓 桁行三間二尺、梁行三間、-渡御櫓備前丸消失(跡)三間二尺6.1三間5.5明治15年12月27日失火により消失。
31同所東入口御門 桁行二間一尺、梁行一間五尺、明キ七尺二寸、クヽリ明キ三尺二寸、-東入口御門備前丸置換(復旧以外の再建)備前門二間一尺3.9一間五尺3.3明治15年12月27日失火により消失。
32同続北ノ方渡御櫓 桁行二間、梁行同断、-渡御櫓備前丸置換(復旧以外の再建)折廻り櫓二間3.6二間3.6明治15年12月27日失火により消失。
33同続西ノ方同断 桁行八間、梁行三間半、-渡御櫓備前丸現存折廻り櫓八間14.5三間半6.4明治15年12月27日失火により消失するも、部分的に残る。
34同続南ノ方同断 桁行四間、梁行二間半、-渡御櫓備前丸消失(跡)四間7.3二間半4.5明治15年12月27日失火により消失。
35同所御台(タイ)所入口 桁行二間、梁行一間唐破風-御台(タイ)所入口備前丸消失(跡)二間3.6一間1.8明治15年12月27日失火により消失。夜話集には「台所」とあるが「臺所(ミダイドコロ)」で「御臺所」は将軍などの妻を指し、輝政の室督姫がこれに住んでいたと言われる。
36同御台所 桁行拾二間、梁行拾一間、-御台所備前丸消失(跡)十二間21.8十一間20.0明治15年12月27日失火により消失。夜話集には「台所」とあるが「臺所(ミダイドコロ)」で「御臺所」は将軍などの妻を指し、輝政の室督姫がこれに住んでいたと言われる。
37同続上台所 桁行七間半、梁行五間半、-上台所備前丸消失(跡)七間半13.6五間半10.0明治15年12月27日失火により消失。夜話集には「台所」とあるが「臺所(ミダイドコロ)」で「御臺所」は将軍などの妻を指し、輝政の室督姫がこれに住んでいたと言われる。
38同続西ノ方回家 桁行五間半、梁行三間、-回家備前丸消失(跡)五間半10.0三間5.5明治15年12月27日失火により消失。
39同所雪隠壱ヶ所 弐間㈡一間弐尺-雪隠壱ヶ所備前丸消失(跡)0.00.0明治15年12月27日失火により消失。
40同壱ヶ所 弐間㈡壱間半-雪隠壱ヶ所備前丸消失(跡)0.00.0明治15年12月27日失火により消失。
41同所御塀拾三間五尺、-御塀備前丸消失(跡)十三間五尺25.10.0明治15年12月27日失火により消失。復元なし。
42〇菱ノ御門 桁行十間半、梁行四間、明キ一丈三尺、クヽリ明キ三尺九寸、-菱ノ御門二の丸現存菱の門十間半13.6四間7.3
43同所左右御塀三拾七間、-御塀二の丸現存菱の門東方土塀,菱の門西方土塀三十七間67.30.0
44菱ノ御門内北ノ方 〇いノ冠木御門 桁行三間四尺、袖ノ間一間一尺五寸、明キ一丈五寸、クヽリ四尺、-いノ冠木御門二の丸現存いの門三間四尺6.70.0
45同所東ノ御塀弐拾八間、-御塀二の丸現存いの門東方土塀(一部)二十八間50.90.0
46同所井戸屋形 壱間半四方、-井戸屋形二の丸消失(跡)0.00.0
47いノ御門内北ノ方 〇ろノ冠木御門 桁行四間四尺六寸、袖ノ間一間弐尺、明キ一丈五寸、クヽリ四尺、-ろノ冠木御門二の丸現存ろの門四間四尺六寸8.70.0
48同所西ノ方瓦蔵 桁行五間四尺、梁行弐間五尺七寸、-瓦蔵二の丸消失(跡)五間四尺10.3二間五尺七寸5.4
49同所左右御塀七拾一間、但御門内北ノ方共二、-御塀二の丸現存ろの門西南方土塀(一部),ろの門東方土塀,はの門南方土塀,はの門東方土塀七十一間129.10.0
50ろノ御門北ノ方 〇はノ御門 桁行三間半、梁行一間弐尺五寸、明キ七尺五寸、クヽリ三尺一寸、-はノ御門乾曲輪現存はの門三間半6.4一間二尺五寸2.6
51同所西ノ方いノ御櫓迄渡御櫓 桁行六間、梁行三間、-渡御櫓乾曲輪消失(跡)三間半6.4三間5.5
52二重 同いノ御櫓 桁行三間弐尺、梁行三間、2重いノ御櫓乾曲輪消失(跡)三間二尺6.1三間5.5
53同続東ノ方渡御櫓 桁行十五間、梁行三間一尺六寸、-渡御櫓乾曲輪消失(跡)十五間27.3三間一尺六寸5.9
54同所東ノ方御多門 桁行六間、梁行弐間一尺七寸、-御多門乾曲輪現存ロの櫓六間10.9二間一尺七寸4.2
55同所南ノ方御土蔵 桁行三間、梁行二間、-御土蔵乾曲輪消失(跡)三間5.5二間3.6
56同所御塀三拾八間 但はノ御門東ノ方并北ノ方共二、-御塀乾曲輪現存はの門東方土塀(一部),はの門西方土塀,にの門東方下土塀,ロの櫓東方土塀,ロの櫓西方土塀三十八間69.10.0
548はノ御門北ノ方 〇にノ御門 桁行弐間弐尺五寸 梁行壱間四尺五寸 明キ六尺五寸-にノ御門西北腰曲輪現存にの門ニ間ニ尺五寸4.4一間四尺五寸3.2この項脱漏につき異本により補う(出典:姫路史14巻)
549同続西ノ方ろノ御櫓迄渡御櫓 桁行壱間四尺六寸 梁行弐間半-渡御櫓西北腰曲輪現存にの門一間四尺六寸3.2ニ間半4.5この項脱漏につき異本により補う(出典:姫路史14巻)
550二重 同ろノ御櫓 桁行三間弐尺四寸 梁間弐尺五寸2重ろノ御櫓西北腰曲輪現存にの門三間ニ尺四寸6.2ニ尺五寸0.8この項脱漏につき異本により補う(出典:姫路史14巻)
551同続北ノ方はノ御櫓迄御多門 桁行九間五尺 梁行弐間五尺五寸-御多門西北腰曲輪消失(跡)九間五尺17.9ニ間五尺五寸5.3この項脱漏につき異本により補う(出典:姫路史14巻)
552二重 同はノ御櫓 桁行四尺一寸 梁行三間二尺六寸2重はノ御櫓西北腰曲輪消失(跡)四尺一寸1.2三間二尺六寸6.2この項脱漏につき異本により補う(出典:姫路史14巻)
553同続 東方御多門 桁行拾壱間四尺五寸 梁行弐間四尺-御多門西北腰曲輪消失(跡)十一間四尺五寸21.4ニ間四尺4.8この項脱漏につき異本により補う(出典:姫路史14巻)
554同所御塀 三拾八間弐尺 但 にノ御門東方并北方共 幅拾四間半 にノ御門外袖塀-御塀西北腰曲輪消失(跡)三十八間ニ尺69.70.0この項脱漏につき異本により補う(出典:姫路史14巻)
57にノ御門内東ノ方 〇ほノ冠木御門 桁行壱間弐尺、明キ四尺八寸、-ほノ冠木御門北腰曲輪現存ほの門一間二尺2.40.0
58同所北ノ方にノ御櫓 桁行三間五尺、梁行四間弐尺八寸、-にノ御櫓北腰曲輪現存イの渡櫓三間五尺7.0四間二尺八寸8.1
59同続東ノ方御多門 桁行七間、内ニ井戸アリ、梁行三間二尺四寸、-御多門北腰曲輪現存ロの渡櫓七間12.7三間二尺四寸6.2内に井戸あり
555同続東ノ方塩蔵 桁行拾五間弐尺 梁行三間弐尺六寸-塩蔵北腰曲輪現存ハの渡櫓十五間二尺27.9三間二尺六寸6.2この項脱漏につき異本により補う(出典:姫路史14巻)、別名「塩櫓」
60同続ほノ御櫓 桁行五間半、梁行四間三尺五寸、-ほノ御櫓北腰曲輪現存二の渡櫓五間半10.0四間三尺五寸8.3
61同続東ノ方御多門 桁行拾間、梁行四間半、-御多門北腰曲輪現存ホの櫓十間18.2四間半8.2「村:御多門(61)」の位置の櫓に当たるが櫓の割り付けが現在と異なる。
62同続南ノ方同断 桁行五間半、梁行三間、-御多門北腰曲輪現存ヘの渡櫓五間半10.0三間5.5
63同所南ノ方へノ冠木御門 桁行壱間弐尺弐寸、袖ノ間一間一尺、-へノ冠木御門北腰曲輪現存への門一間二尺二寸2.50.0
64同所御塀拾五間一尺五寸 但ほノ御門北方并へノ御門東ノ方とも、-御塀北腰曲輪現存イの渡櫓南方土塀,への門西方土塀,への門東方土塀十五間一尺五寸27.70.0
65へノ冠木御門外東方 とノ御門 桁行三間一尺五寸、梁行一間五尺、明キ一丈一寸、クヽリ明キ弐尺一寸、-とノ御門搦手現存との一門三間5.5一間五尺3.3
66同続南ノ方御多門 桁行三間弐尺、梁行三間一尺、-御多門搦手現存トの櫓三間二尺6.1三間一尺5.8
67同所外東ノ方とノニ冠木御門 桁行二間半、袖間五尺、明キ七尺、クヽリ二尺九寸、-とノニ冠木御門搦手現存との二門二間半4.50.0
68同 と三同断 桁行弐間、明キ六尺、-と三冠木御門搦手消失(跡)との三門二間3.60.0
69同北方塩焇(マヽ)蔵 桁行二間六尺、梁行一間三尺五寸、但入口二枚扉、四方屋根地形トモ切石、-塩焇蔵搦手消失(跡)二間六尺5.5一間三尺五寸2.9
70同所東ノ方と四冠木御門 桁行二間弐尺二寸、袖間一間、明八尺四寸、クヽリ明三尺一寸、-とノ四冠木御門搦手現存との四門二間二尺二寸4.30.0
71同所御塀百二拾四間、但 とノ一御門外ヨリとノニ御門東長壁、但表通とノ三御門左右とも、-御塀搦手現存との一門東方土塀,との二門東方土塀,との四門西方土塀,との四門東方土塀百二十四間225.40.0
72とノ御門内南方 〇ちノ冠木御門 桁行弐間、明四尺一寸、-ちノ冠木御門東曲輪現存ちの門二間3.60.0
73同所北方御塀 五間、-御塀東曲輪現存トの櫓南方土塀五間9.10.0
74同所東方御多門 桁行七間半、梁行四間、内二井戸アリ、-御多門東曲輪現存井郭櫓七間半13.6四間7.3内に井戸あり
75同所左右御塀 拾三間-御塀東曲輪現存井郭櫓南方土塀十三間23.60.0
76同所南方御多門 桁行六間半、梁行弐間半、-御多門東曲輪現存帯の櫓六間半11.8二間半4.5
77井戸曲輪入ル上 同所南方御多門 桁行十間、梁行四間一尺、-御多門東曲輪現存帯の櫓十間18.2四間一尺7.6
78同所南方御多門 桁行拾一間半、梁行三間、-御多門東曲輪現存帯郭櫓十一間半20.9三間5.5
79同所左右御塀 拾九間、-御塀東曲輪現存帯郭櫓北方土塀十九間34.50.0
80一重 同所西ノ方へノ御櫓 桁行五間、梁行弐間四尺五寸、1重へノ御櫓上山里曲輪現存太鼓櫓(への櫓)五間9.1二間四尺五寸5.0
81同続東ノ方曲家 桁行五間、梁行弐間、-曲家上山里曲輪現存太鼓櫓(への櫓)五間9.1二間3.6
82同続北ノ方りノ冠木御門 桁行弐間四尺、袖間壱間、明キ八尺弐寸、クヽリ三尺二寸、-りノ冠木御門上山里曲輪現存りの門二間四尺4.80.0
83同所東ノ方御塀 拾六間、-御塀上山里曲輪現存太鼓櫓北方土塀,太鼓櫓南方土塀十六間29.10.0
84りノ御門外 〇上山里東方御多門 桁行七間一尺五寸、梁行三間五尺、-御多門上山里曲輪置換(復旧以外の再建)太鼓櫓南方土塀七間一尺五寸13.2三間五尺7.0
85同続南方とノ御櫓迄御多門 桁行拾五間、梁行三間、-御多門上山里曲輪置換(復旧以外の再建)太鼓櫓南方土塀十五間27.3三間5.5
86二重 同とノ御櫓 桁行四間半、梁行三間 弐尺六寸、2重とノ御櫓上山里曲輪置換(復旧以外の再建)太鼓櫓南方土塀四間半8.2三間二尺六寸6.2
87同続西ノ方御多門 桁行弐間一尺弐寸、梁行弐間二尺五寸、-御多門上山里曲輪置換(復旧以外の再建)太鼓櫓南方土塀二間一尺二寸4.0二間二尺五寸4.4
88同続御多門 桁行五間四尺、梁行弐間一尺五寸、-御多門上山里曲輪置換(復旧以外の再建)太鼓櫓南方土塀五間四尺10.3二間一尺五寸4.1
89二重 同所西方ちノ御櫓 桁行四間半、梁行三間半、2重ちノ御櫓上山里曲輪現存チの櫓四間半8.2三間半6.4
90同続ぬノ御門迄折廻渡御櫓 桁行弐拾一間、梁行弐間五尺、-折廻渡御櫓上山里曲輪現存リの一渡櫓、リの二渡櫓、ぬの門二十一間38.2二間五尺5.2「現:リの一渡櫓、リの二渡櫓」は「折廻渡櫓」と表記。
91(記述なし)-ぬノ御門上山里曲輪現存ぬの門0.00.0「ぬノ御門迄」の記述はあるが「ぬノ御門」の記述がない。「折廻渡御櫓」に含む扱いか。
92同所々御塀 拾九間四尺、-御塀上山里曲輪現存太鼓櫓南方土塀十九間四尺35.80.0
93ぬノ御門外西ノ方 〇るノ冠木御門 桁行五尺七寸、明キ三尺七寸、-るノ冠木御門二の丸消失(跡)るの門五尺七寸1.70.0
94同所北ノ方をノ冠木御門 桁行弐間、袖ノ間一尺一寸、明キ八尺、-をノ冠木御門二の丸消失(跡)をの門跡二間3.60.0明治15年2月1日失火により消失。
95同所西ノ方りノ御櫓 桁行四間四尺五寸、梁行弐間六寸、-りノ御櫓二の丸消失(跡)をの門跡四間四尺五寸8.6二間六寸3.8明治15年2月1日失火により消失。
96同所西ノ方折廻御塀 弐拾四間一尺五寸、-折廻御塀二の丸現存いの門東方土塀(一部)二十四間一尺五寸44.10.0
97〇西の丸北入口冠木御門 桁行三間四尺七寸、袖間壱間、明キ八尺、クヽリ三尺五寸、-西の丸北入口冠木御門西の丸消失(跡)西の丸北門跡三間四尺七寸6.90.0
98同所北方御化粧間 桁行八間半、梁行三間、-御化粧間西の丸現存化粧櫓八間半15.5三間5.5
99同続西ノ方ぬノ御櫓迄長局 桁行拾四間弐尺、梁行三間、-長局西の丸現存カの渡櫓十四間二尺26.1三間5.5
100二重 同ぬノ御櫓 桁行四間一尺、梁行三間、2重ぬノ御櫓西の丸現存ヌの櫓四間一尺7.6三間5.5
101同続西ノ方長局折廻 桁行三拾二間、梁行三間、-長局折廻西の丸現存ヨの渡櫓(東部),ヨの渡櫓(中央部)三十二間58.2三間5.5
102同続同断長局 桁行弐間弐尺、梁行一間一尺五寸、-長局西の丸現存ヨの渡櫓(西部)二間二尺4.2一間一尺五寸2.3
103同続同断るノ御櫓迄長局 桁行拾間、梁行三間、-長局西の丸現存ヨの渡櫓(西部)十間18.2三間5.5
104同るノ御櫓 桁行三間四尺、梁行三間半、-るノ御櫓西の丸現存ルの櫓三間四尺6.7三間半6.4
105同続南ノ方御多門 桁行拾一間五尺、梁行三間、-御多門西の丸現存タの渡櫓十一間五尺21.5三間5.5
106同続東ノ方御多門 桁行拾四間弐尺五寸、桁行弐間弐尺五寸、-御多門西の丸置換(復旧以外の再建)ヲの櫓十四間二尺五寸26.20.0
107同続東ノ方をノ御櫓迄渡御櫓 桁行三間、梁行弐間五尺、-渡御櫓西の丸消失(跡)三間5.5二間五尺5.2現在この廊下となっている部分は元の状態が残っていない為、復元できず昭和7年に設置された。
108同をノ御櫓 桁行三間二尺五寸、梁行弐間弐尺五寸、-をノ御櫓西の丸消失(跡)三間二尺五寸6.2二間二尺五寸4.4
109同続南方渡御櫓 桁行四間弐尺、梁行弐間半、-渡御櫓西の丸現存レの渡櫓四間二尺7.9二間半4.5
110同続南方わノ御櫓迄御多門 桁行弐拾三間半、梁行弐間半、-御多門西の丸現存レの渡櫓二十三間半42.7二間半4.5
111二重 同わノ御櫓 桁行三間半、梁行三間半、2重わノ御櫓西の丸現存ワの櫓三間半6.4三間半6.4
112同続東ノ方御多門 桁行五尺弐寸、梁行三間半、-御多門西の丸消失(跡)五尺二寸1.6三間半6.4
113同所東方かノ御櫓 桁行五間四尺、梁行三間半、-かノ御櫓西の丸現存カの櫓五間四尺10.3三間半6.4
114同続北方御多門 桁行弐間五尺、梁行三間半、-御多門西の丸消失(跡)二間五尺5.2三間半6.4
115同所北方西丸南入口冠木御門 桁行四間一尺五寸、袖間一間一尺、明キ一丈、クヽリ三尺七寸、-西丸南入口冠木御門西の丸消失(跡)西の丸南門跡四間一尺五寸7.70.0
116同所々御塀 百弐拾六間半、但東南ノ方、-御塀西の丸現存ろの門西南方土塀,ワの櫓東方土塀,カの櫓北方土塀百二十六間半230.00.0
117〇菱ノ御門外御塀 七拾八間、但檜御厩并下山里とも、-御塀西の丸消失(跡)七十八間141.80.0「檜御厩」の「檜」は「稜・榎」の可能性あり。明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
118菱御門外南方 〇榎下冠木御門 桁行一間五尺、袖ノ間一間、明キ九尺、-榎下冠木御門三の丸(西御屋敷)消失(跡)一間五尺3.30.0「榎下冠木御門」の「榎」は「稜・檜」の可能性あり。明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
119同所西方鷺山口御門 桁行三間五尺、梁行弐間、明キ六尺八寸、クヽリ明キ三尺、-鷺山口御門三の丸(西御屋敷)消失(跡)三間五尺7.0二間3.6明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
120同所北方冠木御門 桁行一間、明キ四尺、-冠木御門三の丸(西御屋敷)消失(跡)一間1.80.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
121同所々御塀 拾八間 但檜下御門并鷺山口御門外とも、-御塀三の丸(西御屋敷)消失(跡)十八間32.70.0「檜下御門」の「檜」は「稜・榎」の可能性あり。明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
122〇御本丸西北ノ方角よノ御櫓 桁行七間、梁行弐間半-よノ御櫓三の丸(西御屋敷)消失(跡)七間12.7二間半4.5明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
123同続東方渡御櫓 桁行五間半、梁行弐間一尺、-渡御櫓三の丸(西御屋敷)消失(跡)五間半10.0二間一尺3.9明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
124同よノ御櫓続南方たノ御櫓迄渡御櫓 桁行十六間半、梁行弐間五尺、-渡御櫓三の丸(西御屋敷)消失(跡)十六間半30.0二間五尺5.2明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
125二重 同たノ御櫓 桁行五間、梁行三間五尺五寸、2重たノ御櫓三の丸(西御屋敷)消失(跡)五間9.1三間五尺五寸7.1明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
126同続南方渡御櫓 桁行九間五尺、梁行弐間四尺七寸、-渡御櫓三の丸(西御屋敷)消失(跡)九間五尺17.9二間四尺七寸5.1明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
127同続南方れノ御櫓迄御多門 桁行三拾間、梁行弐間四尺七寸、-御多門三の丸(西御屋敷)消失(跡)三十間54.5二間四尺七寸5.1明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
128同れノ御櫓 桁行四間三尺五寸、梁行三間弐尺四寸、-れノ御櫓三の丸(西御屋敷)消失(跡)四間三尺五寸8.3三間二尺四寸6.2明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
129同続東方御多門 桁行弐間五尺七寸、梁行弐間二尺、-御多門三の丸(西御屋敷)消失(跡)二間五尺七寸5.4二間二尺4.2明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
130同東方そノ御櫓西方御多門 桁行七間弐尺七寸、梁行弐間五尺八寸、-御多門三の丸(西御屋敷)消失(跡)七間二尺七寸13.5二間五尺八寸5.4明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
131二重 同そノ御櫓 桁行三間半、梁行三間、2重そノ御櫓三の丸(西御屋敷)消失(跡)三間半6.4三間5.5明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
132同続北方御多門 五尺二弐間、但御門下門明キ五尺、-御多門三の丸(西御屋敷)消失(跡)0.00.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
133同所東方つノ御櫓 桁行五間四尺、梁行三間半、-つノ御櫓三の丸(武蔵野御殿南)消失(跡)五間四尺10.3三間半6.4明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
134同所南通御塀 九拾六間、-御塀三の丸(武蔵野御殿南)消失(跡)九十六間174.50.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
135同東方唐門 桁行五尺、梁行一間一尺五寸、明キ五尺、-唐門三の丸(武蔵野御殿南)消失(跡)五尺1.5一間一尺五寸2.3別名「勅使門」、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
136同所北方前ノ御門迄御土蔵 桁行十八間四尺五寸、梁行三間、-御土蔵三の丸(武蔵野御殿南)消失(跡)十八間四尺五寸34.1三間5.5明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
137同前ノ御門 桁行五間四尺四寸、梁行弐間弐尺、明キ九尺八寸、クヽリ明四尺一寸、-前ノ御門三の丸(武蔵野御殿南)消失(跡)五間四尺四寸10.4二間二尺4.2別名「玄関前門」、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
138同所外冠木御門 桁行弐間、(-梁行-)袖ノ間一間、明キ一丈一尺九寸、-冠木御門三の丸(武蔵野御殿南)消失(跡)二間3.60.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
139前ノ御門続北ノ方御長屋切手御門通折廻黒御門迄、同黒御門より御長屋西ノ方渡御櫓迄 桁行七十三間、梁行弐間二尺、-御長屋三の丸(西長屋)消失(跡)七十三間132.7二間二尺4.2明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
140切手御門明六尺 桁行五拾四間、梁行弐間一尺五寸、黒御門明九尺五寸、クヽリ明キ三尺五寸、-切手御門三の丸(西長屋)消失(跡)五十四間98.2二間一尺五寸4.1別名「台所前門」、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
141〇切手御門外北ノ方御土蔵 桁行十間半、梁行四間、-御土蔵三の丸(西長屋)消失(跡)十間半19.1四間7.3明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
142同続北ノ方新御門迄御土蔵 桁行十間半、梁行四間、-御土蔵三の丸(西長屋)消失(跡)十間半19.1四間7.3明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
143同新御門 桁行十二間、梁行三間半、明キ一丈弐尺弐寸、クヽリ明キ四尺三寸、-新御門三の丸(西長屋)消失(跡)十二間21.8三間半6.4明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
144同続北ノ方折廻除米御蔵 桁行四十五間、梁行三間半、-折廻除米御蔵三の丸(西長屋)消失(跡)四十五間81.8三間半6.4明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
145〇切手御門外南方御長屋 桁行十一間、梁行弐間一尺五寸、-御長屋三の丸(西長屋)消失(跡)十一間20.0十一間20.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
146同続北方冠木御門 桁行弐間二尺、明キ六尺五寸、-冠木御門三の丸(西長屋)消失(跡)二間二尺4.20.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
147同続東方御厩 桁行八間、梁行三間一尺五寸、-御厩三の丸(西長屋)消失(跡)八間14.5三間一尺五寸5.9明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
148同所南方長屋御門迄御厩 桁行四拾八間、梁行弐間一尺五寸、-御厩三の丸(西長屋)消失(跡)四十八間87.3二間一尺五寸4.1明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
149同長屋御門 桁行四間半、袖間一間半、明キ一丈弐尺、クヽリ四尺一寸、-長屋御門三の丸(西長屋)消失(跡)四間半8.20.0別名「長屋門」、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
150同所内北ノ方御長屋 桁行十九間、梁行弐間半、内御門明キ八尺、クヽリ三尺、-御長屋三の丸(西長屋)消失(跡)十九間34.5二間半4.5明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
151同所南方御長屋 桁行拾四間、梁行弐間半、-御長屋三の丸(西長屋)消失(跡)十四間25.5二間半4.5明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
152同続東ノ方冠木御門 桁行三間、明キ六尺六寸、-冠木御門三の丸(西長屋)消失(跡)三間5.50.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
153同所南方猿頭塀御門とも廿八間、門明キ五尺六寸、-猿頭塀御門三の丸(西長屋)消失(跡)二十八間50.90.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
154三重 太鼓御櫓 桁行五間、梁行四間、3重太鼓御櫓三の丸(西長屋)消失(跡)五間9.1四間7.3明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
155同続東方桐御門迄御多門 桁行拾二間、梁行三間弐尺、-御多門三の丸(西長屋)消失(跡)十二間21.8三間二尺6.1明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
156〇同桐御門 桁行拾三間、梁行三間二尺、明キ一丈五尺五寸、クヽリ明キ五尺、-桐御門三の丸(西長屋)消失(跡)十三間23.6三間二尺7.0別名「桐一ノ門」、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
157同所西方冠木御門 桁行三間一尺五寸、明一丈三寸、クヽリ明三尺五寸、袖ノ間一間弐尺、-冠木御門三の丸(大手)置換(復旧以外の再建)大手門(桐外門)三間一尺五寸5.90.0別名「桐二ノ門」、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失されるが、後に「大手門(桐外門)」が建てられる。但、復元ではない。
158同所外桜冠木御門 桁行三間一尺五寸、袖ノ間一間一尺、明キ一丈三寸、クヽリ明キ三尺七寸、-桜冠木御門三の丸(大手)消失(跡)三間一尺五寸5.90.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
159同所南方出番所 弐間㈡壱間半、-出番所三の丸(大手)消失(跡)0.00.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
160同所御塀 三拾四間半、但桐冠木御門左右・桜御門左右とも、-御塀三の丸(大手)消失(跡)三十四間半62.70.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
161同所外御橋 長拾四間半、横三間六寸、-御橋三の丸(大手)消失(跡)0.00.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
162同所南方腰掛ヶ 桁行十五間、梁行三間、-腰掛ヶ三の丸(大手)消失(跡)十五間27.3三間5.5明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
163〇向御屋敷南方ねノ御櫓 桁行折廻九間半、梁行三間一尺五寸、-ねノ御櫓三の丸(大手)消失(跡)九間半17.3三間一尺五寸5.9明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
164二重 同所東方なノ御櫓 桁行五間三尺七寸、梁行四間半、2重なノ御櫓三の丸(大手)消失(跡)五間三尺七寸10.2四間半8.2明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
165同所東方らノ御櫓 桁行六間五尺、梁行五間半、-らノ御櫓三の丸(大手)消失(跡)六間五尺12.4五間半10.0西方不随する建屋不明。明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
166同所西方御多門 桁行二間半、梁行四間一尺四寸、-御多門三の丸(大手)消失(跡)二間半4.5四間一尺四寸7.7明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
167同続北方御多門 桁行三間七寸、梁行同断、-御多門三の丸(大手)消失(跡)三間七寸5.7三間七寸5.7明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
168同所傘間 真柱三尺一寸角、桁行十間四尺五寸、梁行八間半、-傘間三の丸(向屋敷)消失(跡)十間四尺五寸19.5八間半15.5真柱三尺一寸角の大広間。「唐笠間」とも。明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
169同所西通御長屋 桁行六拾一間、梁行弐間半、内御門明キ八尺、クヽリ明キ三尺二寸、-西通御長屋三の丸(向屋敷)消失(跡)六十一間110.9二間半4.5明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
170同続東ノ御長屋 桁行弐拾一間、梁行四間弐尺、-東ノ御長屋三の丸(向屋敷)消失(跡)二十一間38.2四間二尺7.9明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
171右同断 桁行十七間一尺、梁行弐間四尺五寸、内御門明キ八尺七寸、クヽリ明キ三尺三寸、-東ノ御長屋三の丸(向屋敷)消失(跡)十七間一尺31.2二間四尺五寸5.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
172同所々御塀 百九拾五間、但東南之方、-御塀三の丸(向屋敷)消失(跡)百九十五間354.50.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
173〇上三方西ノ方御米蔵 桁行弐拾三間五尺、梁行三間半、-御米蔵三の丸(上三方)消失(跡)二十三間五尺43.3三間半6.4明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
174同所東之方折廻御米蔵 桁行三拾四間半、梁行三間半、-折廻御米蔵三の丸(上三方)消失(跡)三十四間半62.7三間半6.4明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
175〇御用米南方御米蔵 桁行拾六間、梁行弐間半、-御用米南方御米蔵三の丸(御米蔵)消失(跡)十六間29.1二間半4.5明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
176同所西方御米蔵 桁行十間、梁行三間半、-御用米西方御米蔵三の丸(御米蔵)消失(跡)十間18.2三間半6.4明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
177同所北方御米蔵 桁行弐拾七間半、梁行四間半、-御用米北方御米蔵三の丸(御米蔵)消失(跡)二十七間半50.0四間半8.2明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
178同所東方御米蔵 桁行弐拾二間、梁行三間半、-御用米東方御米蔵三の丸(御米蔵)消失(跡)二十二間40.0三間半6.4明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
179同所入口御門三ヶ所 桁行弐間一尺、明キ六尺、但入口とも、-入口御門三ヶ所三の丸(御米蔵)消失(跡)二間一尺3.90.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
180同所々御塀 五拾五間、-御塀三の丸(御米蔵)消失(跡)五十五間100.00.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
181〇菊御門 但表裏之分とも桁行拾間、内三間四方、三重御櫓、梁行六間半、明キ一丈三尺五寸、クヽリ明キ三尺五寸、-菊御門三の丸(向屋敷)消失(跡)六間半11.8六間半11.8明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
546〇菊御門 但表裏之分とも桁行拾間、内三間四方、三重御櫓、梁行六間半、明キ一丈三尺五寸、クヽリ明キ三尺五寸、3重菊御門御櫓三の丸(西御屋敷)消失(跡)六間半11.8六間半11.8明治7年兵営設置、姫路空襲等により撤去・消失。空襲は1945年6月22日と7月3日深夜から7月4日未明。
182同所御番所 桁行三間半、梁行弐間半、-御番所三の丸(向屋敷)消失(跡)三間半6.4二間半4.5明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
183同所冠木御門 桁行弐間、袖間一間一尺五寸、明キ九尺七寸、クヽリ明キ三尺五寸、-冠木御門三の丸(向屋敷)消失(跡)二間3.60.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
184同所左右御塀外とも三拾三間、-御塀三の丸(向屋敷)消失(跡)三十三間60.00.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
185菊御門東ノ方 二重 〇むノ御櫓 桁行六間、梁行四間、2重むノ御櫓三の丸(向屋敷)消失(跡)六間10.9四間7.3明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
186同所北方御塀 七拾五間、-御塀三の丸(向屋敷)消失(跡)七十五間136.40.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
187〇御作事入口御門 桁行弐間半、明キ七尺五寸、-御作事入口御門三の丸(御作事)消失(跡)二間半4.50.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
188同所御塀百拾七間一尺、但入口御門左右并東南折廻とも、-御塀三の丸(御作事)消失(跡)百十七間一尺213.00.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
189〇絵図御門 桁行八間、梁行三間弐尺五寸、明キ一丈九寸、クヽリ明キ三尺九寸、-絵図御門三の丸(御作事)消失(跡)八間14.5三間二尺五寸6.2明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
190同続東方うノ御櫓 桁行五間弐尺、梁行三間弐尺、-うノ御櫓三の丸(御作事)消失(跡)五間二尺9.7三間二尺6.1明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
191同続南方御多門 桁行五間弐尺、梁行弐間半、-御多門三の丸(御作事)消失(跡)五間二尺9.7二間半4.5明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
192右同断、 桁行四間半、梁行四間、-御多門三の丸(御作事)消失(跡)四間半8.2四間7.3明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
193同断御番所 桁行七間半、梁行弐間、-御番所三の丸(御作事)消失(跡)七間半13.6二間3.6明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
194同所冠木御門 桁行三間半、袖ノ間壱間弐尺、明キ一丈六尺、クヽリ明キ四尺六寸、-冠木御門三の丸(御作事)消失(跡)三間半6.40.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
195同所御番所 桁行四間、梁行弐間、-御番所三の丸(御作事)消失(跡)四間7.3二間3.6明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
196同所内外御塀 五拾三間半、-御塀三の丸(御作事)消失(跡)五十三間半97.30.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
197同所内外腰掛 桁行八間、梁行二間、-腰掛三の丸(御作事)消失(跡)八間14.5二間3.6明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
198〇喜斎御門 桁行八間、梁行弐間四尺八寸、明キ一丈弐尺、-喜斎御門東三の丸(喜斎門)消失(跡)八間14.5二間四尺八寸5.1明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
199同所御番所 桁行三間、梁行壱間半、-御番所東三の丸(喜斎門)消失(跡)三間5.5一間半2.7明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
200〇下三方東ノ方御米蔵 桁行弐拾間、梁行四間半、-御米蔵三の丸(下三方)消失(跡)二十間36.4四間半8.2明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
201同所西方御米蔵 桁行折廻廿六間、梁行四間半、-西方御米蔵三の丸(下三方)消失(跡)二十六間47.3四間半8.2明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
202〇内船場御米蔵 桁行拾四間、梁行四間半、-内船場御米蔵三の丸(下三方)消失(跡)十四間25.5四間半8.2明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
203同所北方御米蔵 桁行拾三間、梁行四間半、-北方御米蔵三の丸(下三方)消失(跡)十三間23.6四間半8.2明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
204二重 同所南方ゐノ御櫓 桁行四間五尺、梁行三間四尺、2重ゐノ御櫓三の丸(下三方)消失(跡)四間五尺8.8三間四尺6.7明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
205同所々御塀弐百三間 但喜斎御門左右、下三方入口御門左右、ゐノ御櫓左右、内船場御蔵北方とも、-御塀三の丸(下三方)消失(跡)二百三間369.10.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
206喜斎御門内西方 〇冠木御門 桁行弐間八尺、袖ノ間壱間一尺、明キ七尺五寸、クヽリ明キ三尺、-冠木御門東三の丸(喜斎門)消失(跡)二間八尺6.10.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
207同所北方八頭御門 桁行七間半、梁行弐間、明キ九尺二寸、-八頭御門東三の丸(喜斎門)消失(跡)七間半13.6二間3.6明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
208同続西方御多門 桁行弐間半、梁行三間一尺、-御多門東三の丸(喜斎門)消失(跡)二間半4.5三間一尺5.8明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
209同所御塀 七拾間四尺五寸 但 但八頭御門左右并冠木御門左右とも、-御塀東三の丸(喜斎門)消失(跡)七十間四尺五寸128.60.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
210八頭御門北ノ方 三重〇のノ御櫓 桁行五間四尺五寸、梁行三間半、3重のノ御櫓東勢隠消失(跡)五間四尺五寸10.5三間半6.4明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
211同続東方御多門 桁行二間、梁行二間二尺二寸、-御多門東勢隠消失(跡)二間3.6二間二尺二寸4.3明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
212同所左右御塀 弐百七拾間半、但西ノ方勢隠御門迄、-御塀東勢隠消失(跡)二百七十間半491.80.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
213同所北ノ方勢隠御門 桁行八間四尺、梁行弐間半、明キ八尺三寸、クヽリ明キ三尺、-北ノ方勢隠御門北勢隠消失(跡)八間四尺15.8二間半4.5明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
214同所冠木御門 桁行一間四尺、袖ノ間一間、明キ八尺、-冠木御門北勢隠消失(跡)一間四尺3.00.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
215同所々御塀 弐拾間四尺五寸 但勢隠御門西ノ方并冠木御門左右、外東ノ方とも、-御塀北勢隠消失(跡)二十間四尺五寸37.70.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
216二重 同所西方おノ御櫓 桁行五間三尺七寸、梁行四間半、2重おノ御櫓北勢隠消失(跡)五間三尺七寸10.2四間半8.2明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
217同続東方御多門 桁行三間、梁行三間弐尺五寸、-御多門北勢隠消失(跡)三間5.5三間二尺五寸6.2明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
218同続西方御多門 桁行二間一尺、梁行三間半、-御多門北勢隠消失(跡)二間一尺3.9三間半6.4明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
219同所より南方勢隠御門迄御塀 百三拾七間、-御塀北勢隠消失(跡)百三十七間249.10.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
220同勢隠御門 桁行七間一尺五寸、梁行弐間五尺五寸、明キ一丈四寸、クヽリ明キ四尺、-勢隠御門南勢隠消失(跡)七間一尺五寸13.2二間五尺五寸5.3明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
221同続西方御多門 桁行六間、梁行一間四尺、-御多門南勢隠消失(跡)六間10.9一間四尺3.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
222右同断 桁行四間弐尺七寸、梁行弐間五尺、-御多門南勢隠消失(跡)四間二尺七寸8.1二間五尺5.2明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
223同所より西方市ノ橋御門迄 御塀百弐拾四間半、-御塀勢隠消失(跡)百二十四間半226.30.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
224〇市橋御門 桁行八間四尺、梁行弐間半、明キ一丈五寸、クヽリ明キ三尺五寸、-市橋御門市橋御門消失(跡)八間四尺15.8二間半4.5明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
225同所御番所 桁行四間半、梁行弐間弐尺五寸、-御番所市橋御門消失(跡)四間半8.2二間二尺五寸4.4明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
226同所冠木御門 桁行三間、袖間一間一尺五寸、明キ一丈、クヽリ明キ三尺五寸、-冠木御門市橋御門消失(跡)三間5.50.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
227同続南方出番所 桁行弐間一丈、梁行一間半、-出番所市橋御門消失(跡)二間一丈6.7一間半2.7明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
228同所左右御塀 弐拾九間半、-御塀市橋御門消失(跡)二十九間半53.60.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
229同所外御塀 長拾一間半、横三間、-御塀市橋御門消失(跡)十一間半20.9三間5.5明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
230市ノ橋御門西より車御門迄御塀 百八拾一間半、-御塀市橋御門消失(跡)百八十一間半330.00.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
231〇車御門 桁行九間半、梁行三間弐尺五寸、明キ一丈五尺一寸、クヽリ明キ五尺一寸、-車御門車御門消失(跡)九間半17.3三間二尺五寸6.2明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
232同続北方御多門 桁行弐間半、梁行弐間半、-御多門車御門消失(跡)二間半4.5二間半4.5明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
233同所冠木御門二ヶ所 桁行三間、袖ノ間一間弐尺、明キ一丈弐寸、クヽリ明キ三尺弐寸、-冠木御門二ヶ所車御門消失(跡)三間5.50.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
234同所出番所 桁行弐間一尺、梁行一間半、-出番所車御門消失(跡)二間一尺3.9一間半2.7明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
235同所車道冠木御門 桁行弐間弐尺、袖ノ間一間二尺、明キ一丈二寸、-車道冠木御門車御門消失(跡)二間二尺4.20.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
236同所御塀 三拾間四尺五寸、但 冠木御門左右并出番所東ノ方とも、-御塀車御門消失(跡)三十間四尺五寸55.90.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
237同所外御橋 長拾一間一尺五寸、横三間一尺、-御橋車御門消失(跡)0.00.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
238車御門南より埋御門御櫓迄御塀 七拾弐間弐尺、-御塀車御門消失(跡)七十二間二尺131.50.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
239〇埋御門御櫓 桁行五間半、梁行四間二尺五寸、-埋御門御櫓埋御門消失(跡)五間半10.0四間二尺五寸8.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
240同続北ノ方御多門 桁行三間半、梁行弐間五尺、-御多門埋御門消失(跡)三間半6.4二間五尺5.2明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
241同続東方御多門 桁行三間、梁行弐間五尺、-御多門埋御門消失(跡)三間5.5二間五尺5.2明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
242同所東方埋御門 桁行弐間半、梁行一間一尺五寸、明キ九尺五寸、クヽリ明キ三尺二寸、-埋御門埋御門消失(跡)二間半4.5一間一尺五寸2.3明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
243同所冠木御門 桁行弐間半、袖ノ間一間一尺、明キ八尺、クヽリ明キ三尺五寸、-冠木御門埋御門消失(跡)二間半4.50.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
244同左右御塀 三拾五間半、埋御門上とも、-御塀埋御門消失(跡)三十五間半64.50.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
245〇鵰御門 桁行七間半、梁行弐間四尺、明キ一丈四尺、クヽリ明キ四尺八寸、-鵰御門鵰御門消失(跡)七間半13.6二間四尺4.8明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
246同所御番所 桁行四間、梁行弐間、-御番所鵰御門消失(跡)四間7.3二間3.6明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
247同所冠木御門 桁行三間、袖ノ間一間二尺、明キ一丈、クヽリ明キ三尺、-冠木御門鵰御門消失(跡)三間5.50.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
248同所々御塀 六拾五間五尺、但 御門左右并冠木御門左右とも、-御塀鵰御門消失(跡)六十五間五尺119.70.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
249〇中ノ御門 桁行九間、梁行三間弐尺、明キ一丈弐尺、クヽリ明キ五尺、-中ノ御門中ノ御門消失(跡)九間16.4三間二尺6.1明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
250同続南方御櫓 桁行四間半、梁行三間弐尺、-御櫓中ノ御門消失(跡)四間半8.2三間二尺6.1明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
251同所御番所 桁行四間半、梁行弐間一尺、-御番所中ノ御門消失(跡)四間半8.2二間一尺3.9明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
252同所冠木御門 桁行三間一尺、袖ノ間一間二尺、明キ一丈三寸、クヽリ明キ三尺七寸、-冠木御門中ノ御門消失(跡)三間一尺5.80.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
253同所御番所 桁行一間四尺、梁行一間、-御番所中ノ御門消失(跡)一間四尺3.0一間1.8明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
254同所々御塀 百五拾間、但 御門左右并冠木御門左右外とも、-御塀中ノ御門消失(跡)百五十間272.70.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
255〇総社御門 桁行拾間、梁行三間五尺、明キ一丈五尺二寸、クヽリ明キ五尺五寸、-総社御門総社御門消失(跡)十間18.2三間五尺7.0別名「惣社門」、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
256同続西方御多門 桁行弐間弐尺、梁行三間弐尺、-御多門総社御門消失(跡)二間二尺4.2三間二尺6.1明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
257同所御番所 桁行四間半、梁行三間弐尺、-御番所総社御門消失(跡)四間半8.2三間二尺6.1明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
258同所冠木御門 桁行弐間五尺五寸、袖ノ間壱間二尺五寸、明キ九尺三寸、クヽリ明キ三尺三寸、-冠木御門総社御門消失(跡)二間五尺五寸5.30.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
259同所御番所 桁行一間四尺、梁行一間、-御番所総社御門消失(跡)一間四尺3.0一間1.8明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
260同所々御塀 八拾七間半、 但 御門左右并冠木御門左右とも、-御塀総社御門消失(跡)八十七間半159.10.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
261〇鳥居先御門 桁行三間、梁行一間一尺、明七尺五寸、クヽリ明キ三尺一寸、-鳥居先御門鳥居先御門消失(跡)三間5.5一間一尺2.1明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
262同所御番所 桁行弐間一尺、梁行一間半、-御番所鳥居先御門消失(跡)二間一尺3.9一間半2.7明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
263同 桁行弐間、梁行一間、-御番所鳥居先御門消失(跡)二間3.6一間1.8明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
264同所外御橋 長九間半、横弐間一尺、-御橋鳥居先御門消失(跡)0.00.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
265同所冠木御門 桁行二間半、明七尺八寸、-冠木御門鳥居先御門消失(跡)二間半4.50.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
266同所御塀 八拾間、但 御門左右并冠木御門左右とも、-御塀鳥居先御門消失(跡)八十間145.40.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
267〇内京口御門 桁行八間四尺、梁行三間弐尺八寸、明キ一丈四尺五寸、クヽリ明キ四尺八寸、-内京口御門内京口御門消失(跡)八間四尺15.8三間二尺八寸6.3明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
268同所御番所 桁行五間半、梁行弐間半、-御番所内京口御門消失(跡)五間9.1二間半4.5明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
269同所冠木御門 桁行三間、袖ノ間一間一尺、明一丈、クヽリ明三尺三寸、-冠木御門内京口御門消失(跡)三間5.50.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
270同所々御塀 百弐拾三間、但 御門左右并冠木御門左右とも、-御塀内京口御門消失(跡)百二十三間223.60.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
271〇九長御門 桁行八間四尺、梁行三間弐尺八寸、明キ一丈五寸、クヽリ明キ五尺三寸、-九長御門九長御門消失(跡)八間四尺15.8三間二尺八寸6.3明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
272同御番所 桁行四間半、梁行弐間一尺、-御番所九長御門消失(跡)四間半8.2二間一尺3.9明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
273同冠木御門 桁行三間、袖ノ間一間一尺、明一丈、クヽリ明三尺四寸、-冠木御門九長御門消失(跡)三間5.50.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
274同所々御塀 四拾九間、但 御門左右并冠木御門左右とも、-御塀九長御門消失(跡)四十九間89.10.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
275〇野里御門 桁行七間四尺五寸、梁行三間一尺五寸、明一丈三尺四寸、クヽリ明四尺二寸、-野里御門野里御門消失(跡)七間四尺五寸14.1三間一尺五寸5.9明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
276同所御番所 桁行四間、梁行弐間、-御番所野里御門消失(跡)四間7.3二間3.6明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
277同所冠木御門 桁行二間五尺八寸、袖ノ間一間二尺、明一丈三寸、クヽリ明三尺五寸、-冠木御門野里御門消失(跡)二間五尺八寸5.40.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
278同所々御塀 八拾五間、但 御門左右并冠木御門左右とも、-御塀野里御門消失(跡)八十五間154.50.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
279〇清水御門 桁行拾間、梁行三間半、明キ一丈三尺五寸、クヽリ三尺三寸、-清水御門清水御門消失(跡)十間18.2三間半6.4明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
280同所御番所 桁行四間、梁行弐間弐尺、-御番所清水御門消失(跡)四間7.3二間二尺4.2明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
281同所冠木御門 桁行弐間五尺三寸、袖ノ間壱間弐尺、明キ一丈、クヽリ三尺三寸、-冠木御門清水御門消失(跡)二間五尺三寸5.20.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
282同所外御橋 長拾壱間一尺八寸、横三間一尺、-御橋清水御門消失(跡)0.00.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
283同所々御塀 百三拾七間一尺五寸、御門左右并冠木御門左右 南方おノ御櫓下迄、-御塀清水御門消失(跡)百三十七間一尺五249.50.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
284〇竹之御門 桁行一間一尺、袖ノ間一間、明キ八尺七寸、-竹之御門竹之御門消失(跡)一間一尺2.10.0別名「他家ノ御門」、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
285同所御番所 桁行弐間、梁行壱間壱尺、-御番所竹之御門消失(跡)二間3.6一間一尺2.1明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
286同所土橋 長弐間、両方築出石垣弐間宛、-土橋竹之御門消失(跡)0.00.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
287〇外京口御門 桁行__(マヽ)、梁行三間半、明一丈三尺、クヽリ明キ五尺、※空白部表記不明-外京口御門外京口御門消失(跡)__0.0三間半6.4明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
288二重 同続東方御櫓 桁行四間弐尺、梁行三間、2重御櫓外京口御門消失(跡)四間二尺7.9三間5.5明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
289同続門西方御多門 桁行一間半、梁行一間五尺、※「同続門西方」他と表記異なる。-御多門外京口御門消失(跡)一間半2.7一間五尺3.3明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
290同所御番所 桁行四間弐尺、梁行弐間一尺、-御番所外京口御門消失(跡)四間二尺7.9二間一尺3.9明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
291同冠木御門 桁行三間二尺五寸、袖ノ間一間二尺七寸、明キ一丈一尺一寸、クヽリ明キ三尺八寸、-冠木御門外京口御門消失(跡)三間二尺五寸6.20.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
292同御番所 桁行弐間、梁行一間半、-御番所外京口御門消失(跡)二間3.6一間半2.7明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
293同外御橋 長六間弐尺、横三間、-御橋外京口御門消失(跡)0.00.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
294同所々御塀 六十一間、但 御門左右并冠木御門左右とも、-御塀外京口御門消失(跡)六十一間110.90.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
295〇北条御門 桁行七間、梁行弐間、明キ壱丈弐尺、クヽリ明キ四尺七寸、-北条御門北条御門消失(跡)七間12.7二間3.6明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
296同続南方櫓 桁行六間半、梁行弐間半、-北条御門消失(跡)六間半11.8二間半4.5明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
297同所御番所 桁行四間、梁行弐間、-御番所北条御門消失(跡)四間7.3二間3.6明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
298同所外御塀 四拾四間半、-御塀北条御門消失(跡)四十四間半80.90.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
299〇飾万津御門 桁行十二間、梁行二間半、明キ一丈二尺二寸、クヽリ四尺二寸、-飾万津御門飾万津御門消失(跡)十二間21.8二間半4.5明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
300同続北ノ方御多門 桁行一間、梁行弐間、-御多門飾万津御門消失(跡)一間1.8二間3.6明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
301同所御番所 桁行五間半、梁行弐間弐尺、-御番所飾万津御門消失(跡)五間半10.0二間二尺4.2明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
302同所外御塀 弐拾弐間四尺、-御塀飾万津御門消失(跡)二十二間四尺41.20.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
303〇福中御門 桁行八間四尺、梁行弐間四尺五寸、明キ一丈三尺、クヽリ明キ五尺二寸、-福中御門福中御門消失(跡)八間四尺15.8二間四尺五寸5.0別名(旧名)「備前門」、明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
304同続西方御櫓 桁行五間、梁行三間半、-御櫓福中御門消失(跡)五間9.1三間半6.4明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
305同続北方御多門 桁行一間弐尺五寸、梁行弐間半、-御多門福中御門消失(跡)一間二尺五寸2.6二間半4.5明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
306同続東方御番所 桁行四間半、梁行弐間、但庇とも、-御番所福中御門消失(跡)四間半8.2二間3.6明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
307同所南方出番所 桁行三間一尺、梁行弐間、-出番所福中御門消失(跡)三間一尺5.8二間3.6明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
308同所冠木御門 桁行三間二尺、袖ノ間一間二尺七寸、明一丈一尺一寸、クヽリ明三尺八寸、-冠木御門福中御門消失(跡)三間二尺6.10.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
309同所外御橋 長拾一間五尺、横三間一尺、-御橋福中御門消失(跡)0.00.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
310同所々御塀 百拾間四尺 御門左右并冠木御門より埋御門御櫓下迄、同出番所より獄屋南通りとも-御塀福中御門消失(跡)百十間四尺201.20.0明治7年(1874)兵営設置、姫路空襲(1945)等により撤去・消失。
311〇外船場御米蔵 桁行弐拾九間、梁行四間、-外船場御米蔵外船場御米蔵消失(跡)二十九間52.7四間7.3
312〇男山塩焇(マヽ)蔵 桁行拾一間、梁行三間、-男山塩焇蔵男山塩焇蔵消失(跡)十一間21.8三間5.5
313同 壱ヶ所 桁行弐間、梁行弐間、-壱ヶ所男山塩焇蔵消失(跡)二間3.6二間3.6
314〇中島塩焇(マヽ)合小屋四棟 内一棟御土蔵 桁行弐間半、梁行一丈、-中島塩焇合小屋御土蔵中島塩焇合小屋御土蔵消失(跡)二間半4.5二間半4.5
315同一棟 桁行八間半、梁行弐間、-中島塩焇合小屋御土蔵中島塩焇合小屋御土蔵消失(跡)八間半15.5二間3.6
316同一棟 桁行四間、梁行弐間、-中島塩焇合小屋御土蔵中島塩焇合小屋御土蔵消失(跡)四間7.3二間3.6
317同一棟 桁行四間半、梁行弐間、-中島塩焇合小屋御土蔵中島塩焇合小屋御土蔵消失(跡)四間半8.2二間3.6

※明キ:扉開口幅を示す。
※クヽリ:脇戸(潜戸・くぐりど)扉開口幅を示す。
※同断:同じこと
※廿間:二十間
※并:ひょう、へい、あわせる、ならぶ
※厩:うまや(廐)


本一覧は筆者の勉強・調査・後の検索を目的に作成したものであり、その正確性を保証するものではありません。
(出典・抜粋引用)第一冊 村翁夜話集所収「姫路城門櫓明細書」|播磨の地誌 福本勇次著『村翁夜話集』刊行会-平成27年1月25日発行

尚、上記一覧内の「桁行(m:参考)」「梁行(m:参考)」は一尺303mm換算として算出したものであり、イメージしやすくする為の参考値です。
また姫路城内では1間は六尺五寸とする説もあり、1間当たりの当時の寸法は明確ではありません。
昭和の大修理では実寸を元にした尺寸法を定めているようですが、その寸法が分かり次第、参考値を更新します。
現時点は参考値を表示しています。
「御塀」は村翁夜話集において長さ(間数)のみが表示され明確に壁の位置を示していません。
暫定的に対象と思われる壁を推測し割り当て、記載していいます。
「御壁」の現在呼称の壁に対する割り当ても、あくまでも参考とお考えください。

現在の姫路城で各櫓に付けられている名前は、その名称で「国重要文化財」の登録も既に行われています。
現在は重要文化財登録の名称で呼ぶのが、正しい呼び方になるものと思っています。
当サイト管理者は「旧名」で呼ぶことや過去の錯誤を無くすことがしたい訳ではありません。
過去文献の調査時に過去名が必要な場合がある為にご紹介をしているに過ぎません。


 

さいごに

本リストの紹介は江戸時代にどのような名称で各櫓が呼ばれ、
そして明治、昭和、平成と文化財修復の資料を確認していくに当たって、
現時点で分かっているスタート地点に当たるものです。

櫓に名称を付けるようになった時期は定かではありませんが、
こうした詳細に名称を振り、建造物サイズを記載している資料はとても重要です。

ただし、旧名称が分かったからと言って、それが正しいと言う事ではないと思っています。

自分の名前に、本名があり、あだ名があり、
昨今で言えば「東京スタジアム」がネーミングライツ制度によって「味の素スタジアム」と呼ばれたりと、
「名称」はその時代で、より多くの人に馴染みがあるような呼ばれ方で、
変化していくものであると思っています。

それがもし錯誤からの呼名であったとしても、
現在の姫路城で各櫓に付けられている名前は、その名称で「国重要文化財」の登録が行われています。

重要文化財登録の名称で呼ぶのが現在は正しい呼び方になります。

ただ、過去の文献を読む場合には、過去の呼名や経緯と言ったものも、
知っておく必要があり、こうした資料を作成するに至りました。

何かの時にお役に立ちますと幸いです。

 

出典書籍

「第一冊・村翁夜話集|播磨の地誌 福本勇次著『村翁夜話集』刊行会-平成27年1月25日発行」は、
姫路市立図書館に蔵書され、貸し出しが可能になっています。
原本の記述を確認される際などには以下の棚(請求記号)、資料コードで借りられます。

村翁夜話集|資料詳細:姫路市立図書館(2018/01/30時点検索結果)

所蔵館 所蔵場所 請求記号 資料コード 資料区分 帯出区分 状態
城内 郷土 /L20/21/ソ 0130391949 郷般
城内 郷土 /L20/21/ソ 0130391915 郷般
城内 郷土 /L20/21/ソ 0130391741 郷般
城内 レファ般 /L20/21/ソ 0130391923 郷般 禁帯
城内 書庫R /L20/21/ソ 0130391956 郷般 禁帯
城内 書庫R /L20/21/ソ 0130391931 郷般 貴重
網干 郷土 /L20/21/ソ 2117123030 郷般
飾磨 郷土 /L20/21/ソ 2317090120 郷般
白浜 郷土 /L20/21/ソ 2517084196 郷般
安室 郷土 /L20/21/ソ 2617083726 郷般
青山 郷土 /L20/21/ソ 2717059170 郷般
広畑 郷土 /L20/21/ソ 2817184639 郷般
手柄 郷土 /L20/21/ソ 2917151280 郷般
ひがし 郷土 /L20/21/ソ 3017068176 郷般
やすとみ 郷土 /L20/21/ソ 5017009969 郷般
香寺 郷土 /L20/21/ソ 5117066620 郷般
夢前 郷土 /L20/21/ソ 5217165603 郷般
家島 郷土 /L20/21/ソ 5317101565 郷般

 


公開日:
最終更新日:2021/02/14

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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